第34話 灰被りのシンディ

 俺と対面した人間が取る行動は、おおよそふたつのパターンがある。

 姿を見た途端、まるで天変地異を目の当たりにしたように血の気が引いた表情を浮かべ、狂ったように悲鳴を上げながら逃げていく。

 あるいは、泣きそうな顔に滝のような汗を浮かべながら、仔犬みたいに健気な勇気を振り絞って襲いかかってくる。


 この子どもはどうかというと、そのどちらでもなかった。俺が喋れることに驚いてはいるが、そこに怖ろしさや嫌悪感を示すことなく、会話ができるなら意思疎通も成り立つだろうというような、俺と遭遇した人間にしては珍しい前向きな捉え方をしているようだ。たぶん隣にいるエルドラが、明らかに人間であることも後押ししているだろう。

 とはいえ得体の知れなさがあるものか、少女は逃げることはなくても近づいてくる様子もない。鼻を必死にスンスンと鳴らしながら、恐る恐る近づいてくる犬みたいで少し微笑ましかった。


「煙る灰の国。じゃああれは、全部灰だってことか」

「そうだよ。あの雲から」


 少女は山頂を見上げる。


「ずっと降ってくる。あれは目印なの」

「何の目印なんだ?」

「王様の居場所。王様はここだ、ここにいるんだって」

「王様って、もしかして狼王のことか。この国に狼王がいるのかい、お嬢さん」


 少女が素早くこちらへ向く。


「あなたたち、狼王を知っているの?」

「お兄さんこう見えても冒険者だからな、いろいろ知ってるさ」

「お兄、さん? ……ごめんなさい、オークの年齢はわかりにくい」

「……まあ、うん。厄災狼王と言えば、大陸を飲み込もうとする化け物の名前だな」


 とはいうが、狼王はもういない。四大厄災からも姿を消した過去の事象だ。いまその席は空席となり、実質は三大厄災となっている。

 少女はそれを聞いて、グッと裾を握りしめた。躊躇いか、あるいは我慢をしているような。表情では聞き流していても、思わず身体が反応した、そんな感じだ。


「その狼王じゃない」


 その声は表情と同じで、まるで感情が読み取れなかった。だが足下の仔狼は、その声に何かを感じ取ったらしく、俺たちへの威嚇を止めて少女を見上げる。


「じゃあ、この国には別の狼王がいるってことか」


 少女はこくりと頷き、こう言った。


「あれは五年前。前王を殺して、血塗れの玉座に座ったその男は、自らを狼王と名乗った。ウルフリック・ウールブヘジン。あいつが現れてから、ここは灰の国になった」





     ▼





 樹海国家ローディーンは自然豊かな国として知られると同様に、人間が獣人と共同生活をしている国としても有名だった。諸説あるところだが、獣人という生物が誕生した地とも言われており、厄災狼王の出現にともない、一時歴史学者たちのあいだでは注目が集まった国でもある。

 あえて文明を発展させることなく、生活の下地として根付いていた牧歌的な暮らしを維持し、最低限の都市機能は山の麓にある中央街だけに集中させている。人間と獣人が手を取り合って築き上げた国は、自然と文明が結びついて混ざり合い、彼らにとっての理想の国として独自の平和をもたらしていた。

 もともとは狼王を祀る遊牧民たちが集まってできた国だったが、彼らは国造りの際に王の選定を躊躇わなかった。

 満場一致で決まった初代王の名は、ハーディ・ベルベット。

 彼の治世となった国は瞬く間に纏め上げられ、人徳の王、人と獣の王として、その威光は歴史に深く刻まれた。王家となったベルベットの子孫たちによって、国は現在の基盤となる平和の形を築き上げていく。

 そうして時は流れ、初代に並び立つ優れた王と呼ばれる、当代ガルマーナ・ベルベットの治世となって数年後。

 狼王は、人の姿をして現れた。


 ――我が名はウルフリック・ウールブヘジン。狼王の帰還である。偽りの玉座を明け渡し、真なる王に頭を垂れるがいい。


 立ち塞がる者を全て殺しながら現れたその男。最初は誰もが狼藉かと身構えた男からは、驚くべきことに厄災狼王のオーラが確かに感じ取れた。狼王を祀る民だったからこそ、気づいてしまった。

 そうなればもはや手出しはできない。狼王に連なる者に、刃を向けることはできなかった。

 だがわからない。我らが祀る神の子であるなら、どうしてこのようなことをされるのか。どうしてこのような行いを捨て置くのか。ああ、我らが神たる狼王よ。今こそお声を――。

 そんな揺れ動く信仰心を見透かしたウルフリックは、狼のように口角を釣り上げて凶悪に嗤った。


 ――貴様らを我が民として認めよう。我が望むは強い国。開拓を進め、軍備を強化し、やがてこの大陸を落とす。我が真なる狼王となり、我が咆哮を星の果てまで響かせんがため。貴様らは我の手足となり、従順に労働することを許すぞ。


 その言葉で誰もが理解した。樹海国家ローディーン、積み重ねられた平和の歴史は、今この瞬間をもって断たれたのだと。

 足下が崩れていくような浮遊感、突如空いた穴に吸い込まれていくような虚無感。人々は信仰の壁により逆らうことはできず、獣人たちは狼王のオーラの前に怯えている。彼らにとっては紛れもない神の降臨だった。いかにそれが邪神であろうと、従うほかに選択肢はない。

 だが王だけは違った。彼は国を統治する過程で、痛いほど理解していたからだ。独り善がりの治世がいかに国を滅ぼす結果を生むか、そうして歴史から消えていった国がいくつあるのかを。

 ベルベットは狼王より国を任された王の家系。国が滅ぶとわかっていて、恐れるばかりで忠言もできず何が王家か。

 炎よりも熱い真なる信仰を胸に、ガルマーナ王は狼王を名乗る男に向かって声を上げる。


 ――王よ、今一度ご再考を! もとより借り受けた玉座、私は喜んでお返しいたします。ですがこの国は、自然の中で人間と獣人が共存しております。強引な開拓は、必ず国を破滅させることになります。何卒、何卒ご再考を、お願い申し上げます!


 王が床に額を擦りつける様を臣下たちは見ていた。

 その心に宿ったのは、惨めな王の姿に対する落胆ではなく、国を、民を想いながら必死になっている王の姿に対する尊敬の念。初代王の血を受け継ぐ王、もっとも優れた王。当代にて仕えることができた喜びを噛みしめながら、臣下たちは王の言葉に耳を傾けた。

 だがこの場に現れた狼王は、その言葉も想いも、全てを一笑に付した。肉食獣と同じ獰猛に口角を吊り上げて、鋭い犬歯を覗かせながらガルマーナ王に歩み寄る。


 そうして、彼の喉笛を噛み千切った。


 響き渡る悲鳴。困惑の絶叫。耳をそばだてて心地よさそうに聞きながら、ウルフリックはあっという間にガルマーナ王を、ガルマーナ王であった肉体を喰らい尽くした。

 にわかには信じがたいその光景を目にして、彼らは一様に理解した。これは人間ではない。獣人でもない。人間の見た目はしているが、もっと遙かに凶悪な存在だ。言葉など聞き入れる筈がない。


 ――前王は、真なる王に捧げる贄となった。そしていま思いついたが、新たな国に王族は必要ない。俺こそが永遠の王になるからな。

 ――一族郎党を我が贄とする。一人残らず連れて参れ。女子どもも例外ではないぞ。


 その宣言をもって、ベルベット王家は陥落した。

 親も妻も子どもも、血を分けた親類縁者もすべて、一夜にしてウルフリックの腹に収まった。

 その日、中央街の裏手にあるアセナ山に雲がかかった。雲は次第に厚さと広さを増していき、中央街の周囲十キロを覆う大きさとなる。

 そうして今日に至るまで、真っ白な灰を降らせ続けるようになった。

 まるで厄災狼王と同じ。自らが破壊した国を、灰で白く染め上げるように。





     ▼





 長い長い話を終えると、少女は深く息を吐いた。


「これが、美しかった樹海国家の顛末。この国のみんなが知ってる、煙る灰の国と新しい狼王の話」


 その重苦しい声が、言葉以上にこの国の現状を物語っているようだった。

 俺は鬣を撫でつける。正直言葉が出ない。それは別に沈痛というか、感情が暴れて何て言ったらいいかわかならい、ということではない。

 たぶん、よくある話だったからだ。

 エルドラからこの大陸の歴史を聞いたとき、似たような話はいくつもあった。栄枯盛衰、諸行無常ともいうか。ともかく栄えれば衰え、永久に同じものは存在せず、常に物事は移り変わる。

 国とはそうやって生まれ、統合して、あるいは消滅する。歴史の中では当たり前にそれが起こっていた。この国だけに降りかかった、特別な悲劇ではない。

 だからむしろ、俺の心はまるで動かなかった。だから言葉に迷うのだ。人並みに感情はあるから気の毒とは思うし、気の利いた声を掛けてやりたいが、どうにも興味が湧かなくて駄目だ。


「オークさん、あなたはこの話を聞いて、前の王はどんな人だったと思う?」


 少女からそんな疑問が飛んできて、さらに迷った。

 立派だとは思うが、結果が伴わなかった。ここからさらに後の時代なら、たぶん国を滅ぼされた王として語り継がれるのだろう。

 記録は平面だから、何時に誰が何をしたかしか教えてくれない。その記録を立体にしたものが歴史であるわけで、正しい歴史を知るものは時代とともに少なくなっていくのが世の常だ。

 最後の王の想いも、行いも、きっと風化していくことだろう。それを一言で端的に表せる言葉があるが、さすがにそれを口にはできない。

 迷って口を閉ざしていたそのとき。


「わたしはね、馬鹿だなって思うよ」


 意外なことに少女が、俺の言葉を代弁した。


「勝手な事を言って殺された、馬鹿な人。結局国も民も、自分の家族すらも守れなかった。最低な王様」


 この声は今までになく暗く、深い水の底を漂うような重さだった。足下の仔狼もその声に感応しているのか、まるで自分の首を絞められているように苦しそうな鳴き声を上げた。


「お前、王様に会ったことあるのか?」

「ないよ。でもわたしのお父さんは、王様を守る仕事をしていたから。王様が殺される前に、お父さんも殺されたけど」


 そこまで言った途端、少女はハッと我に返ったように顔を上げた。


「あれ、わたしどうしてこんなこと初対面の人に……。ん、……人? ……うん?」


 いやまあそこはもういいんだけどさ、どうでも。

 俺は仕切り直すために大きく息を吐いた。近場の岩に腰掛けていたエルドラもゆったりを立ち上がる。


「そこまで信用してくれてんなら、俺が襲わないってもうわかるよな。俺たちいい友達になれそうだが、どう思う?」

「オークとお友だち? うーん、ちょっと普通じゃない気がするけど」


 少女は口元に手を当てて考える。灰まみれで最初はわからなかったが、よく見れば目元もはっきりしていて頭が良さそうな顔をしている。

 まだ幼く見えるのは、大人びた雰囲気に実年齢が追いついていないだけだろう。

 少女は思考を追えると、うん、と一度強く頷いた。そして何かを察して暴れようとする仔狼を抱きかかえると、ゆっくり俺たちの方へ近づいてきた。

 ほとんど俺を見上げる位置まで歩み寄ってきたところで、俺は腰を落として目線を下げる。その態度に好感を持ってくれたのか、少女は初めて柔らかく口元を綻ばせた。


「俺はオークのオルクス。こっちの金髪はエルドラド。二人で冒険者をやってる」

「オークなのに、冒険者? ふふ。変だけど、なんだかとっても面白い」

「そうだろ。よかった、いい友だちになるには、やっぱり価値観が合わなくっちゃな。こっちのエルドラさんはな、俺が冒険者やってることをよく思ってないんだ」

「そうなの。じゃあ二人は、友だちじゃない?」

「もちろん、俺たちは親友だ」

「わあ、素敵ね。オークと人が親友なんて。まるで人間と獣人みたい!」


 少女は楽しそうにクルクルと回ると、スッと小さな手を差し出してきた。

 恐る恐るではなく、はっきりと親しみを込めて。


「わたしはシンディ。この仔はロボよ。わたしたちいっつも灰まみれだから、みんなからは灰被りって呼ばれてるわ」

「わかりやすくて言い名前じゃないか。まあ、俺には負けるが。よろしくなシンディ、ロボ」


 小さな人間の少女とオークが握手する。そんな光景を誰が思い描けただろう。まさに現実は小説より奇なり、だ。

 俺は新しい国で、二人目となる人間の友だちできた。



_____________________________


 現地の友だちの心強さ。

 しかし狼は、そんな彼らにだって牙を剥く。


 次回『狼王親衛隊ルゥ・ガルー』

 

 

 

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