第六話 花畑にて、求婚

 オフィーリアと離れるということはつまり、彼女の姿をもう見られなくなるのだ。

 そして、なぜオフィーリアが悪女オリヴィアの生き写しなのか、その理由を知る機会も完全に失ってしまう。


 きっとスチュアートにはさらなる未練が残り続けることになるだろう。

 そう思うと勇気が出ず、話をなかなかに切り出せない。そんな不甲斐ない自分が嫌で嫌で仕方なかった。


 『秘書の仕事はもういい。親御さんが心配するからここに出入りするな』――とでも伝えればいいだけの話だろうに。


 思い悩むことが今までより多くなったスチュアートを心配して、オフィーリアが声をかけてくることが多くなった。


「最近なんだか元気がないように見えますけれど、どうしましたの?」

「何か力が出るものを作ってあげますわ! こう見えて私、料理が得意なんですのよ!」


 それにスチュアートは「ああ」やら「うん」と言うだけだ。

 そっけなくすれば彼女が離れていくかも……そんな淡い期待を込めて。しかし彼女はスチュアートを見捨てることなく、甲斐甲斐しく世話を焼いたり、かと思えば少し強引に外へ連れ出したりなどした。


 全く見放してくれる気配がない。

 どうしてなのだろうか、わからなかった。たとえ惚れていたとしても幻滅して当然だろう。だのに今も彼女はスチュアートの隣で笑い続けているのだ。




 近場にある花畑に連れて来られたスチュアートは、群生する花に埋もれるオフィーリアの姿を眺めていた。

 金髪が風にそよぎ、佇む彼女はまるで花の精のように美しい。


 オフィーリアに見惚れると共に、彼女が花の精ならオリヴィアは月の精だなと思った。


「綺麗ですわ! あちらの花とこちらの花、繋げれば花冠になるのじゃないかしら! でもやり方がわかりませんわね」


 そんなことを言いながら、しかしいつもの彼女らしくはしゃぎ回ったりはしない。

 ――彼女の目的は花摘みではないからだろう。


 スチュアートを振り返って、彼女は言った。


「ほら、ここなら誰にも聞かれないので大丈夫ですわ! 悩みがあるなら私に打ち明けてくださいませ! 私はあなたの秘書なんですもの!」


「…………」


 誰にも聞かれないということはないだろう、という言葉はグッと呑み込んだ。


 一応スチュアートも王族だ。有事の時に対応できるよう、常に護衛が見張りに立っている。

 お忍びの時などはそれと気づかれないような格好で追跡してきていたのだ。


 こうして警備が厳しくなったのは、オリヴィア・プラウズがスチュアートの自室へ忍び込んだあの夜からだ。

 犯罪者が王子と接触するなどあってはならないことだ。そう言ってそれまで緩かった警備が強化された。


 そんな過去を思い出しながらも、せっかくオフィーリアが気遣って機会を作ってくれたのだから生かさなければと考える。

 逃げてばかりはもうできない。はっきりと彼女に拒絶を告げるのだ。

 告げるしか、ないのである。


 でも意思に反して口は開かない。

 言ってしまえばそれは決定的な終わりだ。美しく朗らかな花の精オフィーリアが目の前から消え去ってしまう。

 それで本当に、いいのだろうか。そう思い悩んでいた時だった。オフィーリアがこんなことを言い出したのは。


「スチュアート様が話す気がないのなら、構いませんわ。今日は私から告げたいことがありますの!」


 彼女の青い瞳は真剣そのもので、彼女の言葉から逃れられなくなった。

 真紅の唇が吊り上がり、満面の笑みを浮かべながら彼女は、続けた。


「私、スチュアート様をお慕いしておりますの! 勝手かも知れませんけれど、婚約してくださると嬉しく存じますわ!」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 それは紛れもない求婚だった。

 普通、作法としては男性が女性の前に跪き、花束を渡すことになっている。だが奔放な彼女はそんなことなどお構いなしとばかり、自分から白い花一つを摘んで僕に差し出しながら告げてきた。


 懸念はしていたのだ。

 いつかこうなるのではないかと。だが、なるべく考えないようにしていた。


 オリヴィアと同じ顔で、声で、愛を告げられて平常でいられるわけがない。

 艶かしい唇。あの夜の口付け。昼間だというのに今が夜のように思え、オフィーリアとオリヴィアの姿が重なり、目の前に立っているのがどちらなのだかわからなくなった。


「……どうして」


 掠れた声が喉から漏れる。


「どうして僕に、惚れたんだ」


「そんなの簡単な話ですわ! あなたが素晴らしい男性だからですわよ! キラキラ輝く銀髪も、凛々しい琥珀色の瞳も、私を呼んでくれるその声も、あなたの何もかもが愛しいのですもの!

 ――結婚するなら、あなたしかいませんわ!」


 その力強い声で、スチュアートは現実に引き戻される。

 彼女はオリヴィアではない。あの夜、口付けを交わした、三歳上の幼馴染ではないのだと。


「ありがとう。でも、君の求婚は受け入れられない」


「どうしてですの? スチュアート様にはご婚約者もいらっしゃいませんし、問題ないのでは?

 ああ、それとも女嫌いでいらっしゃいますのね? それなら大丈夫ですわ! たとえあなたが女嫌いであろうとも、好きにさせてみせますから!」


 ここまで言われてしまっては、仕方ない。

 この求婚を受け入れるのは絶対に許されないことだ。いつか彼女を不幸にしてしまう。

 逃げ場はない。ならば後は、拒むだけ。


 もう心も決まった。本当は胸が苦しくてどうにかなってしまいそうだったが、やっとの思いで口を開き、言葉を紡いだ。


「違う。……オフィーリアは知らないようだが、実は僕は昔、婚約者がいたんだ」

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