僧侶家庭教師ダンへの感謝と後悔

やっぱり、

僕が6歳から8歳の頃だと思う。


ジェームズ・ダンという人物が家庭教師になった。

彼は宗教家を目指すために、

オックスフォード大学かケンブリッジ大学かだったと思うけど、

そこで勉強していた。


ある休暇に、父の実家であるニュータウンを訪れた。

先生に毎日相手をされた。


家庭教師は19歳、僕は8歳だ。



ニュータウンの近場が面白く景色のいい場所だった。

これは有名なことだと思う。


ダン先生が、うちで滞在していた間、

四方の美しい景色観光を段々と行い、

森や小道や小高い丘をたくさん歩き回った。



僧侶を目指す家庭教師は面白い人だった。

めちゃくちゃ話題が豊富で、多趣味でめっちゃ面白い会話が続いた。


このような遠足やめちゃくちゃ面白い会話で、

その後、僕が自然のありとあらゆる姿を観たとき、

いつも感じる人より偉くなった感じが、

年と共に、年々強く感じるようになっていった。

僕は他人と違うんだ。

という感じを、

僕の心の中に引き起こしていった。


ダン先生がいなくなるまでこの考えが続いた。




ダン先生はオスウェストリのダン博士として、

世界中に広まるようになった。

ダン博士は尊敬を多く集めた人物になったんだよ。


僕とダン博士の文通は多くなった。


僕が1817年に、シティ・オブ・ロンドン・タバーンで行われた

庶民にも公開された大集会によっって、

この文化社会の「考える精神」を呼び覚ましていた頃、

この大切な友人ダン博士から一通の手紙をうけて、

僕はびっくりしたんだ。



それは、博士がうちの家系図を調べるという、

めちゃくちゃ面白い仕事をしていたんだ。


僕が北ウェールズ侯爵家の正統な末裔だ!

ということを発見した知らせだった。


ダン博士はとっても善人だった。


疑いもなく、博士はそれが僕を喜ばすだろうと思って、

だから、親友の彼は粉骨砕身頑張ったのだ。



しかし、その当時、

社会の課題発見や問題解決を手広くやっていた、

うちの商売が心の多くを占拠していたので、

先祖のことなどはあまり気にしなかったし、

その当時、何も調べもしなかった。



こうした事情で、

僕が博士に十分にお礼を言わなかったのは、

僕は今でも悔やんで悔やみきれない。

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