第壱章 先ず老舗より始めん
壱ノ一 百年物語
第01匙 明治三十二年、一八九九:レストラン1899お茶の水(C01)
八月最初の日の夜、書き手は、お茶の水方面に続く坂道、〈本郷通り〉を上っていた。
その坂の途中に在るのが「ホテル龍名館お茶の水本店」である。
二〇二三年現在、ホテルは休館中なのだが、ここに隣接している「レストラン1899お茶の水」(以下「1899」と略記)は営業している。
この和食ダイニングでは、店が在るお茶の水にちなんで、〈お茶〉を食材とした、料理や飲み物を提供し、まさに「お茶を食す」をコンセプトにしているのだ。
この〈食〉としてのお茶を提供する「1899」それ自体は、二〇二三年に十年目を迎えた、比較的新しい飲食店なのだが、母体となるホテル「龍名館」の創業は、なんと、百二十年以上前の十九世紀末の一八九九年、すなわち、明治三十二年にまで遡る事ができる。
今回の「スタンプラリー23」において、書き手は、何らかのテーマを決めて、カレー提供店を巡ろう、と考えており、その第一テーマが、実は、〈歴史ある店を巡る〉だったのである。
そういった意味から、今回のスタンプラリーにおいて、書き手は、この「1899」を第一店目に選んだのであった。
ちなみに、店のスタッフに尋ねたところ、書き手が、今回のスタンプラリーでの最初の来店者であったらしい。
さて、この日の書き手は、前年と同じカレー・メニューである「1899和出汁キーマカレー」に加え、この店「1899」が、イヴェントの最初の店という事もあって、普段はあまり口にしないビール、とはいえノンアルコールなのだが、「1899抹茶ノンアルコールビール」を注文し、勝手に、イヴェントの開始を祝ったのであった。
そして、カレーの提供を待っている間、先にサーヴされた緑色の麦酒もどきをチビチビとやりながら、書き手は、百二十年以上を誇る、「龍名館」の歴史を、タブレットで読み直した。
なるほど、「龍名館」自体は、明治時代に、初代の「濱田卯平衛」氏が開業したらしいのだが、そもそもは、今現在、「コレド室町」が位置している〈日本橋室町〉にて、江戸時代から営まれていた旅館「名倉屋旅館」の分店であったそうだ。
濱田卯平衛氏は、名倉屋の長男で、その四代目を継ぐ可能性もあったらしいのだが、名倉屋は、氏の姉の〈辰〉が養子を迎えて継承したため、卯平衛氏の方は、名倉屋の分店として、〈神田区南甲賀町(現・千代田区神田駿河台)〉に旅館を創業し、それが、今の「龍名館」の事の始まりだという。
ちなみに、「龍名館」という名の〈名〉は「名倉屋」から、〈龍〉は姉の〈辰〉から取ったのではないか、と考えられているようだ。
という事は、「龍名館」のルーツは、江戸時代にまで遡る事もできそうだが、とまれ、ここでは、初代・濱田卯平衛氏が創業した「龍名館」にこそ着目したい。
さて、初代は、新し物好きで、流行に敏感であったらしく、例えば、庭の一部に洋館を建てたり、料理に洋食を出したりしていたそうだ。
書き手は、もしかしたら、洋食の中に、カレーがあったとしたら面白いかも、とホテルの歴史を読みながら思った。
たしか、クラーク博士による札幌農学校でのカレー食の導入が明治九年頃だったはずなので、明治三十年代の東京の「龍名館」で、洋食メニューの一つとしてカレーが提供されていた、そんな可能性だってゼロではあるまい。
と夢想をする書き手であった。
〈訪問データ〉
レストラン1899お茶の水:淡路町エリア
C01
八月一日・火・二十時
1899和出汁キーマカレー(一二五〇)1899抹茶ノンアルコールビール(七二〇):一九二〇円(クレカ)
『北斗の拳』カード:No.22「Z(ジード)」
〈参考資料〉
「レストラン1899お茶の水」、『神田カレー街 公式ガイドブック 2023』、七十二ページ。
〈WEB〉
「1899について」、『レストラン1899お茶の水』、二〇二三年八月二日閲覧。
「龍名館の歴史」、『ホテル龍名館東京』、二〇二三年八月二日閲覧。
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