年上だから偉い?1位と負ける人

自分の子ども時代を振り返ってみて、

また、この長い子ども時代のおかげで、

僕の習慣・思想・行動に同級生とは異なるものになるなぁとは、

思いもしていなかった。


でも、

過去を振り返ってみて、

僕の過ごしてきた暮らしは、

他の多くの人と比べてみると、

自分と何が違うかは、

フラムマリ事件で瀕死の状態になったからだ。

その死にかけた経験が他の子どもと異なる人生を歩ませた。



僕は食べるのも、飲むことも

他の子どもたちと同じものは食べられなかった。


だから、

他の子どもたちに比べて、

節約的な生活だったし、

もはやお爺さんのような、

隠遁者<<ハーミット>>の暮らしをしないといけなかった。



とはいえ、それは飲食生活だけ。

自分と同じぐらいの仲間の遊びには加わり、

その産業革命時代やその地方では行われていた、

マーブルスやハンドボールやフットボールなんかのゲームもやった。


しかも、

僕はダンス学校にも通っていたし。



僕はこれらのすべての対戦や一人運動でも、

僕は同い年の子どもたちばかりだけではなく、

2つ上、3つ上の年齢の子どもと遊んでいたけど、

僕の方が色々上手かった。



しかも、

僕はすごく元気で活発な子どもだったので、

学校中で一番走るのが速かったし、

一番ジャンプ力もあったんだ。

そのジャンプは高跳びもだし、幅跳びもすごかったんだ。


さらに、

音楽の勉強もして、

クラリネットも習おうとした。


実家が何もない田舎で、

街のド真ん中にあった関係で、

新米のうちは下手な演奏が、

近所迷惑になっていただろうなぁと思う。


僕がやった英国国歌やその他の歌や、

ほぼほぼ街中に響き渡っていたことだろう。


でも、誰も我が家に苦情を言ってくる人はいなかったと記憶してる。



僕は街中でめちゃくちゃスーパースターの人気者だったから、

同い年の子どもや年上の子どもと、

色々なゴチャゴチャがあった。



特に年上からのやっかみに関しては、

なんて道理に合わないか?

実際、上というものが如何に有害か?

僕はその後の人生でも思い知った。



一つ一つのこんな事例が、

僕の心に深く刻まれた。



ある年上の連中が、

僕の字の方が2つ上の次兄のジョーンよりも上手いか?

で、博打をしていた。


やがて、

審判官も定められての、

公式試合で、その判定の結果、

「僕の字の方が上手い。」

ということになった。



でもね、僕自身はその時は、

お兄ちゃんとそんなに字の見た目は変わらないと思っていたんだけど、

その日から優しい兄ジョーンの私への愛情は逆にめきめきと強くなって、

つまらない喧嘩にならずに済んだんだと思った。





成功者には虚栄心が与えられ、

失敗した者には嫉妬と憎悪を植え付けられるのだ。





このような兄弟という2つの違う個人が、

同じ組織ではないのだから、

この2つの組織が激しく競争したとしても、

どのように頑張ってもちゃんと努力していたとしても、

公平な比較はありえないのだから。

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