第一章 悪魔の存在証明 第一話 悪魔の誘い

 人生のやり直し。


 それができるのであれば、どれほど人生が楽になるのだろうか。

もちろんそのようなことが夢物語と理解しているからこそ、昨今の創作作品に転生や、やり直しといったジャンルが形成されているのだろう。


 子供は独り立ちし、長年連れ添った妻は亡くなった。世間一般の評価に照らし合わせても、十二分に幸せな人生を送ったと考えている。それでも、あの時「ああすれば良かった」「こうすれば良かった」といった後悔は掃いて捨てるほどあるのが人生であり人の欲というものだろう。


 今日も寝床に横になり、窓越しに見える美しい月を見ながらそんなどうでも良いことをうつらうつらと考えた夜。


「うぁ?」


 急な覚醒とともに声にならぬ声が漏れる。えもしれぬ気持ち悪さから寝返りをうとうにも金縛りにあったように体は動かない。


「落ち着いて話を聞くがよい。そなたはもうすぐ死ぬ」


  動かぬ瞼の向こう側。見えるはずのない枕元を見れば、影法師のような男が、こちらを見下ろしていた。だが不思議な存在を前に、妙に納得する自分もそこにいた。


「(ああ。もうお迎えなのか)」

「当たらずとも遠からず。さて、そなたの人生に後悔はあったかね」


 影法師のような男の言葉に促され、己の人生を走馬灯のように俯瞰する。幸せなことも、つらいことも、そして後悔もあった。総じていえば良い人生だったともいえるし、欲を言えばきりがない。なにより欲を垂れ流すほど若くもない。


 そう思っていると影法師のような男は語りだす。


「私は悪魔である。そしてこれから取引を持ち掛けよう」

「(取引? そもそも悪魔は存在がいたのか。ならば神という存在もいるのか)」

「そなたらの想像するような神はいないとだけ言っておこう。さて取引の話をしよう。そなたの魂と業を対価に望みをかなえよう。もっとも魂も業も知覚できぬそなたらには、利益のみ手にするように感じることだろう」


 影法師……いや、悪魔はそれらしいことを口にしている。


 望みがないわけではない。


 たとえば妻にもう一度会いたいといったことが浮かぶ。


「すでに歩み出した者の反魂は、そなたの魂と業では賄えぬよ」


 言葉にもしていない望みに、悪魔は明確に否定をした。


「そなたのように年老いた者たちは、どこまでも我欲に流されるものか、酸いも甘いも知った気になって欲を諦めるものが多い。何よりこの場こそ証左」


 悪魔は膝をおり、私の頭に手をかざす。人の手と表現するには、節くれて指が異様に長く、人にはありえない鉤爪が長く伸びている。


「私の知る別の世界線に転生させよう。無論生きるには惨く大変な世界線ゆえ、健康な体を、わかりやすくいうならば状態異常に悩まされることのない体を与えよう」 

「(老い先の短い私には過ぎた望みだ)」

「そのような反応をするものも多い。ただし拒絶しないということは興味があるのだろ?」


 悪魔の表情は見えないが、うさん臭く笑いながら話かけているのが目に浮かぶ。なによりその口ぶりから、悪魔との取引に応じるものが存外多いことが予想された。


「いわゆる嘘はついていない。悪魔とは純然たる契約主義者なのだよ。契約における嘘とは廃却を意味する。それでは折角手にした利益を失ってしまうからね」

「(先ほどまで取引といっていたが、いまの契約という言葉の違いはなんだ?)」


 きっとこの言葉に意味は無いのだろう。


 なんせ超常の存在が、凡人の考える枠にはまるわけはない。目の前の存在が本当に存在しているならば、今この瞬間に鉤爪が私の額を突き破り脳の破壊とあわせて魂とやらを簒奪しまうことだって可能なのだろうから。


「納得していただいて何より。死に瀕した魂には生前の業も含めて価値となるが、この世界では奇蹟どころか小さな変化を起こす燃料にさえ足りぬ。ゆえに死者に会いたいという願いも無理ということだ。しかし世界をまたげば価値が変わる。若い魂であれば十年前の世に近い世界線の同一存在に上書きすることで、主観で十年の若返りも可能だ」


 世界ごとに魂の価値が違うという悪魔の話は突拍子もないことだが、詐欺師の弁舌を聞いているように妙に納得してしまう。


「では死に瀕しているが業を溜めた魂の場合できる選択肢とは? この基幹世界線より下位の世界線へ転生させること。転生すれば寿命の問題も解決できる。ああ記憶もある程度持ち越せる。魂に蓄積する形に変化してしまうがね」


 まるでいいことづくめの話だ。だからこそ聞いてみたくなる。


「(その行為における悪魔のメリットは? 取引といったのだから悪魔の受け取り分があるのではないか?)」

「私の取り分は転生させた後に残る魂と業。それでも十二分に利益となるのだが、転生後にそなたに向けられる強い悪感情をいただくこととなる。悪感情は私の糧なのでね」


 なんとも微妙な表現だ。恨むのにも力がいるというが、悪感情を糧とするなら糧にされた相手はどうなってしまうのだろうか?


 さきほどまで、思考を読んで適格に言葉を紡いでいた悪魔が、まるで何事もなかったように次の話にはいる。つまりそういうことなのだろう。


「では、いままでの話を加味した上で、そなたの同一存在および類似存在がいる下位世界で、そなたの魂で到達可能なものは」


――モンスターハンターの世界。ただし同一存在はアマツマガツチ

――オーバーロードの世界。ただし同一存在は人間ホモ・サピエンス


「(一周回ってプレイヤーに狩られる側のアマツマガツチがマシにみえるんだが)」

「十二分に長く生きる可能性があり、多くの感情を集めてくれそうな存在と考えているが?」

 たしかに多くの人間から熱い視線(狩猟的な意味)を向けられそうだが……。

「せめて好きだった川上稔先生の世界はなかったのかと」

「そなたの寿命があと一年短ければ選択できたかもしれぬが。これは契約を期待する

好意として告知する。このまま三十分以上悩むなら、世界線の相対距離が変わりルドラサウム世界の人間種しか選択肢がなくなる」


 よりによってもランス世界。いや若かりし頃ランスシリーズは楽しませてもらったが、転生するなら正直避けたい。すくなくともあの世界の人間は惨殺されることを楽しむ創造神と、それをかなえる従属神らによって悲劇がありふれた世界。それは主人公の周りであっても大して変わらないのだ。


「(ああ。詐欺にあう人はこのような感覚なのか)」


 気が付けば取引せずに死ぬというという選択肢が消え失せていた。なにより死にゆく人間に、魂や業という見えないものを対価とする取引。十二分に魅力的なのだ。


「(いくつか質問をしたい)」

「答えられないものもあるが。ただ三十分以内でおわる問答をおすすめするよ」


 気が付けば、悪魔の背後に時計のようなものが動き出す。


 あの針が0を指したら終わりということか。


「(契約して転生したとして、死んだら?)」

「次はない。自我をつぶして使役するといったそんな話ではなく、魂の本来の流れに返るしかない。再度契約できるほど業が溜まれば別だが、まずないだろう」

「(契約して、生きるだけでいいのか? なにかする必要はないのか?)」

「先ほども言ったが、そなたを起点に強い悪感情を私が食らうだけ。それぞれの世界

生きるだけでもそれなりに溜まる故。無様に早死されるぐらいなら長く生きてもらう

ほうが良い。それが私へのボーナスのようなものだからね」

「(最後に、同じ世界に転生した存在は? いままでどの程度転生した?」

「同じ世界に転生した存在か。今現在はいない。ゆえに気にすることはない。もっとも未来永劫無いとは言わない。こればかりは縁ゆえに。そして……」

「(そして?)」


 悪魔は顎に手を置き考えるしぐさをする。


「そなたらにわかるように言うならば、そなたは今まで食べたパンの枚数をおぼえているのかね? つまりそういうことだよ。では、後ほど」










 こうして、私は悪魔の走狗となる選択をした。 

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