第33話 灰の国

 キュートな鼻。

 黄金に輝く鬣。

 力強い蹄と牙。

 大きく突き出した腹。

 そして、つぶらな瞳。


 俺はオーク。

 オークのオルクス。


 オークで優雅な俺は、人目を気にせず真っ裸でダイビングを楽しむ。じわりと肌の内側へ侵食してくる水の冷たさが心地良い。

 鳥が羽を広げるように、俺の身体から白い泡が広がっていく。その向こうを泳ぐ美味しそうな魚たちが、俺のイケメンっぷりに驚いて逃げていった。

 魚たちと戯れるオークの姿は、さぞかし美しく絵になる事だろう。そうだ、美術家でも仲間に入れてみようか。一応俺、冒険者として旅してるわけだし、パーティ組んでみても面白いよな。

 イングレントにはその辺好きにしていいと言われているし、追々考えてみるか。


 視界は隅々まで青く澄んでいて、時折緑の影が差し込む。いつも水浴びしていた沼が肥溜めにさえ思えてくる、いっそ全て飲み干してしまいたくなるくらい綺麗な水だ。

 俺は息が続く限り深く潜り、そして身体の浮力を利用して勢いよく浮上する。急激に背中から引っ張り上げられるような感覚は、少しだけ癖になりそうだった。

 水面から飛び出した俺を日の光が迎える。弾けた水飛沫がキラキラと輝き、俺の裸体を一層に演出してくれた。


 近くに一艘だけ小舟が浮いていて、そこに釣り竿を垂らしている老人と小さな子どもがいる。突如として打ち上がった大物の姿に驚いたようで、八十四日の大不漁の後に巨大なカジキマグロでも釣り上げたかのような反応だ。この世界にマグロがいるのか知らないけど。

 おいおい、そんな反応されると照れるぜ。しっかり目ん玉に焼き付けておけよ、俺の美しい肢体を――。


「キショォオオオオオオオイ!!!!」

「あばばっばばああっばばば!!!!」


 小さな子どもがいきなり小舟を漕ぎ出し、勢いで振り落とされた老人は、枯れ木みたいなヨボヨボの身体でバタフライしながら逃げていった。

 ……もう、そんな照れなくていいのに。

 俺はゴムボールみたいにとぷんと水面に一度沈んで、腹を中心にぐるぐると前転しながら岸へ向かう。


 無意味な動きが俺の身体に教えてくれる。俺は今全力で休んでいるんだ、と。

 生まれて始めて全力疾走したこの一年くらいは、自分を褒めたくなるような誇らしさを膨らませながらも、放っておけば俺の身体は泥沼に沈んでいって、挙げ句一番底にキスしてしまいそうだった。

 俺は今、休暇を楽しんでいる! 全力で叫びたい!

 とか思ってたら背中が岸に触れた。俺はのっそりと岸に上がり、犬猫のように身体を振って水を飛ばす。これって結構難しい。

 青空と太陽の前に胸を張り、鬣を整える。

 素晴らしい、清々しい朝だ。思った通り、ここにキャンプを張って正解だった。


「オルクス」


 エルドラの黄金の髪は相変わらずの輝かしさで、今日はなんと水も滴っている。


「水を飛ばすなら一言言ってくれ」

「あ、や、すまん。だが男前が上がったぞ」


 エルドラは作り物のような無表情のまま、無言で圧力を掛けてくる。コイツには勝てそうにない。


「なんならお前も泳ぐか」

「遠慮しよう。今日は日差しが強い」

「だから水が気持ちいいんじゃねえか。火達磨みてえな身体を水に沈めて、風に全身を曝して落ち着けるのさ。

 こう言うのなんていうか知ってるか?」

「知らん」

「整うってのさ。俺はいま、最高に生きていることを実感している」


 エルドラは興味なさそうに木陰に座っている。

 俺はその場で大の字に寝っ転がる。空の青さが目に染みるぜ。ここが海なら磯の香りでもするんだろうが、残念ながらここは湖だ。海みたいにドデカいがな。

 俺たちは王都、星見の国オリオンを飛び出して、とりあえず隣接する国に向かっていた。二日掛けて山を越えて、すでに国境は抜けている。途中で人間に見つかって襲われたり、それを軽くあしらったりしていたら、思ったよりも時間が掛かってしまった。

 選別にと貰った地図と照らし合わせれば、大陸の最東端に位置していたオリオンの隣国に俺たちは足を踏み入れている。オリオンの森に住居を移した際には結構移動したはずだが、こうして地図を見ながら自分の足跡を辿っていくと、ちゃんと移動しているんだなという実感が湧いてくる。もはやこれだけでも楽しいくらいだ。


 そしてエルドラド曰く、オリオンに隣接する国はふたつあるらしい。

 ヴァイネス連合国。

 そして、樹海国家ローディーン。

 俺たちが今いるのはローディーンだった。何故こっちにしたのかというと、この国は名前の通り自然豊かな風土で、国土の九割が木と山で構成されているらしい。つまり国の中をオークがうろついていても、人に見つかる可能性が少ないのだ。

 しかもこの国、産業が発展していない代わりに、農業に力を入れているらしく、ローディーンで生産された食物はどれも絶品らしい。

 エルドラに説明を受けて、俺は即答でローディーンを選んだ。未だに人としての味覚が生きている俺だ。美味いものを食べたいという欲求は、オークとして五十年過ごそうが変わらない。


 それにだ、他にも理由はある。

 ヴァイネスは魔法研究が盛んな国で、またモンスターに対する造詣がかなり深いとのこと。それだけ聞いたらちょっと興味はあったが、仮にそんな国に喋るオークなんて入っていったら、研究対象として滞在中ずぅっと襲われかねない。さすがに嫌だ。

 そんなわけで俺たちはローディーンに入り、さっそく見つけた素晴らしく美しい湖でヴァカンスを楽しんでいるというわけだ。俺の選択は間違っていなかった。


「オルクス」

「なんだ、エルドラ。お前もこっち来て横になったらどうだ。風が気持ちいいぜ?」

「休むのはいい。鋭気を養うのは大事な事だ。だがこの湖に来てすでに三日が過ぎた。さすがに怠けすぎではないか」

「え、うそ、もうそんな経ってる?」


 驚愕、それは青天の霹靂。稲妻のカタチをした衝撃だ。

 まさか泳いで魚を捕って焼いて食って寝てを繰り返していただけで、俺は三日も浪費していたのか。しかも本気を出せばまだまだだらけることができると、俺は確信を持っている。

 なんだこの溢れ出る怠惰欲求は。人間の時でさえここまで休みを欲したことはない。これが労働に追われる生活か、恐ろしい。


「樹海国家は星見国と比べても領土が小さく、自然豊かな国だ。お前と俺であれば、数日とかけずに抜けられる」

「そりゃ都会都会してて、人目ばっかの国よりは通り抜けやすいだろうけどさ。ちっとは観光とかしたいぜ」

「止めはしないが、何か問題が起こっても俺は手を貸せない」

「わかってるよ、お前に負担は掛けない。もしそうなっても、てめえのケツはてめえで拭くさ。それにあれだ、情報収集しながら行かないとな。聖剣なんて当てもないモン探してんだ。西にあるってだけじゃ、たどり着ける気がしねえ」

「ふむ、では情報収集は俺がしよう。その代わり、荒事はお前に任せることになる」

「いいね、役割分担。ちょっとパーティらしい。狩人と考古学者ってのはちっと珍しい組み合わせだが、これからまともなの増やしていけばいいさ」


 俺はのそりと起き上がる。三日も上がらなかった重い腰が、今ようやく本来の重さを取り戻した。

 休み続ける生活も良いが、それより先の未来が気になりだした証だ。

 俺は三日ぶりに袖を通す。

 今回の旅は、俺に新たな決意をさせた。

 俺は自分がオークである事を偽らない。自由な冒険の旅、あるかどうかもわからない伝説に対する挑戦。イングレント曰く、これは神話の証明だ。

 そしてこの旅は、俺がオークであることにきっと意味がある。当てもない旅の果てで、俺はそれを証明してみせよう。オークのオルクス第一章にて、この決意は力強く刻まれるのだ!


「? エルドラ、俺のパンツはどこだ?」

「お前はいつも履いていないだろう」


 そうだった。

 いそいそとズボンを履く。ズボンをパンツと呼ぶこともあるらしいが、俺はやっぱりズボンの方がしっくりくる。

 俺が支度しはじめたのを見て、エルドラもゆったりと立ち上がる。長い髪が見えない手で掬われるように風に揺れた。俺の鬣より黄金の髪の人間。奴の立ち姿は悔しいが絵になる。

 また顔立ちも端正だ。彫刻や絵画のモデルになれば一儲け出来るんじゃないだろうか。

 その男前が視線を向ける先は、俺がこの三日見ないようにしていた、湖の先にある光景。俺は振り返る。


「あー、確認なんだが、エルドラさんよ」

「どうした」

「ローディーンは自然豊かな樹海国家なんだよな。作物が豊富に採れるってんで、俺はてっきり春みたいな風土を想像してたんだが」

「ああ、間違いない。豊かな土と風土、そして恵まれた天候により、質の高い果実や作物が多く採れると聞く」

「じゃああれは何よ」


 俺が三日間も駄々をこね……もとい、様子を見ていた理由はあれだ。

 見渡す限り緑豊かな大地。その中にぽっかりと空いた、いや浮かび上がるように鎮座する違和感。あまりにそこだけが違いすぎて、まるで視界が三つに分割されているような感覚だった。

 おそらく、そこも緑が生い茂る山だった。つまりここくらい遠くから眺めれば、美しい山を見る事ができただろう。

 だがそれは、帽子のようにすっぽりと山頂に被さったあの分厚い雲、そしてそこから振る雪が全てを覆い隠してしまっていた。おかげで緑の中に、雪白の空間が浮いているように見える。

 エルドラが言うには、この国の中央街はあの山の手前にある。つまりあの白い空間のほとんど中心に位置していて、そこを横断するのがこの国を抜ける最短ルートだ。


「あれ本当に雪なのか? この三日、まるで止む気配がなかったぞ」


 エルドラは答えない。歴史学者、考古学者を名乗るだけあって、こいつは地理や国、歴史について詳しい。そんなやつが答えられないような現象なのだから、きっとあれはごく最近起こりはじめたのだろう。

 もしかしてあれも、竜王が誕生して発生したものなのだろうか。


「まあ何にせよ、行きゃあわかるか。なあエルドラさんよ」

「あそこに行きたくないから、ここに留まっていたのではないのか?」

「寒いのは嫌だから、ただの雪なら避けて行くがな。雪が降るのはまだしも、この三日、あの雲がまったく同じ位置に留まり続けるってのが変だ。

 きっと何かあるぜ、エルドラ。冒険者ならこういうことに首突っ込まなきゃな」


 棍棒を背中のポーチに収める。荷物を背負ってしまえば、それだけで準備万端だ。もとより着の身着のままな旅。今後人が増えるとしたらこうはいかないだろうが、いまはこれくらいが丁度いい。


「さあ行こうぜ、さっそく何かありそうで、わくわくするな!」

「何かあっても俺は闘えん。ないほうがいい」

「大丈夫だって。なんとかなる」


 なんたって俺はEXランク冒険者だ。大抵の事なら何とかなるだろう。まさかワイバーンクラスのモンスターが襲ってくる事もあるまいよ。

 俺はエルドラが付いてきているのを確認しながら、まっすぐ山へ向かって歩き出した。





     ▽





「おいおい嘘だろ、汗かかない俺が汗かいてるぜ」


 湿度が高いせいだろう。森に入ったところから水滴が体中に付いて気持ちが悪い。


「エルドラ、お前は大丈――すまん、何でもない」


 何をどうしたらそうなるのか知らないが、長い金髪が植物みたいに顔にへばりついていた。アレで前が見えているのかは疑問だが、取ったところで最高に不機嫌な顔が出てくるだけだろう。

 それにしても暑い。堪らない暑さだ。まるでグツグツに煮立った釜の上に吊されているようだった。俺なんて汗がかけずに熱が堪っていく一方だから、それで死ぬようなことはなくてもとにかく不快だ。


「目の前であれだけ雪が降ってんのに、なんでこんなに暑いんだよ」

「……あれは、雪ではないのかもしれない」


 後ろの方でぼそっとエルドラが呟いた。洞窟の奥から聞こえてきそうな不安定な声で、危うく聞き逃すところだった。

 あれが雪じゃないって、じゃあ一体何だ。雲から降ってくる白い物体なんて、雪以外に何がある。


「ローディーンは自然豊かな樹海国家だが、それ以外にも大きな特徴がある。むしろ歴史から言えば、そっちの特徴の方が重要だ」

「それはさすがに先に言って欲しい」


 俺は突っ込みながら立ち止まる。

 エルドラは自分の指で枝葉を掻き分けるように、顔にへばりついた髪を剥がした。鬱陶しそうだな、いっそ切ってやろうかそれ。


「建国される前、ここにはいくつかの部族が生活していた。彼らは皆、あるひとつの存在を神と崇め、共通の信仰により集合し、やがて国となった。ここはその神と呼ばれる存在の産まれた地とされている」

「その神ってのがあの雲と関係があるってこと?」


 エルドラは頷く。


「神とは彼らから見た姿に過ぎない。歴史はその存在を恐れ、人類には対処できない事象、厄災として語られている」

「……それって」

「その厄災はある物体とともに現れる。正確には、厄災が通り過ぎた後、何もかもが廃墟となった場所に足跡のように残される。

 彼の厄災の名は、狼王。そして、残されるものは――」


 エルドラは不自然に言葉を止めた。おいおい、もったいぶるような喋り方しといて、続きはウェブでってかよ。冗談じゃないぜ。

 神妙な表情を浮かべてエルドラが左を見る。周りは草と木と苔むした岩しかないが、その一本の木の影から気配がある。


「オルクス」

「ああ、気づいてるさ。

 ――おい、盗み聞きしてねえで、出てきな。取って食いやしねえから」


 何て言って大人しく出てくるかな。俺の姿が見えてるなら無理か。でもこいつ、結構前、、、から付けてきてるんだよな。

 エルドラが狼王の話をしたら、一瞬だけ気配を強めた。エルドラはそれが気になって止めたのだろう。

 期待せずに待ってみて、近づいてみるか、と考えたところで。


「お、出てきた」


 木の影から姿を現したのは、真っ白に煤けた子ども。髪も顔も身体もとにかく灰まみれ。そして足下には小さな仔犬……、いやあれは仔狼か。こいつも真っ白だった。罰ゲームでも受けたのかこいつら。


「俺たちを付けてたよな、何の用だ?」


 仔狼が子どもを庇うように唸る。子どもは子どもで怯えた様子だったが、俺たちに対する興味の方が勝っているらしい。その身体で唯一、赤々と光る瞳が俺たちを捉えて放さない。その輝きが意味するのは、決して恐怖だけではなかったろう。

 子どもが怖々と口を開いた。


「オークが、喋ってる?」

「おうよ。こんな熱帯地域に雪が降るんだ、オークだって喋っていいだろう」

「……雪って?」


 俺は山の上に掛かる雲と、そこから降る雪を指さす。子どもはそれを見て、ああ、と納得した様に声を上げた。


「あれは雪じゃないよ。あれは、灰」

「灰? 灰って、あの灰か? 灰って雲から降るのか?」

「この国では降ってる。もう何年も、この国は灰被りなの」


 子どもが迷子を告白するように言う。

 声の感じでわかったが、こいつは女だ。服装が麻布を適当に纏ってます、みたいな見窄らしい格好だから、性別がよく判らなかった。

「狼王の通った後には、いつも真っ白な灰が積もる」

 エルドラがぼそっと言った。

 ここは狼王が誕生した土地。

 狼王はすでに消滅し、四大厄災からも抹消された。だがこの国では、何故かああやって灰が降る。


「この国は今、こう呼ばれている」


 少女は一拍おいて言った。


「煙る灰の国、ローディーン」



_________________________


 二人の前に現れた謎の少女と小さな狼。

 彼女の口から語られる、灰の国の正体とは。

 そして彼女は何者?


 次回『灰被りのシンディ』

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