終わりで

 あの出会いから数か月の月日が流れた。 


 俺は今、人間が恐れていると言う場所で暮らしている。

 獣の森とは、人間の国から遠く離れた場所にある獣が集まる森のことで、そこでは日々命のやり取りが後を絶たなかった。


 食うか食われるか、獲物になるか狩人になるか、その二択しかない場所は安全の一かけらもない。

 そんな場所でわざわざ、それも一人で生きていこうとすることは死にに行くようなものと、普通なら考えるところだが、人間としていきれないクロからすればあの国に居ようが、獣の森に居ようが命の危険はどちらも一緒だった。

 だったら、あの醜い人間達の国で死を待つだけの生活よりも、自分自身の意志でその最後を迎えるまで抗って生きていく、こっちの生活の方がクロにとっての唯一の幸福につながるのかもしれない。


「今日も、飢えてるな。」


 かといっても、クロにとっての幸福であり、普通なら絶望に近い状況だ。

 今まさにクロは獲物として漆黒の毛並みをなびかせた狼に狙われていた。


『ガルゥゥゥ』


 狼はこちらにもわかるように殺気を放っている。きっと、『お前を狙っている』と言っているように五感で分かった。

 この森に来てからはそういった野生の感みたいなものがより育っているようにも感じる。


 睨め会う両者の間には息をのむのも覚悟がいるような緊張感が続いた。

 先に動くのは狼の方だった。雄たけびを上げながら、クロの方へと向かっていった。


「ふぅぅぅ」


 対してクロは冷静さを保つために一度、まぶたを軽く閉じながら深く深呼吸をして視界をリセットした。

 まぶたを開けたときには狼はすぐそこまで迫っていた。


『グラァァァ』


 再びの雄たけびと共に狼はクロの首元めがけて飛び込んできた。

 それをクロは好機を待っていたかのように片手に持っていた、長い木の棒に鋭くとがった石を巻き付けた槍を狼の頭部めがけて突きつけた。


 頭部に向けた槍は狼の左目を貫いた。

 片目を失った狼の苦痛の声が森中に響いた。


「勝敗はついた、とっとと消えろ。」


 威圧と共に言い放った言葉で狼は姿を消した。


「はぁぁ」


 緊張感も解け、そのあとに来るのは重い疲労感だった。

 生きるということは簡単ではない。それを今クロは体験している。


 足掻いて、足掻いて、やっとの思いで自分の意志で生きていられる。

 疲労感も、緊張も、命のやり取りも、そのすべてが自分で決めたことだ。人間の国にいたままでは決して味わえない感覚の数々、そのすべてが生きているのだと感じられる。

 それでも、なぜだか、心のどこかに満たされない何かがクロには残っていた。



 ――――――――――――――――――――――。



『神様、今日も我々に平和をもたらしてください。』

『神様、どうかこの子の病気をお治しください。』

『神様、私の慈悲をお与えくださいませ。』


 神様、神様、神様、神様、神様......。


 あの日を境にシロの日常は神様と言われる日々だった。

 人々は少女の姿の神様を崇拝していた。

 罪を犯せば、天気に困れば、病気にかかれば、何かがあるにつれ少女の姿をした神様に頼った。


 それが当たり前のように続いた。

 シロの気持などは関係ない。

 なんせ、人間なんだから、自分の私利私欲のために使われているのだと理解していても、道具の気持などは関係がない。


 だって、道具は人間ではないから。

 道具は神様なのだから。

 心なんて、感情なんてないのだから、助けてくれないのならただの道具は、人の形を模した化け物に過ぎないのだから。


『神様助けてください。』


 この言葉を発するだけで、少女の姿をした神様は人間を助ける。

 それが当間のようになったのが、今の人間の国だった。


 シロは人間に憧れていたが、今となってはそれを考えることすらも無くなってしまっていた。

 それどころか、道具のように『助けてください』と声をかけるだけで使われる日々、シロと言う名を名乗っても呼ばれるのは神様だけで、誰も少女のことをシロとは呼ばなかった。


 いつしか、少女は自分に対して、何度も何度も問いかけるようになっていた。


「今の自分は生きているのか。」


 あの日、壊れていた少年に投げかけたように、今度は自分に対して投げかける。でも、その問いに答えはない。


「クロ…。」


 心に残る唯一の人間の名前。

 その名前を口にしながら、シロはどこまでも続く青い空を仰いだ。


『どうかしたか、神よ。』


 シロが空を仰いでいると、側にいた少し年老いた神父と呼ばれる男が声をかけた。


「いえ、何もありません。」


『そうか、ならいい。』


「心配しなくても、私はどこにも行きませんよ。行く場所もないですし。」


『…、すまないな。』


 少しの沈黙を置いてから、神父は言葉を返した。


 思ってもいないくせに。

 皮肉めいた気持ちがシロの心のどこかで抱かれた。


 少年を壊れた日から救った少女は、いま自分が壊れかけていることに気づいてはいなかった。




 ――――――――――――――――――――――。



 その日は突然現れた。

 勢いよく、神様の居間へとつながる扉は開かれた。


『神様、どうかお助けください。』


 いつも通りの言葉、それでも今回は何か違った。


『どうした、そんなに慌てて』


 神父が慌てて部屋に入ってきた人間に聞き返した。


『獣だ、獣たちがこの国に攻め込んでくるだ。だから神様、どうか、どうか我ら人間をお助けください。』


 泣きながらその場所に膝をつく人間の姿を見て、少女の姿をした神もいつもとは違うのだと実感する。


『獣の数は、何匹いるんだ。』


『分からない。だが、あれがこの国につけば必ず俺たちは死ぬ。』


 そんな数の獣たちが一体どうして、いまになって人間の国を襲いに来たのか、原因は不明だが、とにかく国を守るための方法を考えなくてはならない。


『神よ、どうか』


「分かっています。私の役目は人間を守ることなのでしょう。なら、やりますよ。」


 いまさら、否定できないことを分かっていながら、不安そうで心配そうな表情を顔に浮かべる神父に苛立ちを覚えた。


 攻めてくる獣の数を把握するために、国の外へとつながる門へと向かった。


「一、二、三、数えるのが面倒ですね。とりあえず、この国を覆えるだけの結界を張って、それから…」


 たんたんと獣たちの進行に対して、守る準備をしていると、とあることに気づく。


「あれ、なんで、」


 いつものように不思議な力が使えなくなっていた。


「なんで、なんでなの、出てよ出てよ、今まで普通に使えていたのに、どうしてこのタイミングなの。」


 そうこうしているうちに獣たちの進行は止まることなく、人間の国に近づいている。


『神様どうしたんですか、いつもみたいに神の力で奴らを追い払ってくださいよ。』

『そうですよ。神様、早くしないと獣共がこの国に来てしまいますよ。』

『早く、早くしてくれよ。神だろ』


 進行を目の前にして、何もしない神に人間たちは不安と恐怖感が混ざった言葉を神に投げかけた。

 だが、今の彼女には何もできなかった。いつもの不思議な力が出ない、それは彼女に対して、役立たずの烙印を押しているようなものだった。


 そのうち、人間の一人が声を大にして言った。


『こいつが呼んだんだ。じゃなきゃ獣共が急にこんなことするわけがねえ。』

『確かに、そうだ。だから、今も何もしないんだ。』

『俺は最初から怪しいと思ってたんだ。あのへんな力で獣共を要んだんだろ。』


「違う。私じゃない。」


『だったら、早く追い払えよ。この化け物がよ。』

『『『そうだ、そうだ。』』』


 急な手のひら返しは人間の得意分野の一つだ。

 それはシロも分かっていた。だから、驚きはしないが、やっとできた自分の居場所、憧れた人間みたいな生活、それが例え人間らしくない生活だったとしても彼女には帰れる居場所がもうすでになかった。


 不安と言う気持ちがふと心に抱くと、耐えれるはずの罵声も、だんだんと重く苦しく、恐怖感が襲ってくる。

 人間たちが今、抱いているはずの感情がシロへの怒りに変わっていて、シロ自身がその感情を抱く羽目になっていた。


「どうして、どうして、どうして、」


 ドガァァァンンン

 その大きな物音と共に外へとつながった大きな扉が壊され、獣たちの大群が人間の国になだれ込むように入ってきた。


『奴らが入ってきたぞ。』

『逃げろ、逃げろ。』

『嫌だ、死にたくない。』


 国は人間たちの悲鳴で溢れかえった。

 その光景を見てシロはもう何もかもがどうでもよくなった。


 そんなとき一人の少年が少女のもとへとやってきていた。













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