第9話

夏休みが終わり、晴彦の教室には再び日常が戻ってきた。晴彦は例の如く、一人でスマホをいじって過ごしていた。


数週間前、親戚の家で突然倒れた晴彦は、病院で検査を受けたが、異常は何も見つからなかった。だが、その一方で心の奥底には、不思議な夢と鏡の関係が引っかかっていた。


その後、倒れる際に鏡を手放さなかったことから、親戚は鏡を晴彦に譲ってくれた。晴彦の本音は鏡は不気味で要らなかったのだが、何故か取り付かれたようにその鏡を家に持ち帰ってしまった。


教室の日常に戻り、美玲が教室に登場すると、その場の空気が一変した。


「おはよー」


彼女が明るく挨拶すると、教室全体が華やいだ。晴彦も内心で美玲の存在感に感心していた。


美玲の明るい挨拶が次第に近づき、晴彦の席まで来ると、その声が突然止まった。美玲は晴彦の姿を見た後、ゆっくりと深呼吸をした。そして意を決した表情で晴彦にそっと声をかけた。


「おはよー、晴彦!」


晴彦はの返事は決まっていた。いつものように冷たく返事をするのだ。

「いちいち挨拶しなくてもいいよ。」


すると頭の中に夢の中で町娘が言った言葉が響き渡った。


「嘘で女を泣かす男は許さない!」


晴彦の口から信じられない言葉が出た。


「おはよー、いつも挨拶してくれて嬉しいなー。」


晴彦が今まで隠し続けてきた美玲への本音が何故か強制的に言わされてしまった。


美玲は予想もしていなかった晴彦の言葉に驚き、一瞬固まってしまった。その瞬間、時間がゆっくりと進むように感じた。美玲の心は混乱と驚きでいっぱいだったが、その驚きは徐々に喜びの感情へとシフトして行った。晴彦から長い間、冷たく接しられてきた美玲がようやく優しい言葉をもらえた。その言葉が彼女の心に深く響き、自然と満面の笑みが広がった。


美玲の喜びは感動に繋がり大きな瞳から一筋の涙となって頬を伝い落ちた。その涙は教室の明るい光に照らされ、ひときわ輝いていた。涙する美玲の姿は美しく、そして神々しくもあった。


「いやっ、あの、さっき言ったのは違うんだ!」


晴彦は必死に言い訳をして先ほどの発言を取り消そうとしていたが、美玲のあまりの美しさに見とれてしまい固まった。しかし、晴彦はトラウマを抱えていた。何度も自分の中で先ほどの発言は危険だと警鐘が鳴り響いていた。晴彦の中で沢山の葛藤があったが、最終的には、久しぶりに見た美玲の満面の笑顔を曇らせる事は出来ず、自分が言った言葉を取り消すことを諦めた。その為、ずっと嘘をつき美玲に冷たく接してきた晴彦は3年ぶりに正直な気持を伝えたことになる。


「晴彦がそんな風に言ってくれるなんて!」


この時の美玲の笑顔をクラスメイト達は見たことがなかった。


その時、周囲からは複数の”ドサッ”と言う音が聞こえた。周囲のクラスメイト達も美玲の美しさにに見とれ、それぞれ授業の準備で手に持っていた教科書や筆記用具を思わず床に落としてしまったのだった。


晴彦にとって幸いなのは、皆が美玲に見とれていたおかげで誰も晴彦に嫉妬する余地が無かった事である。しかし、この時を境に晴彦の日常は確実に変わり始めた。

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