第九話 稀代の悪女の真実②

 あなたと暮らした日々を――七年もの歳月の全てをなかったことにされた、その事実がただただ辛かった。

 平民として生きた穏やかな毎日に戻りたいと、心から願いました。しかしそれはそう簡単に叶うことではありません。

 たとえ再び逃走が成功したとしても、見つかってしまうという結果は同じなのでしょうから。


 しかしどれほど哀しくても、私は歩みを止めているわけにはいきませんでした。常に私のそばにはあなたがいたのですから。


 私はあらゆる手段であなたを守ろうとしました。あなたのことが大切だったから。恋しかったから。


 四度目の人生では、悪の根源である人物と出会わぬように努め、できるだけ目立たぬようあなたと二人で生きようとしました。

 ですが結局、うまくいかなかった。出会いたくない人物は外遊などと称してどれほど回避しようとも向こうからやって来る。そして最後にはあなたを殺すのです。


 あなたが暗殺されぬよう、婚約の解消を提案したこともあります。

 けれどもあなたは絶対に私と別れてはくれず、「オリヴィアがいい」と切ない声でおっしゃるではないですか。

 そしてあなたとの婚約は王妃様と母の約束でもありましたから簡単に違えることもできず、最後にはあなたは語りたくもない末路を辿るばかり。


 どれほど足掻いても、私の足掻きなど無駄だと言わんばかりに運命が嘲笑ってきました。


 私が病弱だという設定にしても、はたまた馬鹿のふりをしても、全てが無意味。

 私のことを「オリヴィア」と呼んで慕ってくださるあなたは、成長するにつれて格好いい少年になっていくあなたは、成人することなくいずれ死んでしまう。


 私の心が弱いせいで。


 九度目の世界に至った時、私は覚悟を決めました。

 諸悪の根源を叩き潰すことにしたのです。


 あなたを伴い、公の場で父の悪行を告発しました。

 隣国と密通し、ウェーゼム王国の情報を流していること。本来は第三王子スチュアート……あなたと婚約している私オリヴィア・プラウズを、隣国の皇子に差し出す約束をしていること。


 私が次々に述べるその事実を隣で聞いていたあなたはそれはそれは驚いていましたね。

 父であるプラウズ侯爵は滑稽な顔で無実を訴えていましたが、私とて無駄に何度も繰り返してはいません。確実な証拠をいくつも掴んでいたのです。


 当然、隣国との戦争が起こるだろうことはわかっていました。

 それでも私は構わなかった。戦争くらい、いくらでも乗り越えてみせる。その覚悟でしたから。


「一緒に生き延びてくださいますか」

「うん。いいよ」


 私が差し出した手を、あなたは躊躇いなく取ってくださいました。

 そして私は長年――そう、それこそ繰り返していた時を換算すると何十年という時間です――の想いをやっと口にしたのです。


 愛しています、と。

 あなたはそれに僕もだよと答え、微笑んでいらっしゃいました。


 ……その直後、胸を貫かれて倒れるなど、ご自身でも予想できなかったでしょうけれど。

 あなたはまたしても命を落とされたのです。口付けを交わす暇もないままに。




 実は隣国と癒着しているのは父だけではありませんでした。

 ウェーゼム王国国王、つまりあなたの父であった人でさえ、あなたを裏切っていたのです。


 プラウズ侯爵令嬢である私に某所で一目惚れし、強く求めるようになった隣国の皇子。最初は断っていたものの、隣国にある豊富な資源を条件に出され、最後には首を縦に振った……それを知ったのは、あなたが殺されてすぐのことでした。

 陛下は実は王妃様ではなく愛人の娘や息子に入れ込んでおり、正妃腹の息子などどうでも良かったのでしょう。


 父に隣国、果ては国王陛下まで。

 皆が皆、あなたを殺そうとしていたわけです。どうりで死という運命から逃れられないはずでした。


 それを理解した時、それまで心で静かに燃え続けていた炎が消えてしまったような、そんな気がします。

 私が婚約者であったがために、あなたは死んでしまった。たとえ私が全力で抗おうとも相手には到底勝てるわけがない。


 愛するあなたと、結ばれることはないのだと思ってしまったのです。


 しかしそれでもペンダントを握りしめたのは、せめてあなたにだけでも幸せになってほしかったから。

 あなたが九度も殺されたのは私の責。ならば、その償いをしなければならないと思ったからでした。




 さて、十度目の人生はあなたのご存知の通りです。

 私は誰にも冷たい『氷の令嬢』として振る舞いました。決して誰にもつけ込まれぬように。そしてあなたに愛されてしまわないように。


 悪役になっても構わない。

 なんとしてもあなたを害した者たちを殺してやるのだと、作戦を立てていきました。


 まず最初、父に代わって隣国の皇子と積極的に関わり、相手に早々に恋心を持たせてから手駒とします。


「時が来るまでは第三王子スチュアート様に死なれては困ります。どうか、信頼の置ける者をつけてやってくださいませ」

「他国に禁忌の呪術があると聞いたことがあります。第三王子を殺める時に使いたいので呪術に関する本などを取り寄せていただけませんか」


 ゆくゆくは皇子殿下と結ばれるため。

 そうとさえ言っていれば、彼は私の思い通りに動いてくれました。


 禁術や呪具などについて色々と情報が手に入りました。

 その中で最も有用だった情報は三つです。そのうち一つは、何度も時を戻してくれたあの蒼のペンダントについて。

 本によれば、あれはなんと呪具だったというのです。

 私の母方の祖母は呪術のある国の出身で、プラウズ侯爵家へ嫁いだ時、お守り代わりに母が持たされたのでしょう。あのペンダントに嵌められた石は願いを叶える代わりに術者に不幸を与えるというとんでもない代物でした。

 もしも。もしもあの時私が祈ることがなければ。

 そう考えないわけではありませんでしたが、つまりそれはあなたが本当の本当に死んでしまっていたということ。それくらいなら、私が不幸になるくらいどうでもいいことでしたから、後悔はしません。


 ――さて、話が逸れましたね。呪殺について語りましょう。


 もちろん、私があなたを殺そうはずもありません。

 禁術を使用した相手は他ならぬ皇子、そして父と国王陛下です。その呪いは全身を激痛と共に蝕みながら衰弱させていくもので、皇子は呪いが強くなり過ぎてが一瞬にして死亡、父は一月ほどで命を落とし、国王陛下もあと一歩というところまでいきました。

 残念ながら国王陛下が亡くなる一歩手前で私の行いがつまびらかになり、解呪されてしまいましたが。


 私が悪女と糾弾され、処刑されるであろうということはずっと前からわかっていました。

 そのつもりで私は十度目の人生を過ごし、あなたとろくに言葉を交わすこともなく生きてきたのですから。


 最期に思い残すことがあるとすれば、今世であなたに一度も口付けられなかったこと。

 ――身勝手だとはわかっています。

 あなたに私を愛してほしくないからこそ演じてきた『氷の令嬢』。このままこの世を去ればあなたにはただの悪女として記憶されるだけだというのに、わざわざあなたの心に私の姿を焼き付けるようなことをするだなんて、愚かにもほどがあります。

 それでもどうしても、あなたを味わいたかった。


 これを書いているのはまだあなたに今世の別れを告げに行く前です。

 その口付けの味は、私の胸にだけ秘めておくこととしますね。




 先ほど私は今世と記しました。

 今世、様々な道を辿っては失敗した挙句、呪いに手を出して処刑されるというこの道を選んだ。私の名は稀代の悪女として語り継がれることでしょう。

 しかしやはり私はあなたとの幸せを諦めきれません。ですから、私の希望を来世に託すことにしたのです。


 ここまで読んで、あなたにならお気づきいただけたでしょう。

 三つ目の有力な呪術、その正体を。


 彼女は私の親族の娘として生まれる子。

 本来そこに植え付けられるはずの新しい魂ではなく、私の魂が入り込む。禁術の中の禁術、転生と呼ばれるものです。


 その代償として私は今世での記憶の全てを喪失します。

 ですから、あなたと生きた十度の人生も、あなたへの想いも覚えていられない。あの日々は正真正銘『なかったこと』とされてしまいます。


 それでも私は構いません。


 魂だけを引き継いで彼女は何も知らぬままに生まれ、生き、あなたに出会うことでしょう。

 そして彼女は本能のままにあなたに惹かれ、そのうちにあなたを心から愛おしく思うようになるはずです。


 あなたは、とても素敵な人ですから。


 ――あなたが彼女を愛してくださるだろうと信じて疑わない,この愚かな悪女をどうかお許しくださいませ。


 スチュアート、あなたを心よりお慕いしておりました。

 キラキラ輝く銀髪も、凛々しい琥珀色の瞳も、私を呼んでくれるその声も、あなたの何もかもが愛しいのです。

 三度目の世界で私を守ってくださったこと、私がいいと言ってくださったこと。本当に嬉しかった。ありがとうございました。


 オリヴィア・プラウズは死にます。処刑台に行く直前にペンダントを破壊するので、二度と過去には戻れません。しかしその代わり、あなたは無事に生き残ってくださるでしょう。

 ですからどうか私のことは忘れ、隣にいる彼女と幸せになってください。


 それが私の、最期の願いです。』

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