溶ける氷菓と笑う君
白江桔梗
溶ける氷菓と笑う君
「いやいや、この時期は暑くてたまりませんなあ……」
「花のJKがなにオヤジ臭いこと言ってんだ。そんな無駄口叩いてる暇があったらさっさとそのアイス食べちゃえよ」
「むー、少し歳上だからって子ども扱いしてー!」
執拗に私たちへ降り注ぐ陽射しはどうにも私たちのことが嫌いなようだ。あるいは好きな子をいじめてしまう小学生のようなものか。……まあ、どちらにしたって、私たちが”彼”を好きになることはないけれど。
「あっ、見て見て、”もこもこ雲”だよ! もう夏になるのかあ……なんだかホントあっという間だね」
「もう、いい加減雲の名前くらい覚えなよ。あれは『積乱雲』、授業でやってんでしょ?」
「いいや、あれは”もこもこ雲”だね。二人で一緒に名前つけたじゃん。忘れちゃったの?」
「それ何年前の話さ……てか、だいぶ溶けてるじゃん。ドロドロのアイスなんて美味くないでしょ」
忘れてなんかいない。でも、あれは『積乱雲』なのだ。それ以上もそれ以下もない。
空に浮かぶあの大きな雲も、やたらと服に引っつくあの種子も、菜っ葉にイタズラするあの虫も、全て私たちの言語の中に存在していた。私たちは全ての名づけ親だったのだ。両親に通じなくても、彼らは私たちの中で確かな居場所をもっていた。
……だけど現実は違った。私たちがつけた名前は全てまやかしで、所詮は子どもの戯言に過ぎなかった。全知全能かと思い上がった蛙は大海を見て圧倒されるしかないのだ。潮の匂いも、川のせせらぎすらも知らないおたまじゃくしは、ただその身を萎縮させるしかない。
「食べ物は腐りかけ、溶けかけが一番美味しいってよく言うでしょ? つまり、今が食べ頃ってこと! 私はこの時を待っていたのさ!」
「後半は知らねえよ。しかも溶けちまったら、それはもはやアイスと言わねえだろ」
「チッチッチッ、分かってないねえ。形が変わっても、これはアイスのままだよ。『形状変化』ってやつ!」
「それを言うなら『状態変化』……って痛ッ!?」
少し膨れっ面になった彼女は空いた手で私の脇腹を小突いてきた。どうやら逐一訂正されるのが気に食わないらしい。
「もう……そういえば、都会の暮らしはどう? ご飯とかちゃんと食べてる?」
「あー、まあぼちぼちかな」
夢を追いかけて飛び出した都会は良い気になった私の鼻を折るには充分だった。昔母が吹いていたサックスに憧れて専門学校に入学したところまでは良かったが、この小さな町で少し上手い程度の私より周りは優秀な人間ばかり。才能という二文字が烙印のごとくこの身を焼いた。
「なにその反応! こんなに可愛い歳下の幼なじみが心配してあげてるっていうのに……ってあれ?」
ぽつりぽつりと雫が空から零れてくる。全く、この季節は油断も隙もあったものじゃない、瞬く間に雨の勢いは増していく。
濡れることを許容した私はただぼんやりと空を見上げていた。なんだか私の代わりに泣いてくれているようで、心地良さを感じていたのかもしれない。
以前はあんなに濡れることを気にしていた髪も今となっては何も感じない。母に憧れて伸ばしたロングの黒髪を鬱陶しく思い、ばっさり切ってしまうくらいには私の夢への熱意は薄れてしまっていたのかもしれない。
「何してんの!? 風邪引いちゃうじゃん! ほら、早く行くよ!」
「は? いや、ちょ……!」
彼女に強く手を引かれる。横から彼女の横顔を覗くと、溶けたアイスで白く汚れた彼女の口元は雨と共に流れ落ちていくのが見えた。
幼い頃の思い出がフラッシュバックする。全ての可能性を信じていたあの日、星に手が届いたあの日、太陽よりも輝いていたあの日。キラキラと輝く雨粒は私の眼を眩ませる。
「ねえ!」
半ば引きずられるようにして走っていると、雨の轟音に負けじと彼女が大声をあげる。昔は私の方が引っ張っていたのに、今や彼女の方が頼もしく見える。
「このまま雨と一緒に溶けちゃえれば良いのにね!」
「はあ?! 今何て――」
それでも彼女はあの日と変わらず、私の手を握っていた。
「雨と一緒に流れて、海になって、雲になって……そしてまた、雨として君の頬を伝ってあげる! そしたら――」
古ぼけたバス停、辛うじて屋根がある程度の建物に押し込まれる。よろめきながらも何とか体勢を立て直し、ボロボロのベンチに座り込む。
座った私は彼女を見上げると、雨は次第に勢いをなくし、雲の隙間から太陽が覗いていたのが目に写った。彼女は私の頭をギュッと抱きしめる。太陽の光を乱反射させる彼女の濡髪は私の首筋をなぞった。
「そしたら、何度でも貴女の涙を隠してあげられるから」
――太陽よりも眩しく、そして、びしょ濡れな笑顔で君は笑った。
溶ける氷菓と笑う君 白江桔梗 @Shiroe_kikyo
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