第36話 謁見

「武者震いか? お前らしくもないな、ボーセジュール」


 そこは絢爛さはないものの、一国の中心として相応しい荘厳さを持った玉座の間であった。

 歴代の王は質素さを好んだ。着飾ることのない自然な立ち居振る舞いにこそ、真の人格が表れるのだと、玉座を華美に飾り立てることを許さなかった。

 質素で、なおかつ清廉。それがこの国の王の在り方であり、玉座の間はそれを体現していた。

 しかしいまは痛々しく壁が崩れ、床はめくれ上がってしまい、まるで廃墟のような有様である。瓦礫の中には、この部屋に似つかわしくない金装飾の宝物が散らばっている。まるでおもちゃに飽きた子どものように、どこぞからか奪ってきたものを投げ捨てているのだ。

 そして玉座に座るのは、狼王を名乗る長身の男。

 灰色のざんばら髪の下に、ギラついた輝きを放つ二つの赤い瞳。襟元に毛皮をあしらった黒い上着から覗く、肉食獣のようなしなやかな肉体。黒のパンツを履き、足首のあたりを包帯で止めている。足下は裸足だった。

 ウルフリック・ウールブヘジン。それが男の名前であり、この国を襲撃した狼王の名前だ。

 ボーセジュールは彼の傍らに立つ獣人で、片目を眼帯で隠した赤毛の男である。身の丈はおよそ人の二倍。亀のように盛り上がった背中と厚い胸板を、民族風の衣装で包んだ偉丈夫だった。


「いや、少し冷えるだけだ」


 そう言って崩落した壁から外を見る。灰が降り続ける空には、この五年いつだってそこに浮いていた分厚い雲がある。あれのせいで彼らのいる中央街には陽の光が届かず、王城を含めていつも気温が低い。

 からからとウルフリックが笑う。


「また人間に着ている服をくれてやったのか、変わりモンだな」

「咎めるか?」

「いや、普通の獣人がやれば殺すが、お前ならいい。狼王は寛大だ」

「そうか」


 一見和やかな二人のやり取りを見ても、傍らに控えている親衛隊の獣人たちは気が気でなかった。どんなに機嫌が良く見えても、次の瞬間には喉元に爪を立てられている。気紛れに命を刈り取る狼王の前では、彼らは一切気を抜くことが許されない。


「おい、喋るオークはまだ来ないのか。待ちくたびれたぜ、いまどの辺だよ?」


 ウルフリックが気怠そうに声を上げる。親衛隊の間で一気に緊張が走った。


「じゅ、順調に王城へ向かっているとのことです。抵抗もしていないとのことで、もうしばらくすればこちらへ」

「そんなこと訊いたか? 俺は、いまどの辺にいるのかを訊いたんだぜ」

「あ、しっ、失礼を」

「あー、いやいや、良いんだ。謝るなよ」


 ウルフリックは緩慢に立ち上がると、一息に獣人の背後へと回った。その獣人からすると、ウルフリックが急に消えたように見えただろう。そして彼らの怖れる凶暴な爪がヒタリと首筋を撫でた。

 獣人はびくりと肩を跳ねさせ、哀れなほどに震え上がってしまう。悪魔が人の魂を喰らう様と同じ、手のひらの上にある命を弄ぶ時の笑みは、なんと凶悪なことだろう。


「この失態は、お前の命で償ってくれればいい。光栄なことだ、狼王の無聊を慰める大役を得られたのだから。涙して感謝することを許そう」

「お、おやめ、くださいぃ」

「やめろやめろ、これ以上罪を重ねるなよ。狼王に対して許可を得ぬ発言は厳罰だぞ」

「ひ、ひぃぃ」


 そのとき、カツン、と渇いた音が玉座の間に響いた。すっかり歪んでしまい用を為さなくなった、解放されたままの扉の前に、その女性は立っている。

 音を出したのは、彼女の黒いヒールだ。


「また親衛隊を減らす気?」


 細いレンズ越しに、気の強そうな切れ長の目が光る。スレンダーな身体を際立たせる黒いロングスカートのドレスは、華奢な中にも異様な存在感を放っている。


「やめてよね、これ以上ここが血生臭くなるのは御免だわ。やるなら外でやって」

「おっと、お嬢様がご立腹だ。よかったな」


 ウルフリックが爪を放すと、獣人は長らく潜っていた水中から生還したように、その場にへたり込んで荒い呼吸を繰り返した。


「マリィ、そう怒るな。ただの冗談だ」

「あなたの冗談は命がいくつあっても足りないわ。ついでにモップとバケツと、掃除要員もね」

「ああ気をつけるさ。そうだろう、ボーセジュール」

「……マリィ」


 厳めしい表情で静観していたボーセジュールがマリィを見下ろす。女性としては平均的な身長のマリィだが、大木のような彼に見下ろされると、まるで大人と子どもだ。


「狼王に対し、少々不敬だ。控えろ」

「じゃあ私を殺す?」


 マリィは身体ごとボーセジュールに向き直り、毅然とした態度を示すように腕を組む。


「私がいなくなると困るわよ。政務の取り纏めは誰がやってると思ってるの。この国がまともに運営できてるのは私のおかげよ」

「それは思い上がりというものだ。前王の代から我々獣人も政務には関わってきた。できない道理がない」

「戦うだけしか能の無いあんたに、私の代わりが務まると思ってるの? この国の内情を知ろうとする他国からの牽制を躱しながら、商流を止めずに国交を続けられる? もしできなければこの国は一瞬で灰に埋もれるけど、それでよければ殺せば良いわ」

「自らの価値を理解しているのは結構だが、それも狼王の一存だ。そして俺は、お前が狼王の害になると判断すれば、どれだけお前に価値があろうがいつでもその首を刎ねる。たとえば、お前の言葉が狼王の不快を買えば、それは現実になるだろう」

「そうなれば狼王はあんたを殺すでしょうね」


 ウルフリックは二人のやり取りが面白くて堪らないと言うように、高笑いを上げながら制する。


「やめろ二人とも。お前たちは俺の数少ない同朋だ、争われては悲しい」


 態度とかけ離れたウルフリックの言葉に、ボーセジュールは大人しく身を引き、マリィは心底鬱陶しそうに顔を背けた。


「人間でも才あるものは狼王のために働ける。お前はその象徴なんだぜ、マリィ。自覚を持てよ」

「戦士長なんて肩書き持ってるこいつに言ってやれば? オークなんかに侵入を許して、どう責任を取るつもりよ」


 マリィの鋭い眼光を、まるでそよ風のように受け流すボーセジュール。その様子を見ながら、ウルフリックは喉を鳴らして笑う。そうして玉座に戻り、ゆったりと腰を下ろした。肘掛けに寄りかかり、隻眼の戦士長に声をかける。


「マリィの言うことは正しいな、ボーセジュール。どうするつもりだ?」

「お望みとあれば首を。必要であれば隷属を。狼王の言葉を実現しよう」


 ウルフリックは鋭利な三日月を顔に浮かべて笑う。


「そうか。なら決を採ろう。そのためにまずは、主賓の話を聞かないとな」


 その言葉の意味を瞬時に理解したボーセジュールとマリィは、サッと扉の外へと視線を向ける。獣人たちはギョッとしながらも、彼らの視線を追って背後を見る。


「取り込み中失礼。狼王の部屋ってのはここかな」


 誰も連れずにただ一人でそこにいたのは、ボーセジュールよりもなお大きな巨漢。突き出した腹の上に豚の頭を載せた、世にも醜いオークの姿だった。





     ▽





「ようこそ、灰の国ローディーンへ。この国は気に入ってくれたかな」

「熱烈な歓迎を感謝する、狼王。実はここに来てすぐおたくの親衛隊に拘束されたもんで、ろくすっぽ観光ができてないんだ。感想はまた次の機会に訊いてくれ」

「ほう、本当にオークが喋っているな。しかもなかなか達者な口を持っているらしい」


 玉座に座る灰色の髪の男。言動からしてあれが狼王、ウルフリック・ウールブヘジン。その左隣には赤毛の大男、耳の形からすると獣人だろう。そして反対側には全体的に黒い神経質そうな人間の女。俺が喋って驚いたのか、二人とも疑わしそうに眉根を寄せていた。


「うちの幹部たちがすまない。厄災なんてものがあるんだ、オークだって喋ってもおかしくないよな。気を悪くしたか?」

「いや、慣れてる」


 ウルフリックはご機嫌に笑う。なんだか歓迎ムードだが、横の二人はまったくそうではない。女の方は近づけば噛みつかれそうなくらいわかりやすく威嚇してきているし、獣人は捕獲の態勢に入った肉食獣のような殺気を凝縮させている。

 何故わかるかって、戦い慣れた勘みたいなものと、あとは魔力が宿ったことで、目に見えない力を少しだけ感知できるようになったからだ。


「何の理由でこの国に来た。理由を話せ」

「俺はいま大陸を旅してる。ちなみに、星見の国で冒険者としてギルドにも加入している」


 玉座の間がにわかにざわついた。嘘かなんかと思われてそうだから、冒険者証を取り出して見えるように掲げてやる。


「俺は大陸を自由に旅する、EXランクの冒険者だ。そして旅の目的は、この大陸のどこかにあるという聖剣を見つけ出すことだ。ここに来たのは、まあ言ってみれば寄り道だな」

「聖剣って、そんなもの本当にあると思ってるの?」


 女幹部が忌々しそうに言った。性格がきつそうで、ちょっと苦手な人種だ。


「冒険者の本懐は神話の証明だ。未知であるのなら、それは探す理由になる。あるかないかの結果は重要じゃないのさ」

「……理解できない思想ね。最初にギルドを解体しておいて正解だったわ」

「聖剣か、いまさらそんなものの名前を、こんな場所で聞くとはな」


 ウルフリックがぼそっと呟いたその言葉に、反応したのは俺だけだった。だが俺が声を上げる前に、ウルフリックは続けて話しはじめた。


「貴様の目的は理解した。実はいま、貴様の処遇を決めていたところだ。それというのも、我が国は狼王の許可無く入国することは許されない。貴様は誰の許可を得てここにいる?」

「へえ、許可がいるとは知らなかった。すまんな、悪いことをした」

「知らなかった、か。では国境の警備についた獣人が数人気絶させられていたと報告を受けたが、よもや心当たりがないとは言わないな」

「あいつら俺を見た途端に襲いかかってきたから、ついやっちまった。よくあるんだ、すまん」

「カカカ、オークだからな。ではここまで貴様を連れてきた獣人たちは、どうした?」

「伸した。纏わり付いて邪魔だったし」


 ウルフリックは深く息を吐いて玉座に深く座り直す。薄い笑みを浮かべて、傍らの二人に問いかける。


「諸君、決議を」

「殺して」

「同感だ」

「決まりだな。興味はあったが、やはりオークは見るに堪えない醜さだ」


 ウルフリックが言い終えるやいなや、獣人の男が一瞬で距離を詰めて殴りかかってきた。咄嗟のことでギリギリ受け止めたが、この俺の身体が少し押された。

 速いし威力もある。親衛隊の獣人より遙かに強いようだ。正面から戦ったら苦戦するなこりゃ。


「オーク、醜くても貴様の希少性は変わらんだろう。名を聞いておこうか」

「俺はオークのオルクス、よろしく」

「ウルフリック・ウールブヘジン。狼王の名において、我が同朋ボーセジュールが直々にお前を殺す」

「そいつはどうも」


 力勝負ならまだこっちに分がある。受け止めた攻撃を押し返し、土手っ腹に蹴りを入れようとしたが避けられる。

 まずい、距離を置かれた。

 俺は咄嗟に目を凝らすが、それも遅い。気づけばボーセジュールとかいう獣人の拳が、俺の左顔面を捉えていた。


「っ!」


 呻いたのはボーセジュールだ。思ったよりも俺の皮膚が硬く、予想外のダメージが拳に入ったらしい。

 とはいえ痛み分けというわけでもない。何かしらのスキルを使っているのか、俺の皮膚も筋肉も紙みたいに貫通してダメージが入ってきた。

 ってぇ、マジ。こんな痛みを感じたのはワイバーン以来だぜ。


「便利なスキルもってんな」

「お前の皮膚には負ける。だが、もう慣れた」

「う、おっ」


 やべえこいつ苦手だ! いままで攻撃を避けるなんてあんまり考えてこなかったから、馬鹿みたいに一発一発重めのダメージがくる。こんなの受け続けてたらマジで死ぬかも。

 俺は棍棒を取り出して、ボーセジュールの拳を受ける。多少手が痺れるが、身体で受けるよりマシだ。


「武器使うのは卑怯か?」

「我が五体は剣であり、矛である。貴様を卑怯と言えば、俺の立つ瀬がない」


 やば、かっけえ。俺はいまのセリフを、心の語録にそっと付け加えた。いつかどこかで使おう。

 それにしても、いつまでもこうしてるわけにはいかない。狼王の人となりもなんとなく理解できた。こんなところで死ぬ気はないし、さっさと退散するに限る。

 俺が振り抜いた棍棒にボーセジュールが怯んだところで、俺は肩に棍棒を担ぎ構えを取った。


「狼王を名乗る男、ひとつ訊きたい。おたく、聖剣を知ってるのかい?」


 玉座でふんぞり返っているウルフリックは、俺の質問に対して何も答えなかった。反応を見せず、表情さえも動かさない。俺には、それが答えのように思えた。

 ボーセジュールは体勢を直し、再び向かってこようとした。それに正面から合わせて、俺は足を地面に踏み込む。


音越豚頭おとごえ


 俺は玉座の間の外に面した壁をぶち抜いて、王城の外に実を踊らせた。ボーセジュールはぎりぎりで避けていた。

 落下しながら考える。

 さて、どうやってエルドラたちを探そうか。





     ▽





「面目次第もございません」


 ボーセジュールが玉座に座るウルフリックの前に膝を突き、深々と頭を下げている。ウルフリックは肘掛けに半身を預けて見下ろし、口元には笑みを湛えているが、こめかみにはわかりやすく青筋が浮いている。


「処罰はいかようにも」

「なんだ、逃がしたのかよ。だらしねえ」


 そこにもう一人、獣人が現れた。華奢だがしなやかな身体と、ウルフリックと同じ赤い目を光らせて、玉座の間に入ってくる。

 その獣人は、己の身の丈よりも遙かに長い槍を持っていた。


「お前がここに来るのは珍しいな」

「たまには雑用に駆り出されてやろうかと思ってな」

「ほう、それはまたどういう風の吹き回しだ。お前は食客だろ」

「今回はオークのマンハントだろ。面白そうだから、オレがやってやるよ」

「お前のやる気は買うが、こんな仕事はルゥ・ガルー共に任せておけばいい」


 投げやりなウルフリックの言葉に、ボーセジュールが声を上げる。


「狼王、奴は俺が」

「黙れ、ボーセジュール。お前だから今回は許すが、俺の怒りにも限度があるぞ」


 地の底を這うような重い声が響く。ボーセジュールは口を結び、それ以上何も言わずに頭を下げる。横にいたマリィまでも、ウルフリックの怒りにあてられて、額に汗を浮かべていた。

 食客と呼ばれた新たな乱入者だけが、その光景を愉快そうに眺めている。


「オレに指図するな。手出しは許さん、あれはもうオレの獲物だ」

「貴様……っ」


 あまりの慇懃無礼な態度を見かねたボーセジュールが立ち上がろうとする。それをマリィが制した。


「ちょっと止めなさいよ。あんたも、なんでそんなあのオークに拘るの?」


 マリィの質問に興味を示したのは、ウルフリックも同じだった。

 問いかけられた食客は三人に背を向ける。オルクスが開けた壁の穴に歩み寄り、そこから王城の外を見下ろす。

 やがてこう答えた。


「面白い奴の匂いがした」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る