第11話 本当に欲しいもの
「繰り返しになるけど、私の祖母、おばあ様はフロストグループの名誉会長・霜乃木麗子。先代の会長で創業者の霜乃木
静かに語り始めた澪の言葉を、夏斗もまた黙って聞く。
澪は床や手元に視線を落としているが、夏斗はまっすぐにその横顔を見つめて離さなかった。
「その2人の息子が私の父親で、母親とは会社内で出会って結婚したらしい。要は家族みんな、フロストグループの人間なの」
フロストグループは、霜乃木家による一族経営の会社である。
名誉会長に澪の祖母である霜乃木麗子。
会長には先代会長の弟である霜乃木
グループ全体を統括運営するフロスト株式会社の社長が、澪の父親である霜乃木
母親の霜乃木
グループ企業の中には、霜乃木家以外のものが社長を務める会社もあるものの、根幹となる主要な役職は全て霜乃木家に関連する人間で埋められているのだ。
当然のごとく、株式も全て霜乃木家の人間が所持している。
外部からの手出しを一切許容しない形を取っているわけだ。
「私が小学生になる少し前くらいかな。フロストグループにとって、すごく悪いこととすごく良いことが起きたの。すごく悪いことは、おじい様が病魔に倒れたこと。すごく良いことは、事業展開のまたとないチャンスが訪れたこと。幸か不幸か、その2つがいっぺんに押し寄せたんだ」
徐々に拡大しながら力を蓄えてきたフロストグループが、爆発するチャンスをつかんだのが、澪が小学生になる直前のこと。
しかしそれと同時に、会長だった霜乃木耕造が病気に倒れた。
ピンチとチャンスが同時に訪れた状況にあって、指揮を執ったのが澪のおばあ様である霜乃木麗子だ。
まるで源頼朝亡き後の北条政子のごとく。
巧みなリーダーシップで会社をまとめ上げた霜乃木麗子は、事業拡大のチャンスを完璧に捉えてフロストグループを超のつく大企業へと押し上げた。
そしてそれを見届け満足したかのように、霜乃木耕造は亡くなった。
ただし、澪がこの時に失ったのは祖父だけではなかったのだ。
「幼稚園の卒園式には、父も母も来てたかな。でも小学校の入学式に来たのは、家のお手伝いさんだった」
「ご両親とも来られなかったんだ……」
「うん。仕事が大事な時期なのは、子供ながらに分かってたけど、一生に一度の小学校の入学式くらいは来てくれると思ってたのに」
それ以来、澪の両親はあまり家に帰って来なくなった。
その代わり、定期的に祖母から贈り物が届くようになった。
巨大なぬいぐるみ、最新のゲーム機、かわいらしい服、滅多に手に入らない高級なお菓子、たくさんのお小遣い。
「みんな良いよねって言ってた。澪ちゃんは何でも好きなもの買ってもらえて良いよねって。でも私、頼んでないんだよ。別に欲しくないんだよ。でもそれを言ったら、自慢だとかワガママだとか悪口を言われて……」
努めて平坦に話してきた澪の声が、ここへ来て震え始める。
夏斗はそっとその肩に手を置いた。
絶対に澪から目を離しはしない。
手を差し伸べると約束したから。
澪のような気持ちを経験した人間を痛いほどに知っているから。
「私はただ……! お父さんとお母さんと仲の良い友達が欲しかっただけなのに……!」
「澪……っ」
夏斗は衝動的に彼女の肩を抱き寄せる。
何度も味わいたいと思える温かさに包まれて、全てを吐き出すように澪の涙腺が決壊した。
「ううっ……」
「分かって……もらえないよな……」
「うん……。みんな……誰も……!」
分かってもらえない。
お金持ちで、容姿がきれいで、勉強ができて、スポーツも得意。
そんな彼女が不満を口にしたらどうなるか。
子供は素直に言う。
自慢だ、ワガママだと。
僕が欲しくて買ってもらえないゲームをいっぱい持ってるのに、何でそんなこと言うんだと。
大人はもしかしたら、ストレートな言葉をぶつけたりはしないかもしれない。
でも心の中では同じように、恵まれている人間のワガママか不幸自慢だとぼやく。
だれにも分かってもらえない。
みんなにとっては、友達も家族も当たり前にいるものだから。
何ならウザったく感じる時もあるくらいなのだから。
ゲームやかわいい服やメイク道具なんていらない?
理解ができない。
“何を話しても自慢だワガママだと言われるなら、何も話さなければいい。”
“誰も私のことは分かってくれないんだから、誰も近づいてこないようにすればいい。”
“氷のように冷たくなればいい。表情も何もかも殺してしまえばいい。”
“そうすれば、何かを言われて辛くなることはないから。”
こうして『氷姫』が生まれた。
でもそれは、ただ単に余計なダメージを得ないよう閉じこもっただけ。
父親も、母親も、友達も、何一つ欲しかったものは手に入っていない。
だから澪はずっと求めていたのだ。
思わず身を委ねたくなるような、そして身を委ねてもいいと言ってくれるような、そんなまっすぐで温かな存在を。
「夏斗くん……」
澪は涙を拭うことも忘れて、夏斗の顔を見つめる。
いつしか、夏斗の目にも涙が浮かんでいた。
「私に執事なんていらない。そんなものじゃなくて……」
“そんなものじゃなくて。”
「友達になってほしい」
「当たり前だろ」
夏斗は思わず、澪のことをぎゅっと抱きしめた。
父親にはなれない。母親にもなれない。
でも友達にはなれる。
澪が求める温かな友達になれる。
“夏斗くんならいつか友達以上の存在に……。でも今それを持ち出すのはずるい気がする……。”
澪はまだ隠しておくべきと判断した感情を、そっと心の中にしまった。
それでも今日の彼女は、十分すぎるほどに自分をさらけ出している。
「友達だよ。約束だよ」
「うん。友達だよ」
“友達”という夏斗の言葉が、幸せの音となって澪の耳に響いたのだった。
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