夏休み限定で『氷姫』と呼ばれるクラスメイトの執事になったんですが、どうやら永久就職することになりそうです。

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第1話 氷姫が落ちてきた。

 長屋ながや夏斗なつとが在籍するクラスには、《氷姫》という呼び名をつけられた女子生徒がいる。

 さらさらの黒髪に白い肌、スレンダーな体型と容姿は端麗で、さらに成績も優秀。

 おまけに家が超大金持ちなんて噂もあり、この点はまさに《姫》だ。

 でも肝心なのは《氷》の部分。

 彼女はいつも冷たく閉ざされたような表情をしていて、どことなく近寄りがたい雰囲気を放っている。

 授業などで必要な場面がない限り、ほとんど言葉を発さない。

 そんな様子を見ていつからか誰かが、彼女を《氷姫》と呼び始めたのだ。


 さて、そんな《氷姫》こと霜乃木しものきみお

 現在、絶賛落下中だった。

 バンジージャンプをしているわけでも、遊園地のフリーフォールに乗っているわけでもない。

 放課後の階段で足をもつれさせ、慌てて体勢を立て直そうとしたところ、むしろ空中に放り出されてしまったのだ。

 そして偶然にも、そこへ長屋夏斗が通りかかったのだった。


「え?」


 驚きのあまり変なトーンで一言だけ口にした夏斗は、慌てて階段の下、霜乃木澪が落ちてくるであろう場所に滑り込む。

 ギリギリのタイミングで間に合った。

 まずは霜乃木澪の長い黒髪が触れ、続いて全身が両手を広げて受け止めようとする夏斗の身体に突っ込んでくる。

 何たら物語みたく、怪異に取りつかれた彼女の身体にはおよそ体重と呼べるものが全くと言っていいほどなかったら良かったのだが(決して良くはないのだが)、霜乃木澪は至って健康だった。

 細身とはいえ、上から落ちてきた勢いも加わっている。

 夏斗はなんとかその身体を受け止めたものの、耐えきることはできずバランスを崩した。

 2人はもつれ合うようにして、地面に転がる。


「大丈夫か?」


 自分の上に乗っかった霜乃木澪の身体を抱きとめたまま、夏斗がそっと尋ねる。

 後ろ向きに落ちてきたため、夏斗から彼女の表情は全く見えない。

 ただ艶やかな黒髪が目の前にあり、ほのかに甘い香りが漂ってくるだけだ。

 それでも夏斗からすると、腕の中にある彼女の身体がかすかに震えているようにも感じられた。


「……ありがとうございます」


 か細い声で霜乃木澪が答える。

 夏斗がクッションとなったおかげで、彼女の身体に傷はなさそうだ。

 そして夏斗自身も、ぶつけたところが軽く痛む程度で怪我と言うほどのことはない。

 ほっと一安心すると、夏斗は自分の体を起こすと同時に、霜乃木澪の身体も優しくそっと起こした。


「本当にありがとうございます」


 立ち上がると、霜乃木澪は改めてお礼を言った。

 いつも色白なその頬は微かに赤く染まり、目も少し潤んでいる。

 そりゃ怖かったよなと心の中で呟き、夏斗は笑顔で答える。


「どういたしまして。でも、霜乃木さんがこの時間まで学校にいるの珍しいね」

「その、忘れ物をしてしまって」

「そっかそっか。じゃあ、気を付けて帰ってね」

「あ、うん……」


 夏斗はそそくさとその場所から立ち去ってしまう。

 ひとり残された階段の下で、そっと自分の背中、夏斗と密着していた場所に触れて呟いた。


「すごく温かかった……」




 ※ ※ ※ ※




 今の季節は夏。

 外を歩けばこれでもかと太陽が照りつけ、蝉が必死になって鳴いている。

 そんな気が滅入りそうになる通学路を何とか自転車で走り切り、夏斗は自分の家へと戻ってきた。

 ただ帰ってきたら帰ってきたで、もわっと暑い空気が身体を包む。


「クーラー、クーラー……」


 何よりも最初にエアコンを付けると、夏斗は手を洗って床に転がった。

 ひんやりした床も、ずっとそこにいるうちに生ぬるくなっていく。

 猛暑にげんなりしながら、夏斗はスマホを取り出した。

 ちょうどそのタイミングで、新着のメールを知らせる通知が飛んでくる。


「おっ、メールだ。えーとなになに……マジかやったぁ!」


 夏斗は床から飛び起きると、軽くガッツポーズを決める。

 メールの内容は、バイトの面接場所と日時を知らせるものだった。


 夏斗の両親は、仕事で世界中を飛び回っている。

 そのため夏斗は、小さい頃から世話焼きの祖父母に育てられた。

 高校生になってひとり暮らしを始めた今も、祖父母の孫を思う気持ちは健在で、毎月毎月お金を仕送りしてくれている。

 夏斗の生活費は、両親、そして祖父母からの仕送りの上に成り立っていた。

 ただ夏斗としても、稼ぎまくっている両親はともかく、じいちゃんばあちゃんにあまり負担を掛けたくない。

 そんなわけでバイトを探していたのだが、1週間ほど前、とんでもなく好条件のバイトを見つけたのだ。

 バイトの名前は『執事』となっていて特殊に見えるが、仕事内容は掃除や料理、洗濯などの家事が中心で、小さい頃からばあちゃんにあれこれ教わった夏斗の得意分野だ。

 7月後半から8月終わりまでの限定ではあるが、何と時給は4000円。

 飛びつくように申し込んだが、そこから1文字も連絡が来ず、半ばあきらめて他のバイトを探そうとしていた。

 ところが今日になって、面接の通知が来たわけである。


「えーっと時間は明日の14:00か。場所はこの住所に行けばいいんだな」


 明日は金曜日で平日だが、ちょうど良く明日から夏休みが始まる。

 だから14:00という時間もまるで問題にならない。


「ふふっふっふ~」


 まだ受かったわけでもないのに上機嫌になると、夏斗はバイトの件でばあちゃんにラウィンを送るのだった。




 ※ ※ ※ ※




 そして翌日。

 メールに書かれていた住所に到着すると、夏斗はあんぐり口を開けた。

 とんでもない豪邸がそびえ立っている。

 そして門の前には、警備員らしき凛々しい女性が立っていた。

 真夏だというのに、真っ黒の制服をビシッと着こんでいる。


「あの……」


 圧倒的な話しかけづらさを感じながら、夏斗はおずおずと声を掛けた。


「バイトの面接場所の住所にここが書いてあったんですけど、合ってますか?」

「はい、こちらで合っております。お待ちしておりました」


 警備員の女性はそう答えると、大きな門を開いて夏斗を招き入れる。

 何がなんだか分からず混乱しながら敷地に入った夏斗は、完全に見逃してしまっていた。

 門の横にある表札に《霜乃木》と書かれていたことを。

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