第2話 面接と《氷姫》の欲望

 だだっ広い玄関の隅に靴を置くと、夏斗は用意されたスリッパをはく。

 そして案内されるがままに、2階へ上がって冷房の良く効いた部屋に入った。

 部屋の前方には机と椅子が、そしてその目の前にもう一つ椅子だけが用意されている。

 よく見る面接風景の部屋だ。


「では、こちらでお待ちください。面接官をお連れします」

「分かりました」


“こういうのって、面接官がいるところに受験者が入っていくんじゃないの?”


 そんな疑問を感じた夏斗だが、わざわざそれを口に出したりはしない。

 このあと座ることになるであろう椅子の横に立つと、持参した履歴書を手に面接官がやってくるのを待つ。

 ほどなくして、にわかに部屋の外から声が聞こえてきた。


「私、バイトの執事なんて雇わなくていいと言ったはずです」

「ですが、こうしていらっしゃってますので……」

「帰っていただいてください」

「さすがにそれはできかねます……」


 100%負け試合を予感させる会話に、夏斗は絶望のあまり膝から崩れ落ちそうになった。

 まだ顔すら合わせていないのに、面接官の心象が0を突き抜けてマイナスになっている。


“バイト、探さなきゃ……。”


 面接も始まっていないのにそんなことを考えていると、部屋の扉がすっと開いた。

 さっきの警備員の女性が、自分の主人である“面接官”を招き入れる。


「分かりました。面接だけですよ」


 そう言いながら入ってきた“彼女”は、最後の悪あがきをしようと身構える夏斗を見て、無表情のまま警備員の女性を振り返る。


「採用します」

「は?」

「へ?」


 面接官の彼女――霜乃木澪は、ぽかんとする夏斗と警備員を交互に見て、すぐに指示を出した。


「早く手続きを進めてださい」

「ですが……よろしいのですか? まだ何の質問も、何ならさっきまで執事はいらないと……」

「気が変わりました。早くしてください」

「ええ……」


 頭を抱える警備員をよそに、霜乃木澪は夏斗の目の前にやってくる。

 いつものごとく冷たい表情だが、今日はほんの少しだけ柔らかなようにも感じられた。


「長屋夏斗くん。名前……合ってますよね?」

「う、うん。えっと、霜乃木澪さんで間違いないよね? そっくりさんとかじゃないよね?」

「はい。霜乃木澪です。これから夏休みの間、よろしくお願いします」


 霜乃木澪の声は、冬の空気のように凛として透き通っている。

 彼女の存在だけで、部屋の気温が数度下がるように夏斗は感じた。

 冷たい。氷。氷姫。

 そんな言葉が、夏斗の頭の中で渦を巻く。

 それでも、だからこそ、彼女が夏斗の採用を即決した理由がまるで分からなかった。


「えっと……本当に雇ってくれるの?」

「はい。確かに採用と言ったはずです」

「時給とかの条件も本当にこのまま……?」

「私が募集を出したわけではないので、どんな条件になっているかを知らないんですが……」

「こちらになります」


 警備員はすっと1枚の紙を霜乃木澪に差し出す。

 彼女はそれをさらっと流し読みして、何度か軽く頷いた。


「このままの条件で大丈夫です。時給4000円の、24時間住み込み勤務ということで」

「……24時間住み込み勤務?」


 そんな条件は、夏斗が募集を見た時になかったはずだ。

 戸惑う夏斗の前に、霜乃木澪の白くすべすべの右手が差し出される。


「夏休みの間、よろしくお願いします」

「えっと……」


 数秒の思考の後、夏斗は霜乃木澪の手を取ってしまった。

 契約成立。

 夏斗の高校1年生の夏休みが、全て霜乃木澪に買い取られることが決定したのだ。


“ああ、長屋君の手、やっぱり温かい……。”

“霜乃木さんの手、びっくりするくらい冷たい……。”


 正反対の感想を抱きながら、2人はそっと握手を交わしたのだった。




 ※ ※ ※ ※




 時間は少し戻って前日の夕方。

 夏斗がバイトの面接メールにガッツポーズしていたころ、霜乃木澪も家に戻って自室の机に向かっていた。

 明日から始まる夏休みに備えて、出されている課題などを整理し計画を立てようとする。

 しかし、ノートを広げたはいいものの、ボールペンを握った右手は全く動かない。

 夏休みが何日間あって課題がどれだけ出ていてなんてことよりも、ついさっき学校であったことが頭を離れないのだ。

 この部屋はクーラーが良く効いている。

 学校に行っている間もついていたので、椅子の背もたれが良く冷えている。

 その冷たさが、さっき感じた夏斗の温もりを強く浮かび上がらせる。

 もちろん、階段でバランスを崩して宙に放り出された時は怖かった。

 そして床にぶつかって痛い思いをすると思った。

 そこを夏斗が助けてくれた時、すごくほっとしたし嬉しかった。

 でも何よりも。


“長屋くんに抱きとめられた時も、声を掛けられた時も、何もかも全部が温かかった……。”


 夏斗のとっさの行動が、誰かからの温もりを求める《氷姫》の欲望に火をつけた。


“もう1回、いや何度でも、あの温かさに包まれたい。”


 霜乃木澪はペンを置いて、白紙のノートを見つめながら再びそっと背中に触れた。

 24時間も経たないうちに、夏斗と再会することになるなどとは夢にも思わずに。

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