今や遠きエトワール
白江桔梗
今や遠きエトワール
――圧巻だった。それはもう、筆舌に尽くし難いほどに。
会場は割れんばかりの拍手に包まれている。演者を讃え、激励を贈るために鳴る音は確かにこの耳に届いていた。
……だから一層、私の手から鳴る音は渇いて聴こえたのかもしれない。
幕は閉じ、照明が灯る。帰宅を促す放送を切り目に、人々は帰路に着こうとする。彼らは「良かったね」なんて賞賛の声を漏らしながら、出入口に吸い込まれていく。コツコツという足音はまるで私を急かしているようで――私は無意識に松葉杖を強く握っていた。
人の波が一段落した後、松葉杖に支えられながら私はゆっくりと立ち上がり、ついぞ私が立つことのなかった舞台を見つめた。
故障が原因で、などと言えば聞こえは良いが、その実、私は逃げただけである。怪我をした時に真っ先に感じたことは心配でも痛みでもなく、安堵であったことが全てを物語っている。
「……
あの日と同じように、私は舞台に背を向ける。もう治っているはずの脚を引きずるようにして、私はホールを後にしようとする。一歩、また一歩と踏み出す度に空っぽのホールには無機質な音が響く。それに呼応するように頬に何かが伝っていった。
――羨ましい? 全ては私がこの手で手放した未来なのに。
――憎たらしい? 彼女たちは私が捨てたものをただ大事に抱えているだけなのに。
喉の奥につっかえた”何か”がもぞもぞと蠢く。私に寄生したそれはゆっくりと、されど着実に大きくなっている。
きっと、あの選択は間違いではなかった。鏡の前に立つだけで激しい動悸に襲われ、視界が揺らぐほどだったから。でも、きっと正解でもなかった。もしそうなら、この瞳からは何も零れないはずだから。
自分で決めたことのはずなのに。私は後悔という足枷を着けたまま、重い鎖をずるずると引きずり続けている。引きずり続けていればいつか削れてなくなると誰かが言っていた気もするけど、引きずった時にできたこの枷の痕はどうやったら消えるのだろうか。
「あーあ、こんなことなら初めから何も知らない方が幸せだったのかなあ……」
頬を流れる雫のように輝かしい舞台から流れ落ちてしまった私は、宙を眺めるながら手を伸ばすことしかできない。そう、悔恨の海に沈んだ私はもがき苦しみながら、酸素を求めて空へ手を伸ばし続けることしかできないのだ。
もう二度と届くことのない――今や遠き、かつての星に。
今や遠きエトワール 白江桔梗 @Shiroe_kikyo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます