僕と三人の令嬢と宗教の炎

この頃、

8歳から9歳のことかな、

三人の令嬢が僕と親しくなったんだ。



その女の子たちは、

メソジストだった。

いわゆる新興宗教の信者だった。



彼女たちは僕のことにかなり熱中していてね、

娘さんたちの本を読め読めとかなりたくさんくれた。



僕自身、宗教には興味があったから

その人たちは彼女たちの風変わりな信仰に勧誘して、

僕を改宗させようとしたんだけど。



僕自身は別に彼女たちのことは嫌いじゃないし、

僕は彼女たちが僕の熱心なファンであったし、

そのおかげで、その宗教の新興宗教の本も読破したよ。



ところが、

ありとあらゆる宗教の本を読み込んで思ったことがあったんだ。


最初に気づいたのは、

キリスト教の内部対立。


ほかにも、

ユダヤ教徒とキリスト教徒、回教徒、ヒンズー教徒、儒教徒、

の数々の間にある

偶像教徒<<ベーイカンズ>>や

不信神者<<インフイデル>>との間の、

なんでこんなにも憎み合うのか意味が分からなかった。


これらの争い合う、自分たちの信仰について、

彼らがお互いを憎み合うことは、

これらの宗教が正しくは無いんではないかという疑問に陥れた。

どの宗教も本当のことを言っていないと僕は思いはじめた。



この宗教を巡る大問題は僕のしばらくの研究テーマになった。

僕は3つの説教文をこの8歳から9歳の頃に書いた。


だから、

小さな牧師とこの頃、すでに言われてたんだ。


この3つの説教文は、

スターンの著作集にがっちゃんこした。


しかし、その集の説教文の中に、

読んでみてみると、

私にはどうも自分が文章をそっくりそのまま盗んだんだと思うほど、

思想や傾向がめちゃくちゃ似た文章を3つも見つけた。


だから、そんな疑いを滅するのがたえがたく、

僕の文章を火に投げ込んでしまったんだ。


そんなことをしたことを、

僕はすごく残念に思ったことだ。

自分がその時にどう思っていたのか?

自分がその時どう考えていたのか?

自分がどんな風に表現していたのか?

今も知りたいと思うからです。



しかし、たしかに、自分の宗教の本への熟読は、

他の読書と混ざって言って、

十歳の私に、

その頃までに教えられてきたような、

一切の宗教にはどうしても

何か根本的に誤ったものがあるに違いないと、

強く感じていった。

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