2節ロンドンへ出発

大人の生き方とほぼ無給の店員時代へ

父さんは、

僕をウェルシュプールへ連れて行って、

そこからロンドン行きの馬車に乗るために、

シュウスベリへ向かったよ。


その頃、

なにかロンドン行きの公の交通機関があるところでは、

シュウスベリが一番近かったからだよ。

僕はこうしてシュウスベリからロンドンへ出発したんだ。


馬車に乗られる際、

窓側の席が僕のために空いていた。

そこに座ることになった。


夜でも馬車乗ったまま

旅を続ける見込みだった。


馬車の持ち主は僕の家の人を知っていたから、

僕を車内に入れようとした。


その時、

気難しい人が

僕の分しか料金を支払わなかったので、

僕を車内に入れるのを拒もうとした。

まさか子どもだけで馬車でロンドンへ行くと思ってなかったのだ。


あたりは暗く、

僕はその拒んだ人の姿を見ることはできなかった。


馬車がどんなに混み合ってるか分からなかった。



その時分、馬車は6人乗りで、

僕はあとで、僕が拒んだ人が誰か分からなくて嬉しかった。


僕はその拒否者が最後まで分からなかった。


だからその一人の子どもが、

車内に入るのを拒んだことに対して、

馬車の持ち主に怒れなかった。


いや、怒るところだった。

当時は僕も十分に性格形成されておらず、

生きとし生けるものに対する境遇のいろいろな影響を知らなかったんだ。

子どもというだけでナメられるもの。


知っていれば、僕はそのような行為に

いちいち怒ったり驚いたりしなかったはずだ。


僕は無事にロンドンに着いて、

僕をいつも好いていた兄に心から歓迎され兄嫁にも極めて親切に僕をとりなした。



父さんは、

ラドゲイト・ビル六番地に住むその友人ヘプチンストールさんに僕を紹介する手紙を出してくれていた。


へプチンストールさんは、

大きな衣服の内外レースの大商人だった。


そして、

僕が勤めるムーアさんはニュウゲイト街100番地の

ティルスリさんに僕のことを手紙でやってくれていた。


ティルスリさんは当時、相当大きな洋服店を開いていた人だ。


これは1781年のことだった。


兄の家を訪れて、

六週間近く滞在した。


へプチンストールさんは僕に、

ジェイムズ・マックガフォッグという人の家に奉公口を探してくれていたんだ。


へプチンストールさんは、

マックガフォッグさんのことを、

リンコルンシャーのスタンフォードに

地方の街としては大きな商売をやっている人物として大層褒めていた。



僕に出された条件はこれ。

・3年間働くこと。

・1年目は無給。

・2年目は8ポンド(現代の日本では約14万円/年間)

・3年目は10ポンド(現代の日本では約17万円/年間)

・その家に寝泊まりして食事洗濯は先方もち。

これらの条件を承諾した。


それに僕には1年以上は着ることのできる、

衣服があったりしたからね、

その時から10年間は僕は両親から何の補助も得ないで生計を立てていった。

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