第七話 呪いを解く時
スチュアートは今まで、胸の内の本音を曝け出したことはなかった。
悪女オリヴィアのせいで心に傷を負い、女嫌いになった――これが周囲の共通認識。彼がオリヴィアに心底惚れていたことなど、誰も知らない。
それを打ち明けるのには勇気が必要だった。もしもオリヴィアのことを知る者相手なら決して口にしなかっただろう。
しかし、オフィーリアはオリヴィアの存在を知らされていない。だから、言える。
スチュアートに婚約者がいたと聞いたオフィーリアの反応は思っていたより薄かった。
小首を傾げ、彼女は訊いてくる。
「あら、そうですの? 初めてお聞きしましたわ! どうしてその方とはお別れを?」
「……処刑されたよ。
オリヴィア・プラウズ。名前くらいは聞いたことがあるんじゃないのかい? 国家転覆を狙った稀代の悪女。かつては『氷の令嬢』とも呼ばれた」
そして。
「煌めく金髪に静かな青の瞳。顔立ちや声まで君の生き写しのような、美しく聡明な
告白されてしまった以上は仕方ない。こちらも本心からの言葉をぶつけよう。
そう決めて、スチュアートは全てを何一つ包み隠すことなく語り始めた――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
オフィーリアはただじっと最後まで聞き入っていた。
普通、自分と瓜二つの人物が過去にいて、それが稀代の悪女だなんて急に言われても信じられる者はわずかだと思う。なのに彼女は何も言わずに聞いてくれたのだ。
長々と過去を語るうち高かった陽は傾き、やっと話し終える頃には、花畑は夕陽で朱色に染め上げられていた。
おもむろに顔を上げ、すぐ傍で座り込んでいるオフィーリアを見つめる。間近で見れば見るほどオリヴィアと錯覚しそうになる彼女に、スチュアートは静かな声音で言った。
「……これが僕の話せることの全部だ。身勝手な話だと自覚はしているが、わかってほしい。この呪いはこれからもずっと僕を蝕み続け、逃れられないんだ。
いや――呪いなんて言い方、本当はするべきではないだろうな。ただ僕が弱いだけだ。僕が恋心を捨てられないだけだ。あの口付けを最後に心を凍りつかせてしまった。オリヴィアに責任を押し付け、理由を並び立てて、僕は今でもきちんと向き合えていない」
一体オフィーリアは何と答えを返すのだろうか。
素直に諦めてくれればそれでいい。頷いて、「わかりましたわ」と一言言ってくれと切に願った。
――しかし。
「ふーん……。そういうことでしたのね。道理で嫌われると思いましたわ!
最初スチュアート様が私と間違えていた方が、元婚約者の悪女さん。そして今もスチュアート様は、その方に心を縛られていると。それが私の求婚を断る理由ですのね?」
「……ああ」
「なら私があなたの呪い、解いてあげますわ!」
オフィーリアは――オリヴィアに瓜二つの少女は、元気よく笑いながら言った。
呪いを解く。
それはつまり、スチュアートの未練を消すということだ。
そんなことが可能なわけがない。できるのならば、とっくにやっているというのに。
それとも何か根拠があって言っているのだろうか。
「君がか?」
「私になら、きっとできますわ! だって私、その悪女さんとそっくりなんでしょ?」
実にオフィーリアらしい答えだった。
事実、オリヴィアとオフィーリアは奇妙なほどに似ている。だからと言って一体、何ができるというのか。
スチュアートの頬には思わず呆れの笑みが浮かんだ。
「まったくもって理屈になっていないじゃないか。気持ちは嬉しいが、無理だ。諦めてくれ」
「諦めるなんてしませんわ? だって私の直感が告げていますもの、私の旦那様になる方はスチュアート様の他にいないのだと!
そうそう、そういえばブラッドリー領の屋敷に、オリヴィア・プラウズという人物が書き残した手記があったような気がしますわ! 何せ幼い頃一度見ただけでしたから、うろ覚えでしたけれど……。それを読めば呪いを解く方法がわかるかも知れませんわよ! 今こそ呪いを解く時ですわ!」
「――手記?」
きっぱり断ろうとしていたスチュアートは、オフィーリアの発した言葉を聞き返さずにはいられない。
オリヴィア・プラウズの手記。彼女は確かにそう言ったのだから。
「そうですわ! 気になるでしょう? スチュアート様を招待しますわ!」
これはただオフィーリアが自宅に呼び込んで既成事実を作るためだけの嘘で、乗ったら最後かも知れない。
今までの天真爛漫な性格は全て演技で、本当はずっと前からこの瞬間を狙っていた可能性だってある。
それはわかっている。わかっているが、もし、彼女の言葉が真実であり、生前のオリヴィアを知れる物があるのなら――。
これはもう、話に乗るしかないだろう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ようこそ、ブラッドリー伯爵家本邸へ!」
田畑ばかりの、よく言えばのどかで悪く言えば閑散としたど田舎。
その中央に存在感を主張しながら建つ屋敷こそが、オフィーリアの生家だ。
王都から馬車で三日以上。
こうして他の貴族家に足を踏み入れるのは実に十五年以上ぶりである。
オリヴィアとの婚約期間中はずっと、互いの屋敷に呼び合っては茶会を開いていたものだ。もちろん『氷の令嬢』とだけあって彼女があまり話すことはなかったが、それでも毎度の茶会を密かに楽しみにしていた思い出がある。
それからは引きこもりがちだったし、そもそも第三王子であるスチュアートは王家にとってそれほど重要人物ではなかったので、誰とも会う必要がなかったのだった。
「お邪魔させてもらうよ」
少しばかり緊張しながらそう言って、先々進んでいくオリヴィアの後を追った。
屋敷の内装は質素で、かと言って貧しさは感じられず上品な飾り物で彩られていたりする。
使用人も程よい数配置されていて、住み心地が良さそうだ。
あたたかな陽光が差し込む廊下を歩き、向かった先はオフィーリアの自室。
長らく使われていなかっただろうその部屋からは侍女などが振り撒いたのか、ほのかに香水の甘やかな匂いが漂っていた。
「ここ……なのか?」
「この部屋の屋根部分に隠し部屋があって、そこで手記を見つけましたの! このことは家族も掃除メイドや専属侍女ですら知らないことですわ!」
「そんな大声で言ったら聞かれるんじゃ」
「確かに。失態でしたわね!」
それにしても本当に、こんなところに悪女オリヴィアの手記などという、国王を筆頭とした国の重鎮たちが見れば国が揺るぎかねないものが存在するというのだろうか。
それを確かめるため、オフィーリアの部屋へ立ち入ろうとして――躊躇った。
自分が入室するべきではないだろうと思ったのだ。
「僕はやめておく。君が手記を取って来てくれ」
「あら、どうしてですの?」
「未婚の女性の部屋を覗くなどはしたないだろう」
オリヴィアの部屋ですら見たことがないのに、出会ってまだ半年少しのオフィーリアの部屋にだなんて。
だが、
「そんなことはありませんわ! 遠慮せずお入りになって!」
オフィーリアに手を引かれ、結局は強引に連れ込まれてしまった。
異性の部屋というのはどうにも落ち着かない。
真紅のカーテンが引かれたベッドに目をやらないように努めながらしばらくの間待っていると、オフィーリアが一冊の本――否、手記を抱えて隠し部屋から戻ってきた。
「お待たせしましたわね! きちんとありましたわ、オリヴィア・プラウズの手記!」
「…………」
手渡された手記の表紙をまじまじと眺める。
そこには丁寧な字で『オリヴィア・プラウズ』との名前が綴られているだけ。
しかしそれだけなのに、スチュアートはたまらなく切なく、懐かしい気持ちになる。
見間違えるはずがない。この文字はオリヴィアのものだ。
この中に彼女の真実があるかも知れない。
いや、きっとあるに違いなかった。
目を閉じ、スチュアートは静かに息を吐いた。
すぐ隣にはじっと手記を見つめ、期待するような目をしているオフィーリアの姿。彼女は「さあ」と急かしてくる。
おかげでなんだか覚悟が決まった気がした。
「わかった。読もう」
手記を開き、最初のページを目にして、小さく息を呑んだ。
だって――。
『親愛なるスチュアート・ラ・ウェーゼム様に捧ぐ』
この手記がスチュアートに充てられたものなのだと、冒頭一文目に書かれていたのだから。
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