宗教不要論と自然に自由意志は無い話

マックガフォッグさんは、スコットランド教会に属し、

奥さんはイングランド教会に属していた。


しかも、夫妻は一緒に、朝は一方の礼拝所に行き、

午後はもう一方の礼拝所にゆくことにしてあった。


そして、いつでも俺を連れて行った。


私は相反目している双方の説教をきいた。

というのは、両方の説教は大抵は

めいめいの宗派の教義の考えを言ってしまうか、

対立する宗派の考えへの批判かしかないのだ。


しかし、マックガフォッグさん家では4年住んでいたが、

旦那さんと奥さんの話を聴いても、

家には宗教上の対立はしていなかったようだった。


当時、私のライフワークは、

真の宗教とも呼ばれる

「The True Religion」の創設に関して思い馳せていた。


矛盾なく宗教の統合をなそうとしていたのだ。


そうして、私は自分が読み、または自分が説教者から聴く

世界中のありとあらゆる宗教の全てのものが、

いずれも皆が皆、自分が「真の宗教」だと主張しているように見えて。

しばらくはいたく迷ったものだ。


俺は研究に研究を重ねて、

注意深く、一つの宗教を他の宗教と比較した。


私がはなはだ宗教的な性向なので、

正しい道とは何か?ということにすごく興味があったからだ。


しかし、色々な宗教を調べれば調べるとともに、

聴き、読み、考えることが多くなるに連れて、

私は

キリスト教徒にも、

ユダヤ教徒にも、

イスラム教徒にも、

儒教教徒にも、

偶像崇拝者にも、

みんなますます不満を抱くようになった。


私は彼らのすべてのものの基礎を真剣に研究し、

いかなる原理にそれらのものが基づいているのかを確かめようとし始めた。


自分の研究が終わらないうちに私は次の重要なことを知った。





「すべては同じ源から流れ出たのだ」




宗教の違いはわれわれの古い祖先の誤った想像からできているのだ。


人間とは自分自身の本性には、

無知で、経験がなく、いい加減の思い込みに支配された時に

形作られる。


それは大抵の場合、

はじめから地球が動かないものだという誤った事実と遠いものであると。


事実とは異なることを信じることは、

全くいやいやながらのことで、

そして、心の内で長い間、争い尽くした挙げ句、

キリスト教陣営に参加していた自分の最初の深く根ざしていた価値観が崩壊した。


しかし、キリスト教徒への信仰を振り捨てるのを余儀なくされたのと同時に、

他の一切の宗教全てを全否定する結論に至った。


けだし、それらが皆が皆、

「各個人は、彼自身の性質を形造り、彼自信の思想・意志および行動を決定し、それ故にこれらの悪に就き、神および同胞に対して責任を有するものである。」

という、同じ誤った想像の上にたっていることに気づいたからだ。


俺自身の反省は、俺を駆り立たせた甚だ違った結論に到達せしめた。

俺の理性は俺に教えた俺は俺自身の諸性質の一をも、

自ら造ることはできない。


俺らを決めるものは何か?それは自然によって、強制的に俺に決定させているものだ。


俺の言語・宗教・習慣は身の回りの社会によって、

俺に強制されたものだ。


かくて、俺は、

全くもって社会の子であり、自然の子である。


自然は諸性質を、俺たちに与え、

社会はそれらを俺たちに導く。


と、かくて、俺は、俺たちの先祖の間違いを見ることによって、

人に教えられてきたありとあらゆる宗教への信念一切の放棄を強制された。


しかし、俺の宗教的感情はただちに、

どこにでもある普通の慈愛の精神へと取って変えられた。


一宗派、あるいは一党派のためでもなく、

あるいは一国家、あるいは一人種のためではなく、




人類のために、

しかも、人類に善きことをなさんとする

真実の燃ゆるのぞみをもって。

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