第31話 旅立ち
フルプレートメイルに身を包んだ俺は、意を決してギルドに足を踏み入れた。
ガヤガヤと賑やかだった雰囲気が、誰かが俺を見つけた瞬間にピタリと止んだ。数十の視線に曝される。値踏みされるような、近ごろ懐かしい感覚だった。
異様な空気の中を奥へ進む。
窓口のお姉さんは非常に緊張した様子で、口を真一文字に結びながら俺を待ち受けていた。
こんなに怯えられるとやりにくいな、と思いながら、窓口まで辿り着く。
「あー、すまんが――」
「――今だ! かかれ!!!」
その声に咄嗟に振り返ると、いままで石みたいに硬直していた冒険者たちが、一斉に襲いかかってきた。
「うおお、何だお前ら!」
「おら、取れ取れ、それ取ってやれ!」
「醜い顔見せろ、てめぇ!」
突如視界が開けた。誰かが顔の鎧をぶん取ったのだ。オークの俺の顔が衆目にさらされる。
その瞬間、なぜか爆笑が起こった。
「ホントにオークだ! 醜いオークの顔だぜ!」
「鼻も牙も本物だぜ、こりゃたしかにオークだ!」
「えー、でもオークにしては小綺麗かも。目が可愛い気がする」
「わっ、鼻ヒクヒクしてるわ」
「よく見りゃ牙もかっけぇかもしれん」
「でも醜い」
「そうだなやっぱ醜い」
ギャハハ、と再び爆笑。なんだてめぇら、ついにとち狂って俺に喧嘩売りやがったか。
短い間に散々悪口言ってくれやがって、俺だって怒るぞコラァ!
「ウラァッ、どけてめぇら!」
「ぎゃああぁぁ、豚がキレた!」
「逃げろみんな! オルクスがキレたぞ!」
すると冒険者たちは蜘蛛の子を散らすようにわっと離れた。
「あー、駄目だ。強ぇ強ぇ」
「こりゃ俺らじゃあ勝てねえや」
「まったく、だから言ったじゃないさ」
「勝てねぇから、俺飲もー」
「俺も俺も」
「醜いオークなんてほっといて飲もうぜ」
俺は立ち上がって片手を振り上げたまま、さっさと席に戻っていく奴らを見送るしかなかった。振り上げた手の下ろし方がわからん。あいつら一体なにが目的だったんだ。
すると背後からくすくす、という笑い声が聞こえた。見れば窓口のお姉さんが、口元に手を当てて笑っている。
「す、すみません、オルスクさん。お久しぶりですね」
「お、あ、ああ」
「ギルド長から伝言を承っております。後でお部屋まで来るように、と」
「ああ、そりゃあ、いいけど」
俺はもう一度背後の冒険者たちを見る。
さっきのことは忘れてしまったように、酒を呷りながら楽しく話している。たまに上がる笑い声は、思いっきりリラックスしている証拠だ。
俺のことはまるで警戒していないし、ともすれば意識もしていない。オークなんてこの場にいないとでも言うように、彼らは日常の中にいた。
「皆さん、不器用な方たちばかりですから」
「え?」
「モンスターであるあなたに、素直にお礼を言えないんだと思います。私たちも避難した王城から見ていました。空を飛ぶワイバーンを地に落とした、オルクスさんの姿」
窓口のお姉さんは柔らかく微笑む。
それはまるで、人間に向けるような優しさだった。
「皆さん、感謝されていますよ」
そう言われて、もう一度冒険者たちを見る。
彼らはどこか気まずそうに鼻を掻きながら、俺に向けて酒を掲げてみせた。それは気軽な挨拶だ。人と人がするような、意味もない、なんでもない挨拶。
そう、それは何でもないのに。
オークになって、はじめてのことだった。
▽
「結論から言うとオルクス、君には王都を出て行ってもらわないといけない」
イングレントの部屋に行き、挨拶もそこそこにソファに座らされて、開口一番そう言われた。
「あの森からもだ、それも二日以内に」
「まあ、そうなるよな」
「こういう結果になってしまって、申し訳なく思っているよ」
「王家から討伐隊が来るんだろ? なら仕方ない、俺だって死にたくないしな」
イングレントはなんだ知ってたのか、とぼやいた。ワイバーン討伐の日からこっち、機嫌の悪さは一向に直っていないらしい。
俺は視線を逸らし、別のソファに腰掛けていたドズの爺さんを見た。
「そんなボロボロでよく生きてたな、爺さん」
「ふん、あれしきでくたばって堪るものか。まだまだ後継の育成が必要だと確信するには、まあ良い機会だったわ」
なんかこっちはこっちでテンション高いな。左腕なくなったのに、大したもんだ。
「それよりもイングレント、中途半端に説明するな。伝える事はしっかり伝えんか」
「ああ、そうだったそうだった。オルクス、カードを貸してくれたまえ」
俺は懐から冒険者カードを取り出して、イングレントに手渡す。するとそのカードになにやら魔力を込めると、ランクの部分がジリジリと焼け始めた。
冒険者の資格が剥奪されるのだろう。あんまりにあっさりしていて何の感情も湧いてこない。
今あるのはもったいないな、という思いだけ。もう少し冒険者でいたかった。
俺の感慨を余所に、イングレントはカードの焼き直しを追えると、それをドズの爺さんに渡す。内容を確認してもう一度イングレントへ戻し、そのカードはなぜか俺の目の前に差し出された。
「今日から君はAランク冒険者ではなくなる」
「ああ」
「イングレント・クリスティの名において、今を持って君にEXランクの資格を与えよう」
「ああ……。え?」
なんて? EX? なにそれ?
「この地に縛られることなく、あらゆる土地で冒険者として活動することが許される。
冒険者の本分。未知の開拓、伝承の探求、神話の証明。その当てもない旅に任命された冒険者に与えられるのが、EXランク。
このランクはギルドが冒険者を雇うのではなく、世界の解明、人類の発展に欠かせない冒険者に対し、ギルドが後ろ盾になるという証明だ。
故にこれ以降、我々は君に仕事を斡旋しないし、君の行動を制限することもない。君は自由に生きて、そこに生じる責任はすべてギルドが被るという、言ってしまえばそれだけの契約だ」
「いや全然大それた契約なんですけど。王家が討伐するって判断したモンスターを、そんな風に庇っていいのかよ」
「私たちギルドは元々自治体の組合だ。王家の介入を許してはいるが、それと戦ってはいけないというわけではない。そしてこのギルドには私がいる。いまこそ散々積み上げた貸し付けを回収するときだ。
それに、君を拾ったのは私だからね。オルクスは我がギルドの冒険者、そうでなくても事実は、竜退治においてもっとも活躍した英雄だ。それを討伐しようというのなら、私も出るとこ出なきゃね」
俺は不安になってドズを見ると、神妙な顔で頷かれた。いやうむ、じゃなくてさ。あんた相談役だろ、なんかもっとこう、ないのかよ。
「異議はない。もちろんあの竜退治は全てがお前の力ではない。だがお前がいなければ、誰もが膝を折り立ち上がる事すらできなかっただろう。その評価は正当なものだ。
と、それを差し引いたとして、個人的にも儂はお前に感謝している。ワイバーンとはいえ、今生で二度目の竜退治を果たしたのは、お前の功績が大きい」
「あんたにそう言われると気持ち悪いな。だが俺は、最後の美味しいとこを持ってっただけだ。あそこまで追い込んだのは、皆だろ」
「無論だとも。皆それぞれ評価を受けている。中でも大出世を遂げたのはコリー・ペイシェンスだ。ワイバーンの弱点を見抜く技、そして戦後処理において大規模治療魔法を行使したその腕を見込まれ、特Aランクに昇級を果たした」
「マジかあいつ、有能すぎだろ」
「治癒術士で前衛張るような子だからね。もともと私と同系統のネジの外れ方をしている。何はともあれ、王家の使いっ走りは気が引けるが、後輩が増えたことは単純にうれしいね。本人は恐縮していたけど」
イングレントは窓際へ移動する。
外からの光を受けながら、緩やかに腕を広げる。
「オルクス。君には常々、やりたかったことがあるんじゃないのかい?」
俺は思わずお、と声が出る。
イングレントやドズにも言った憶えはないのに、こいつはほんと何でもお見通しか。
「千里眼といってね。ランクは低いが、色んなものんが視えるのさ」
「それで飛んで帰ってきたのか」
「まあね。それでオルクス、その君の夢、我々が後ろ盾になろう。ちょうど目的とするものは、我ら冒険者の本懐でもある。
聖剣の探索、心が躍るじゃないか。行ってこいよ、オルクス。その柄を掴めば、君は名実共に英雄だ」
イングレントは戻ってくると、俺に向けて手を差し出した。俺はその意味を察して、テーブルのカードを手に取り、立ち上がる。
イングレントの表情は、相変わらず自信に満ちたものだったが。その中に僅かな、ほんの僅かな寂しい色を見た……と思う。
それは俺の願望だろうか。
そんなことを思いながら、差し出された手を握る。
「君の旅路に、苦難と冒険があらん事を」
▽
「悪いなエルドラ。急に出発する事になって。急がないと俺討たれちゃうからさ」
「問題ない。俺の準備はすでに済んでいる」
イングレントたちと別れた後、下にいた冒険者たちに誘われて酒を飲んだ。いつかあそこで飲める日が来るかな、と思ったことがあったが、まさか本当にそんな日が来るとは。
長居も出来なかったら二杯飲んで出てきたが、帰り際に、
「また飲もうぜ」
と、誘われたとき、何故だかちょっと泣きそうだった。
俺は必要最低限の荷物を纏めて袋に詰める。
こっちに越してきて二年。俺が自由を手に入れて、はじめて過ごした二年間。一から建てた家と、すべて手作りの家具。
思い出らしい思い出はないが、それでも思い入れはあるものだ。
「じゃ、あばよ」
物思いに耽るオークなんてゾッとしない。絵にもならないし、さっさと切り替えて外に出る。
――イーディス・デュパンが、仁王立ちでそこにいた。
見送りにでも来たのか、と一瞬思った。
だが身体から滲み出る魔力と殺気は本物だった。俺は一応警戒しながら棍棒を握る。
イーディスは声を張り上げる。
「この森を出るのですか、オルクス殿」
「ああ、出て行く」
「そうですか。醜いだけではなく、無責任でもあったのですね。失望します」
「な、何のことだよ」
「コリーは、王家があなたを討伐する際、ギルドは一切加担しないという契約を成立させるために、特Aランクへの昇級を受け入れました。本当は王家の使いっ走りなんて嫌だったのに。
端的にあなたのせいです。責任を取ってギルドに残り、これまで以上に馬車馬のように働いてください」
「え? 寂しいから残ってくれって?」
「お、思い上がるな! 誰もそんな事言ってないでしょうが!」
顔を真っ赤にして咆哮する。
その姿を見て俺は思わず笑ってしまった。
「わっはっは。まあ、そういう事情なら、たしかにコリーには悪い事をした。だがあいつは、俺のためを思ってそんなことはしない。あいつの頭にあるのはいつも、お前の事だけだろ、イーディス」
ぐ、と喉を鳴らしてさらに赤くなる。
いまさら墓穴を掘った事に気づくとは、可愛い奴だ。
「で、俺は気にせず出て行くが、お前はどうするんだ?」
俺は次の流れを理解した上で、助け船を出してやる。
こいつはそもそも、俺の正体に気づきかけていた。俺がオークであると半ば確信した上で、俺と一緒にパーティを組んだし、なにかと一緒に行動した。
千里眼がなくたってさすがにわかった。こいつが昇級試験の戦闘に拘っていること、もう一度俺と戦いたいと思っていること。
イーディスは腰の刀を抜く。
緩やかな曲線を描く
俺たちは正眼で対峙する。
たぶん俺は、この光景を想像していた。
「あなたを守った首の皮一枚、今度こそ届かせます」
「やれるものならやってみな」
そうして俺たちは互いに地面を蹴る。衝突の直前、イーディスがぼそっと零す。
「――感謝を」
「よせやい」
そうして俺たちは衝突した。
森全体に響いた戦闘音は、そう長く続かなかった。
…
かくしてオークは旅立った。
己が第二の故郷を捨てて、
竜殺しの呪いを身に受けながら、
彼は聖剣を夢見て往く。
これから待ち受ける新たな出会い。
そして苦難と冒険。
聖剣を望む探索行は、この一歩から始まっている。
/P・H・T
____________________________
これにて第一章終了。
ここまで読んで頂いた皆様、ありがとうございます。
おかげさまで少しずつ読者も増えてきまして、
「面白くしなきゃ」
と毎日良い刺激を貰えています。
実は最終章の流れは決まっているのですが、途中で何をやるかはまだちゃんと決まってないです。
大陸は回る予定ですが、海の向こうの国も出したいし、再登場させたいキャラもいますし。
やりたいことは盛りだくさんです。
あ、でも第二章でやることは決めましたので、とりあえずそれは書いていきます。
まずはあの子を出すところですね。
そんなわけで次回予告。
【新章突入】
第二章、狼王の落日。
次回『灰の国』
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