第12話 友達です
澪は夏斗に抱きついたまま、穏やかな寝息を立て始めた。
昨晩、夏斗が寝るまで待っていたことと、久しぶりに大泣きして泣き疲れたのだ。
夏斗はしばらくの間、長いまつ毛が際立つ美しい寝顔を眺めていた。
クラスの男子と家に2人きり、おまけにその懐を借りて寝に入るとは、もう何をしても良いと言っているようなものである。
実際、澪の心の中には、夏斗になら何をされてもいいという気持ちと、夏斗なら自分が嫌がることはしないという安心感があった。
そしてもちろん、まっすぐに澪に手を差し伸べた夏斗の心に、不純なものは一切ない。
とはいえ、かわいいクラスの女子に枕にされて、鼓動がドキドキと鳴り響いているのは感じている。
“俺の心音、うるさくないかな……。”
ちょうど胸のあたりに澪の頭があるだけに、夏斗からすればそこだけが気がかりだ。
ただ幸いにも、澪はぐっすりと眠っていた。
そうして1時間半くらい経った頃、不意に家のインターホンが鳴る。
[ピーンポーン]
夏斗は一瞬迷ったが、そっと澪の身体をソファーに横たえる。
それから部屋の中のモニターを覗き込んだ。
今日も暑いというのに、ピシッとスーツを着こなしている男性が数人映っていた。
その背後には、宅配業者が使うような大きいトラックがある。
[はーい]
[おはようございます。エンジェル寝具でございます]
夏斗が応対すると、モニターの向こうで先頭にいた男性が頭を下げた。
[昨日はお買い上げいただいた品物をお届けできず、大変申し訳ございませんでした。ただいま、お届けにあがりました]
[分かりました。ちょっと待っててください]
[かしこまりました]
夏斗がソファーの方に視線をやると、ちょうど澪がゆっくりと体を起こすところだった。
無防備な体勢のまま、まだ少し眠そうに目を擦る。
「お客さん……?」
「昨日、届かなかったベッドが来たみたい」
「じゃあ、夏斗の部屋に運んでもらお」
「あの面接した部屋でいいんだよね?」
「うん、あそこ。私も行く……」
ふらふらと立ち上がろうとする澪を、夏斗は優しく制して言った。
「大丈夫だよ。寝起きなんだし、ちょっと落ち着いてからにしたら」
「……分かった」
甘えると宣言した以上、澪は夏斗の提案に素直に応じる。
彼女が再びゆったりとソファーに身を委ねるのを見て、夏斗は部屋を出た。
広い家の中を進んで玄関を出ても、門まではまだ距離がある。
“大きい家って憧れるけど、大変なことも多いよな……。”
この豪邸をひとりで管理していた澪に感嘆しつつ、夏斗は寝具店の社員たちが待つ門へとやってきた。
近くにあるスイッチを押すと、門がガラガラ開いていく。
このスイッチの場所は、最初に面接に来た時に警備員の錦戸さんが操作していたので覚えていた。
「お疲れ様です」
「この度は本当にご迷惑をおかけしました」
「いえいえ。お気になさらず。大丈夫でしたから」
本音を言えば、夏斗と理性の戦いはかなり熾烈を極めたのだが、まさかそれを名前も知らない寝具店の社員に言うわけにもいかない。
結果的に寝れはしたので、夏斗はこれで良しとすることにした。
「早速、ご購入いただいた商品を搬入させていただきます」
「はい。よろしくお願いします」
リーダーらしき社員が合図を出すと、トラックから大きなベッドが運び出される。
そしてこれまた大きな台車が登場して、玄関までの長いストロークを進み始めた。
「ちなみに霜乃木澪様はご在宅でしょうか?」
「はい。いますよ」
「良かったです。後ほどサインだけ頂きたいので、その旨お伝えいただけますか?」
「分かりました」
ベッドの前を進みながら、夏斗はリーダー社員さんと会話を交わす。
“この暑い時期にスーツ着こんで汗一つかいてない……。プロだ……。”
よく分からないところでプロ意識に感嘆した夏斗に、社員さんが言う。
「それにしても、新しく執事を雇われたのですね。霜乃木様おひとりでは、この家の管理も大変だったでしょう」
「あーいや、執事とかじゃないんですよ」
「え? そうなんですか?」
「はい」
“確かに俺がここへ来た時点では、執事のつもりで来たけど……。でも俺と澪は……”
「友達です」
夏斗の答えに、一瞬きょとんとする社員さん。
彼は澪、が自分用のベッドをついこの間に買ったばかりだと知っている。
だからこのベッドは、澪以外の誰か、この状況から考えて目の前にいる夏斗のためのものであるはずだ。
つまり2人は一緒に住むということ。
“それがただの友達……??”
理解に苦しんだものの、そこは一流企業のエリート社員。
お客様のプライベートに過度に突っ込むことはしない。
「仲がよろしいんですね」
そう相槌を打つに留めた。
そして夏斗の案内で、高級ベッドを部屋へと運び込む。
全てのセッティングを終えたタイミングで、部屋に澪が入ってきた。
涙のあともすっかり拭い去って、何事も無かったかのようにいつも通りの表情をしている。
「霜乃木様、いつもお世話になっております。お届けが遅くなりましたこと、お詫び致します」
「いえ、大丈夫です」
澪としては、もうなんの不満もない。
むしろおかげさまで夏斗と寝られたので、感謝したいくらいだ。
「こちらにサインをお願いします」
「分かりました」
サインを受け取ると、寝具メーカーの社員たちはぞろぞろ引き上げていく。
大きな家の中に、再び夏斗と澪の2人きりになった。
「さて……これからどうしようか」
「ぐぅ〜」
夏斗の質問に答えるかのように、澪のお腹が音を立てる。
彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめて俯いた。
朝からせいぜいお茶を飲んだ程度で、ろくな食事はとっていない。
「ご飯、作ってあげるよ」
「私も手伝う……」
2人は並んで階段を降り、キッチンへと向かう。
その途中で、澪は不意に夏斗の腕を掴んだ。
「澪……?」
「さっき、ひとりになった時に考えてたんだけど」
「うん」
「私、本当に思いっきり夏斗に甘えに行くから。だから、夏斗もちょっと強引なくらいに私を引っ張っていってほしいの」
「強引なくらいに……」
「うん。友達がいる夏休み、初めてみたいなものだから。だから夏斗と一緒に色んなとこ行ったり、色んなことしたいな」
「任せとけ」
夏斗は笑顔で胸を張った。
ほとんどを家で過ごしてばかりだった澪の夏休み。
今年はがらっと変わりそうな予感がする。
「でも、まずはご飯な」
「そうだね」
夏斗が料理を始めるまでの間、澪はずっとその腕に触れていたのだった。
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