第35話 狼王親衛隊ルゥ・ガルー
「オルクス、あれも食べられるよ」
俺の肩に乗ったシンディがグッと身を乗り出す。羽毛みたいに軽い身体でも落ちたら痛いだろうと、咄嗟に手を添える。シンディは俺の手を取って身体を支えながら、近くの木になっている赤い果実を指で示していた。
青みは一切無くて、確かに美味そうに熟している。シンディでは手が届かないだろうから俺が取ってやると、何度も腰を浮かしながら手を出してきた。見た目や雰囲気よりも子どもっぽい仕草で、それなりの悲劇を聞いた後だからか、少しホッとした。
シンディが果物にかぶり付くと、膝に乗っていたロボもガジガジと歯を立てる。お前はちょっと落ち着け。
エルドラはさっき取った黄色の果物を啄むように食べている。
「甘みが強いな。自然にこれだけの甘さが出るのは、やはり土地がもたらす恩恵が強いのだろう。この国は霊脈が流れているのかもしれない」
相変わらず無表情で食べているわりには、思いのほか気に入っているらしい。俺も同じのを食べたが、美味いは美味いけど正直物足りなかった。こいつらにとっては握りこぶしより大きいものでも、俺にとっちゃ一口サイズだ。
それよりエルドラは気になることを言ったな。
「霊脈って?」
「世界に走る血管のようなものだ。強い力を持ち、土地の魔力を活性化させる」
「ああ、あれか。マナってやつだな。たしかに少しばかり身体が軽い気がする」
オークに魔力なんてまったく不要な話で、せっかく魔法がある世界なら俺も使いたい! なんて転生した直後は思っていたが、オークの身体にそんな器用な真似なんて望むべくもなかった。
だがそれも、つい最近になって事情が変わってきた。竜種を倒したあと、身体に変化があったのだ。
イングレントと話したときに、あいつが千里眼で俺を視た瞬間に言った。
――オルクス、君呪われてるね。
身体のどこかに紋様があるはずだ、と言われて、イングレントとドズの爺さんにその場で服を剥ぎ取られ、首の付け根あたりに痣みたいなのが浮かび上がってることに気がついた。小さな翼のようにも見えるし、植物の葉のようにも見える不思議な紋様で、手で触れるとほのかに熱を帯びているのがわかる。支援や回復魔法が通じないため解呪することはできなかったが、身体に何かしらの不調をきたすこともなかった。
むしろどういうわけか、オークなのに魔力を宿し始めるというとんでも効果をもたらした。人間やそのほかの魔力を持つ生物は、魔力を通す神経のような回路が体中に張り巡らされている。他のオークと同様、俺にその回路は無かったのだが、今はその紋様を中心にして身体中広がっているようだ。
デメリットを感じられないその結果に俺は歓喜したが、イングレントはこの呪いについてこう言い含めた。
――これは祝福じゃない。間違いなく呪いなんだよ、オルクス。いずれ君の魂をも蝕むものになるだろう。
――そうなる前に解呪の方法を探すんだ。それができないなら、早いところ聖剣を見つけたまえ。竜種の呪いを浄化する力くらい、あってもおかしくないからね。
その言葉は重く俺にのしかかった。他ならぬイングレントの言葉なら、浮かれてばかりいるのが間違いだと気づかせてくれる。
だが呪いなんて冒険者っぽくてちょっと良い、と思ってしまうのも事実。良いところは良いところとして受け止めて、悪い部分はきちんと線を引いて付き合っていくべきだろう。
それに魔力があるってことは、スキルを習得できるってことだ。これは俺にとって大きすぎる恩恵だろう。だから王都を出る前、ドズの爺さんに頼み込んで、スキルをいくつか教えてもらったのだ。いまから実戦で使うのが楽しみだった。
ちなみにエルドラは、俺を一目見た瞬間、俺が竜種に呪われたことに気がついていた。
「この国の作物が豊かなのは、土地の魔力が高いからなのか。狼王が誕生したってのも、そういうことなのかね」
「それもあるだろう。最終的には厄災となったが、それだけに希有な力を持つ存在だった。英雄と呼ばれる未来さえ、もしかするとあったかもしれない」
するとシンディがクイクイと俺の鬣を控えめに引っ張る。
「オルクス、英雄って?」
「聞き慣れないか。まあ簡単に言えば、魔王に対抗できる存在だな。魔王はわかるか?」
シンディはふるふると首を振る。
「ま、俺もよくは知らん。魔王は何度か歴史に姿を現しているが、その度にこの星を消滅させようとしている。それを食い止めてきたのが、英雄と呼ばれる奴らだ」
「へえ、すごい人たちなのね」
「そうだな。でもさっきエルドラが言ったみたいに、人以外がなることもあるらしいぞ。英雄はこの星の守護者として、星そのものに選び出されるからな。認められさえすれば、なんであれ英雄にはなれる」
「どうやったら認められるの?」
「さあな。……聖剣とか取れると、なれちゃったりするかもな」
実際どうかはわからないが、ホントにそれくらいしないとなれないんだろうな。ゲームや漫画では、冒険者の最終目的は魔王を倒すことってのが定番だし。聖剣を取った瞬間に英雄になるってのは、それほど見当違いでもない気がするんだが。
そのあたりどうなのよエルドラ先生。
「聖剣を取ったから英雄になった。そんな話はいままで聞いたことがないな」
さいですか。あんたきっと「サンタクロースなんていない」って真顔で子どもを諭すタイプだろ。友人としての忠告だが、そんなことばっかりしてると嫌われるぞ。
「と、こっからが灰のエリアか」
雲の切れ目、灰の切れ目はわかりやすかった。足下は白い灰で覆われた地面と、湿地帯が続くこちら側で真っ二つに分かれている。
まるで結界だ。あちらと向こうが完全に別たれていて、これ以上進もうとすると、なんだか目の前に薄い膜が張っているような抵抗感を覚える。
ま、とも言っていられないので、さっさと覚悟を決めよう。
「じゃあ、行くぜ?」
エルドラはこくり、と頷き、シンディは早く進めと言わんばかりに腰を浮かせた。
灰の領域へ足を踏み込む。まず感じたのは空気の冷たさ。日の光が遮断されたそこは、いままで歩いていた湿地と比較してもわかりやすく気温が落ちていた。しかも乾燥している。息を吸う度に呼吸器官が軋み上げるような極度の乾き。おそらくはこの灰が、空気中の水分を吸い上げているのだろう。
ちらちらと揺れながら無数の灰が、頭の上からやってきては足下へと落ちていく。
際限なく、ただ続く。
こんな光景を異常と言わずになんというのか。
「狼王か。厄災と呼ばれるだけある」
目の前の現象だけを切り取っても、その異常性が垣間見える。災害は未然に防ぐことよりも、起きてしまった後にどう処理するか、の方が大事だったりする。
なにせ相手は自然そのもの、生物なんてスケールでは到底その動きを把握できない。であれば、起こってしまうことは受け入れるしかないし、問題なのは受け入れた後、生き残った者たちがどうやって傷を癒やすのか。そこに焦点をあてるべきだろう。
だが厄災はそれを許さない。
それが通った後は、文字通り何も残らない。それは今あるものは当然、この後生まれるはずだったものさえも奪い去る。
狼王が通れば全ては壊され、やがて厚く重い暗雲が空に浮かぶ。雲は陽の光を断ち熱を奪う、降り積もる灰が水分を奪う。人も植物も、そんな場所では住むことさえできない。
捨てるしかない。できないのであれば、死ぬしかない。それが厄災だ。
「……どうしたの、オルクス?」
突然立ち止まった俺を不思議に思ったシンディが、肩の上から覗き込んでくる。
灰の領域へ踏み込んだときからか。
はたまた最初からずっとなのか。
俺たちはいつの間にか誰かに監視されていて、ここにきて気配が一際濃くなった。身を隠すことに秀でた何者か、複数人に囲われている。エルドラはゆったりと立ちながらも、視線だけは周囲を警戒している。そしてシンディは、俺たちの所動から感じ取ったのか、ぶるりと震えて身体が縮こまった。
「まさか見つかった?」
「見つかるって、何によ」
シンディは今まで教えるタイミングがなかったことを詫びて、答えた。
「彼らは狼王の親衛隊。ルゥ・ガルーっていうの」
「王様のお付きってことか。なら勝手に侵入したオークは放っておいてくれねえよな」
「……うん、それもあるけど。たぶん目的は違う」
どいうことだ、と訊ねる前に、そいつらは姿を現した。
立ち込める獣臭さでそいつらが獣人だとわかった。灰色の狼の仮面で統一された顔、しなやかで強靱な肉体と、人間にはない太く研ぎ澄まされた爪。異様な雰囲気を放つその集団は、捕食者が獲物を追い詰めるように低い姿勢でジリジリとにじり寄ってきた。
シンディが恐怖を紛らわすために、細腕でがっしりと俺の頭を抱きしめる。オッケーシンディ、落ち着け。前が見えない。
「首輪のない人間、それは反逆者の証」
「あん?」
「今すぐ我らに拘束されるか、抵抗して死ぬか選べ」
腹の底から響くようなその声は、獣のうなり声によく似ている。聞く者の本能に警鐘を鳴らす音だった。
俺はシンディの腕をずらして、そのまま背中を撫でてやる。それだけで落ち着くことはなかったが、震えが少しマシになった。
「死ぬ、なんてのは穏やかじゃねえな。どういうことだ?」
獣人たちは声を出さなかった。仮面のせいではっきりしないが、どうやら少し困惑している様子だ。オークが喋ったからだろう。
すると代わりにシンディが耳元で答えた。
「今この国では、種族によって階級があるの。狼王の下に獣人、その下に人間。人間は獣人たちに飼われているの」
「なんだそりゃ、この国は人間と獣人が仲良く暮らしてるんじゃないのか?」
「……あの男が来て、すべて変わってしまったの」
あの男、たしかウルフリック・ウールブヘジンだったか。前王を食い殺した、狼王を名乗る襲撃者。
人としては最悪な部類だろうが、王として無能というわけでもないらしい。
「よもや喋るオークがいるとは驚きだが」
と、復活したらしい獣人が低い声で続けた。
「その人間の言うとおりだ。我らが王は人間と獣人が並び立つ国を望まれてはいない」
「狼王が望むは強き国」
「強き者が支配する国」
「弱き人間は我ら獣人に支配されるべきだ」
なんでこういう奴らって一人ずつ喋るんだうざったい。一人が代表して喋れ。
「参考までに聞きたいんだが、お前らに渡したあと、こいつはどうなる?」
「隷属を受け入れるのであれば良し」
「首輪を掛け、奴隷として街に放つ」
「奴隷を必要としている獣人がいれば、勝手に捕まえるだろう」
「だが受け入れなければ、今この場で始末する」
「ご丁寧にどうも。もうお前らには訊かねえよ、くそ鬱陶しい」
獣人の一人が一歩前に出て、凶悪な手をこちらへ突き出す。
「さあ、その人間を渡せ」
「狼王の名の下に、人には首輪を与えなければならない」
狼王の名の下に、ときたか。
こうなってくると、こいつらはもう引き下がらないな。悠長に交渉に応じることもないだろう。
いつもなら無駄になることは承知の上でも、一言二言食い下がるときもあるもんだが。今回ばかりはそれもするつもりはない。
何故って、こいつらなんか気に入らないから。
「エルドラ、先行ってくれ」
「……請け負った」
「きゃっ、オルクス……っ」
小さなため息の後、静かに応えてくれたエルドラに、シンディの首根っこを掴んで引き渡す。それを見た獣人たちの間にピリッとした空気が流れる。
「何のつもりだ、オーク」
「これは我が国の、人間と獣人の問題だ」
「オーク如きが首を突っ込むなど――」
「余計なお世話かよ、俺のしてることは」
俺は背中の棍棒を引き抜く。
「だがこいつは俺の友人だ。友人に首輪かけて奴隷にすると言われて、さいですかと引き渡すのは俺の友情じゃねえ。こいつに話があるんなら、まずは俺を通してもらおうか」
「オルクス!!」
「任せろ、シンディ。また後で会おうぜ。行ってくれ、エルドラ!」
棍棒を振るって風を起こすと、灰が巻き上がって白く視界を潰す。感覚の鋭い獣人が動きを止める中、エルドラはシンディとロボを抱えて難なく離脱した。
「とまあ、一度こういう格好の付け方はしてみたかったんだ」
エルドラたちの気配が消えたのを見計らって、一歩獣人たちの前に出る。獣人は警戒心を露わにしながら、姿勢を低くしながら俺を半円状に囲った。
「無駄なことを。我らは臭いで獲物を追う。あんな人間などどこへ逃げようと追いつける」
「そうかい。ならここで、俺が全員仕留めなきゃな」
棍棒を肩に担いで構え、一番近い獣人に狙いを定めて振り下ろす。
俺のスピードに驚いた様子だったが、さすがは獣人といったところで難なく躱された。棍棒は獣人の影さえ捉えられず、地面に深くめり込む。
土煙と風を立てて灰を吹き飛ばす。もうもうと視界を埋める土煙の中から、鋭い爪を剥き出しにして襲いかかってくる。
速度はそこそこ。威力はそれほど強くない。だが連携が取れているから数が多いと厄介だ。多対一の技を持っていない俺は、こういうとき各個撃破で一体ずつ仕留めるところなのだが……。
今の俺は少しばかり事情が違う。
思わず口の端が吊り上がる。牙が剥き出しになって、見る人が見れば悲鳴を上げるほど、凶悪な顔をしているだろう。
人と関わることが増えたから、最近は意識して顔に出さないようにしていた。だが今はいいだろう。目の前にいるのは敵だけだし、今は自分の興奮を抑えるのが難しかったから。
「ドズの爺さんから継承したスキルを試させて貰うぜ、お前たちは実験台だ」
――魔力を回す。
慣れない感覚が、首の付け根あたりを中心に、神経を這うように身体中を巡る。文字通り身体に覚え込ませた動きが、魔力によって形を成す。
世界に五種のみ確認されている、
「――ステラスキル、
その力は霹靂の如く。
獣人は見えない手に抑えつけられたように、その場で硬直して動かなくなった。ドズがワイバーンを一瞬抑えつけた
「オークだって喋るし、スキルだって使う。恨むなら侮った自分を恨みな」
獣人は金縛りにあったように身体を震わせている。何かを叫ぼうとする度に、彼らは咽喉に筋を浮き立たせていた。
だが無駄だ。こいつらの膂力か魔力かが、俺の魔力を上回らない限り、このスキルから逃れることはできないのだから。
俺は棍棒を振るい、一撃で全員を昏倒させる。その瞬間。
――アオォォォォォォォォォォォオオオオ!!!!
森の奥で遠吠えが聞こえる。あちこちで呼応するように連鎖し、その声が段々と近づいてくる。
いま伸した奴らは先遣隊か。シンディの言うとおり人間を見つけて近づいてきたこともあるだろうが、やはり国に入り込んだモンスターである俺をどうにかするために来てもいるらしい。
なんだかキリがなさそうだ。
なんせさっきから遠吠えが止まない。
「どう考えてもお前らじゃあ俺に勝てないだろ。何が目的なのよ」
木々の影に潜む獣人に問いかける。
返ってくるとは思わなかったが、低い声が律儀に返ってきた。
「狼王はお前の存在を知った」
「狼王はお前を連れてこいと言った」
「狼王はお前に会いたがっている」
さっきの遠吠えでそんなこと言ってたの? 便利だね遠吠え。
俺はジッとこちらの様子を窺ってくる獣人たちを眺める。彼らの様子から命令に対する戸惑いを感じられた。
なんだか少し憐れだ。こいつらは命令されないと動けない。それというのも狼王がいるからなのだろうが、きっとこいつらは元々の性質がそっちなのだろう。
ただ上に立つものだけが違う。純粋な存在だから、上が悪なら悪に染まる。すべてが変わってしまった、とシンディは言っていた。たぶん事態はもう少し複雑だろうなと、俺は少しだけ冷静になった。
「連れてけ、お前らの狼王とやらに」
棍棒を収める。
敵対の意志はないと、俺は両手を掲げた。
元凶に会ってみたくなった。
狼王、ウルフリック・ウールブヘジン。
俄然、その男に興味が湧いた。
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