第20話 労い

 七日ぶりのギルドは、意外にも閑散としていた。

 いつもなら仕事がねえ仕事がねえ、とぼやきながら酒を呷っている連中で溢れているのに、今日はいったいどうしたことだろう。

 俺に気づいた窓口のお姉さんに会釈して、依頼書が張られている掲示板まで移動する。

 ここもいつもならCかBランクの依頼書が余っているのに、今日はEやDランクの仕事しか残っていない。


「すごいですよね、こんなに依頼書が捌けたのは久しぶりですよ」


 掃除用のバケツとモップを抱えた受付のお姉さんが話しかけにきた。


「ここ数日は毎日こんな感じです。ギルド長の運営が上手く行き始めたんですかね」

「へえ、ならランク違いであぶれる冒険者もいなくなってきたのか」

「皆さん順調に力を付けて昇級されていますね。パーティの監督ができるA、Bランクの人も増えたので、パーティでのクエストも増えました」

「イングレントの思惑通りか、すげえな」


 Aランクの俺が下のランクを取ってしまうのは可哀想だし、今日の所は帰って寝るとするか。実はまだ、首やら頸椎やら心臓やらが本調子ではないし。

 あんまり休むのも悪いかな、とか気を利かせて出てきたが、もうしばらくは身体を休めるのに時間を使えそうだ。

 俺がお姉さんに今日は帰ると告げて、踵を返したそのとき。


「おーい、オルクス!」


 二階からイングレントの声がしたので振り返る。

 顔面を踏んづけられた。


「おっとごめん、目測を誤った」

「てめえは……、次から飛び降りる前に声をかけろ」


 イングレントはひらりと身を翻して着地する。それと同時、鬼の形相をしたドズの爺さんが二階から身を乗り出した。

 すぐ下にいたイングレントと俺を見つけたと思いきや、カッと目を見開いて怒鳴りつけてくる。


「オルクス、その女狐を捕まえろ! 決して逃がすな!」

「は? なに? え?」


 なんのことやらと狼狽える俺の腕が、グイッとイングレントに引っ張られる。


「最重要クエストだ! 私と一緒に来たまえ、オルクス」

「いや、ちょっ、その前に説明――」

「してる暇があるように見えるかい? いいから、私を抱えて走りたまえ」


 ギラリと左目が光ったのを見て、俺は反射的にイングレントを小脇に抱えて外へと走った。


「オルクス、貴様ァ! 憶えておれよぉ!」


 後ろでドズの爺さんが叫び散らしてるのが聞こえる。だが俺にはこいつのビームのほうが怖いんだ、悪い爺さん。

 たぶんその怒りの元凶であるこいつは、俺の脇の下で、まるで悪びれる様子なく朗らかに笑っている。


「いいよ、オルクス! このまま天文台前の広場まで行ってしまおう。ルートは任せるよ」

「人をタクシーみたいに使うんじゃねえ!」

「タクシー? よくわからないが、なんにせよ君は人じゃないだろう。それに前、街を回ってみたいと私に相談してくれたじゃないか。今日それを果たそう」


 ほらほら走れー、と、なにやらいつになくテンションが高い。

 逆らうと後が怖そうだな、これ。

 俺は仕方ないと息を吐きながら、人混みを避けてオリオン天文台を目指した。




      ▽




「いや思ったね。より効率よく質の高い仕事をこなすためには、ただ紙とペンを持って椅子の上でうんうん唸っていればいいわけではないんだと」


 イングレントは露店で買った果物を囓りながら言った。


「休息、休み、息抜き。そう、いまの私にはそれらが必要なのさ。もう喉から手が出るくらいに」

「だからって飛び出すか普通」

「それくらい必要だったのさ。あのままだと集中が度を超えて頭がオーバーヒートしてしまう。一度そうなってしまえば、待っているのは酷い倦怠感だけだ」

「似たような事があったのか?」

「魔法の修行時代にね。あれは嫌なんだ、大雑把に死にたくなる」


 普通の奴ならそんな状態にはならないだろう。そこまで根詰める前に、おおかた集中が先に切れて勝手に休むはずだ。


「ドズ翁とは付き合いが長いから、そのあたりギリギリのラインを知っているんだ。ここまでならまだ大丈夫、っていうね。ほんと昔からあんな感じなんだよ、ドズ翁って。容赦がないっていうか、ねえこれってなんて虐め? って思うよね」

「要するに、俺はサボりに付き合わされてんのね」

「君もたいがい冷たいなぁ。拾ってやった恩を忘れたとは言わさないぜ」


 俺、拾われてたんだ。

 イングレントは赤いポニーテールを揺らしながら、雑貨を売っている露天へと駆け寄っていった。後を付いていくと、鉱石をあしらった指輪や箸くらいの杖が売られていた。

 いかにも魔法使いが持ってそうな代物だが、怪しさ満点に感じてしまうのは俺の気のせいだろうか。


「優れた魔法使いなら、強い魔道具を使うより、気に入った魔道具を自分で強くしていくものなのさ」

「ああ、一理ある」


 弘法筆を選ばず、といったところか。

 それにしても楽しそうにアクセサリーを試しているイングレントを見ていると、彼女もちゃんと女なんだなとふと思った。


「うん、どうしたんだい?」

「いや、欲しいのはあったのか」

「おっとその言い方は、君が買ってくれるのかな?」


 図々しいやつ。まあ拾ってもらった恩とやらがあるらしいし、休暇って言うからには上司と部下でもないから、まあいいか。

 懐から金の入った袋を取り出す。


「大分貯めたね。しばらくは遊んで暮らせそうだ」

「誰かさんがあれやこれやと勝手に斡旋してくるからな」

「ふふん、感謝してくれていいぜ」


 これは労いとして、だ。普段一人で頑張っている女性にアクセサリーを奢るってんなら、オークが請け負っても罰は当たらないだろう。

 イングレントは小さな黄色い鉱石が嵌まった指輪を買った。彼女の指には大きすぎるため、紐を通して首から下げることにしたらしい。


「オークから物を買って貰うなんて、私がはじめてかも知れないね」


 なんて嬉しそうに言うもんだから、言葉の内容はともあれ、俺もいい事をした気になれた。

 冒険者ギルドの長である彼女は、王都の住民たちにも顔が知られているらしく、道行く人から声を掛けられている。

 イングレントに向けられる表情や声は、親しみの他にも感謝や憧れの感情が見て取れた。王都にいる冒険者の頂点に立ち、王家の軍隊以上に力があると認められた特級冒険者でもある彼女は、街の人から見れば英雄そのものなのだろう。


「人気モンだな」

「君もそう遠くないうちに、ああやって手を振って貰えるようになるさ」

「どうだかねぇ。期待しちゃあいないよ。この鎧の下はオークだからな」


 そもそもオークが人に手を振られることが、いい未来だともあまり思えない。悪い事だとは思わないが、それは自然ではない。

 人とモンスターは相容れない。たとえばそれが絶対のルールだったとして、イングレントのように判ってくれる一部の人間がいるのなら、俺はもうそれでいいと思う。

 多くを望むつもりもない。俺が王都にいるのは冒険者になれるからだ。人として生活するためじゃない。

 だからイングレントの言葉も話半分に聞いていた。


「私はこの世界で嫌いな人物が二人いる」

「うん?」

「どちらも蛇蝎の如く嫌いだ。同じ空気を吸いたくないし、できるなら残りの生涯、顔を合わせる事すらしたくない」

「へえ、お前にもそんな奴がいるんだな」

「私だって人間だ、人を嫌いになる事だってあるものさ」


 たしかに好き嫌いははっきりしていそうだが。それでもはっきりとした拒絶の言葉は意外だった。


「そして多くの人にとって、オークという生物に同じだろう」

「そんな当たり前の事を言うなよ」


 改めて言われるとちゃんとへこむんだから。そう思っていると、イングレントはだが、と続ける。


「君は醜くて気味の悪いオークだが、私はその二人よりもオルクスが好きだよ」


 それはさすがに意表を突かれたというか、はっきりと言われると少し照れる。

 オークと人間だし、さすがに物語のように男女の好意みたいな勘違いはしない。天才故に奇妙な言動は目立つが、イングレントは人の中ではかなり美女の部類だろう。わかっていても好きと言われればグッとくるものがある。


「私なりの労いだ。君が私に指輪を買ってくれたのと同じさ。友好の証として、素直に受け取っておくれ」

「あ、ああ。そういうことなら、俺も……」


 とそのとき、ふと視線を感じた。

 気配の方を見ると、二人の少女がこちらを見ながら立っている。

 変わった形の剣を腰に差している剣士風の少女、イーディス。それから癖の強い金髪と瓶底メガネが特徴的な、大迷宮で俺の頸椎をへし折った少女、コリー。


 イーディスは顔を赤くしながら口元を手で隠し、コリーはコリーで、人ってそこまで口角を上げられるのかってくらい口角を釣り上げている。

 どこからかはわからないが、あまり都合の良くないところから会話を聞かれていたな。

 イングレントは気づいていないし、変な事になったらどうしよう。

 俺は一気に憂鬱になった。



____________________________________


平穏が揺らぐ音がする。


次回『嵐の前』

  

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