第19話 命を賭ける理由
懐かしい夢を見た。
これはまだ、海の向こうで暮らしていた頃。師でもあった祖父に、剣を教わっている時の記憶だ。
まだ幼いイーディスを厳しい目で見下ろす、枯れ木のような老人。子どもよりも弱そうな風体ではあるが、大人の剣士相手にも軽く勝利してしまう当時のイーディスでさえ、練習でも実戦でもまるで歯が立たなかった。
――師匠はなぜそれほどに強いのですか。
そう訊ねたら睨まれた。
その質問には昨日も一昨日も答えただろうと、祖父もうんざりした顔だった。
イーディスも引き下がらなかった。
――納得がいきません。修練でそこまで強くなれるのなら、なぜ誰も師匠に勝てないのですか。なぜ私は師匠に勝てないのですか。私には未だ、師匠の剣筋すらまともに見えやしない。
祖父はその言葉の奥にある怒りを感じ取った。自分に対する不甲斐なさ。言われている事をやっているのに、まったく成果があがらないという理不尽。
それが世の摂理であるなどまったく考慮しない、理知的な言葉の裏に隠された子どもらしい我儘。
成長著しく、祖父はあわや忘れるところだった。
この弟子はまだ幼く、甘え盛りの年なのだと。
祖父は骨張った顔に笑みを浮かべて、幼いイーディスの視線に合わせて屈む。弟子の肩に手を置き、まっすに目を見ながら――。
▽
目が覚めると、そこは知らない天井だった。
横を見ると、分厚い眼鏡をかけたくせっ毛の金髪女性が、息を荒くさせてイーディスの右手に頬ずりしていた。
大変だ、いや変態だ。
「ぅべ、ぶ!」
枕元にあった花瓶でとりあえず殴り飛ばす。シーツをめくって着衣を確認するが、乱れている様子はない。
ひとまず安心して、また横になる。
あれからどうなったのだろうか、と思案する。こうして生きているということは、オークを仕留める事ができたのだろうか。
それともまだ生きていて、見逃されただけなのだろうか。あのあと誰かがやってきて、自分の代わりに討伐してくれたのだろうか。
ぐるぐると思考が回り続ける。いまはまだ、生きている事が素直に喜べなかった。
「うわっ、なにしてるんですかコリーさん! 逆さまになってますよ!」
その声を聞いて、イーディスは咄嗟に上半身を跳ね上げる。金髪女が飛んでいった入り口から、気弱そうな少年がこちらを覗き込んでいる。
「ウィンプ」
「あ、イーディスさん! 目が覚めたんですね、よかった」
「あなたこそ、無事だったのですね」
金髪女をぴょんと飛び越えて部屋に入ってくる。
「で、あの人はなにをしたんですか?」
「貞操の危機を感じたので殴り飛ばしました。あり得ない変態です、見てくださいこの鳥肌」
ウィンプはベッドの横にある椅子に腰掛けて、また聞きですが、と前置きをした上で、あの後の事を話してくれた。
イーディスの最後の攻撃は、オークの首を深々と切り裂いた。両断には至らなかったものの、ほとんど首の皮一枚で繋がっている状態だったという。
直前の連続突きのダメージもあり、オークはしばらく動けずにいたところに、オルクスが現れた。何らかの方法で事態を把握したギルド長が、Aランクのヒーラーを送り込み、オルクスを回復させたのだという。
オルクスによりオークはとどめを刺され、完全に討伐された。イーディスとウィンプはその場でヒーラーの治療を受けて一命を取り留め、王都の教会に設けられた鈴ノ院という治療所に預けられた。
という顛末、になっている。
実際、オルクスとオークは同一人物だし、そもそもオルクスは怪我なんてしていなかったことなど、イーディスは知る由もない。
「そうですか、魔物は退治されたのですね。よかった」
「まったく、驚きました。あの
イーディスはふるふる、と首を横に振る。
「ダンジョンのときは、準備さえしていれば大迷宮に挑戦していましたが、今回のことではっきりと自覚しました。私にはまだ、Aランクの実力はありません」
そんなこと、とウィンプは言いかけるが、イーディスが視線で制止する。
「冒険者と呼ばれる者が、なぜモンスターを討伐するのか、考えたことはありますか?」
「? 未知の領域を開拓するには、モンスターとの戦闘は不可欠、だからでは?」
「はい。でもそれだけでは、すでに人によって切り開かれた土地で、モンスターを討伐する理由にはなりません」
イーディスは天井を見上げながら続ける。
「初代魔王の誕生とともに地底から昇ってきた、オリオン天文台の地下に伸びるダンジョン。それだって、英雄たちの手に因って最下層の一〇八階層まで到達している。人間にとって未知の領域は減ってきている。ですが冒険者は求められ続け、いまや数が足りないとまで言われている。なぜでしょうか」
ウィンプは答えられずにいる。
「私はこう考えます。人々にとって、永久に未知の領域がある。それは未来と呼ばれ、どんな形になるのかを誰もはっきりと知る事ができないものだと」
「み、未来ですか」
「人々の未来を切り開く者、それが今の冒険者の役割なのかもしれない。そして、私はそうありたいと思っています」
冒険者はよく掃除屋と揶揄される。
開拓が主な仕事であった頃はいまや久しく、モンスターによる被害が出てから討伐に動き出す様を揶揄う表現だ。
だがイーディスは、それで構わないと心から思っていた。
かつて彼女が海の向こうからやってきた頃、大陸の人間ではないことを理由に、不当な差別を受けた事があった。とてもつらく、苦しい思い出だ。
だがそんな中でも、優しくしてくれた人、手を差し伸べてくれた人たちがいた。それが嬉しかった事を、いまでも鮮明に憶えている。
祖父の言葉を思い出す。
師匠のあまりの強さに腹が立った幼いイーディスが、嫌がらせのように問い続けてようやく返ってきたその言葉。
――強さを抱えるな。心を鎮めて全てを捨てろ。それでも残る物があるのなら、それのために命を賭けろ。そうすればお前も強くなれる。
じゃあ全ての捨て方とやらを教えろ、と即座にせがんだのも懐かしい。その技術は今も生きていて、重要な決断をするときはいつも同じことを繰り返す。
冷静に心を鎮め、あらゆるものを捨てていく。そうして最後に残るもの、自分の心の奥深く。
「彼らのためにできることがあるのなら、どんなに強い魔物が相手でも討伐する。そのために強くなりたい」
優しさに報いたい。施しに報いたい。その人たちが助けを求めるのなら、その声に応えたい。
「私は、そのために命を賭けたい」
なるほど、とウィンプは理解した。
イーディス・デュパンの原体験、それは孤独と痛みだ。それがいつも彼女の心に残っている。そしてそこに光が差した瞬間を、イーディスはいつまでも憶えている。その時の感情を、思いを、強烈であるからこそ記憶している。
故に、イーディスは自らがその光になろうとしている。自分がしてもらったことと同じ事をしようとしている。
感謝したいから。その気持ちが今もあるから。彼女は命を賭ける。
「私はまだまだです。強くなりたい」
「なれますよ、イーディスさんなら」
「ええ、なれますとも。こんな素敵な手を持っているんですから」
急に知らない声が会話に入り込んだ。
見れば目覚めたときと同じように、金髪女がイーディスの右手に頬ずりしている。うっとりとしているのが眼鏡越しにも伝わってくる。放っておけば舌を這わせそうな勢いだ。
イーディスは再び花瓶を振るうが、金髪女は咄嗟にベッドの影に屈んで避けた。
「こ、コリーさん」
「わっはっは。二度も同じ手は通じないよ、お嬢さん」
「如何わしい珍獣め。首を寄越しなさい」
「ま、まあまあイーディスさん。コリーさんも刺激しないで、ほら離れてください。さすがに気色悪いです」
「仕方ないな、なら君で我慢しよう。剣ダコでいかにも戦士な手も好みだが、柔く細い指の手も私の趣味に合っている」
ひぃっ、とウィンプは壁際まで逃げる。
イーディスはすでに臨戦態勢で、ベッドの上からでも反撃できるよう構えていた。
「誰ですかこの変態は」
「こ、この人は
「この変態がですか」
「わっはっは、褒めすぎだな」
イーディスはもう一度よくコリーを観察する。
「そういえばダンジョンにいた気もします。帰りに一緒じゃなかったってことは、大迷宮に挑戦したのですか?」
「もちろんだとも。そしてクリアした」
呆気ないその一言に、ウィンプはえっ、と反応する。コリーは朗らかに笑う。
「身分を偽る少年よ、君の間違いを正そう。私がBランクだったのは昨日までの話。私はあの大迷宮をクリアし、Aランクに昇級を果たしている」
▽
場所は変わり、冒険者ギルドの一室。ギルド長室。
ここで、Bランク冒険者の『Aランク昇級プログラム』、その報告会が行われていた。
出席しているのはギルド長イングレント、相談役のドズ。そしてもう一人、フードで顔を隠す一人の冒険者。
彼はこのプログラムのために試験官として呼び出された、イングレントと同じ特Aランク冒険者の一人である。
「そもそも昇級の条件はいくつかあるわけだが、それらの条件でこちらが見たいのは、正しい判断の元に動けるかどうか、だ。ひとつ判断を誤れば即死するこの世界。自身の状態、置かれた状況を総合的に分析し、生きて帰れる選択を判断できなければならない」
コクッとドズが頷く。
「大迷宮に挑んでクリアできるなら良し。クリアする力はあれど万全でないのなら潔く引くも良し。今回、それ以外は落ちてもらった」
テーブルに広げられた用紙には、十人の名前と職業、そしていままでの活躍が全て記録されていた。その中にはイーディスの名前もある。
「残ったのは三名。剣士イーディス・デュパン。治癒術士コリー・ペイシェンス。戦士ジョー・レーン。このうちコリーとジョーは大迷宮をクリアし、Aランク昇格の権利を手に入れた。先日、二人とも昇格したよ」
「治癒術士がAランクとはな。探せば希有な人材がいる、お前の見立ては正しかったようだ、イングレント」
当然だ、とばかりにニヒルに笑う。そうして彼女の指が最後の一人、イーディス・デュパンを指し示す。
「イーディス・デュパンについてまず私が注目したいのは、自己認識力とでも言うのかな、現在の自分の力を認識することに長けているようだ。他のBランク冒険者たちが食料を持参してダンジョンに挑む中、イーディスは日帰り分の携帯食のみで臨んでいる。そして周りが数日かけて往復する道を、わずか半日で往復していた。帰りは私も一緒だったとはいえ、これは驚くべき体力と移動速度だ。食料がなくなれば荷が軽くなり、移動が速くなるということも考慮に入れて調整している」
ドズはふむ、と顎に手を添える。フードの試験官も、小さく縦に頷いた。
「彼女の実力は期待できる。向こう国の技術は未知数だがとても強力だ。オルクスの首を二回も両断しかけたのは興味深い」
「だが両断には至っていない。他の二人は頸椎を折るか心臓を破壊している。なぜかやつは死ななかったが、普通のモンスターなら絶命させていた。故に合格としたのだ」
「ふむ、ではドズ翁は不合格と。意見が割れたね」
「そのための三人目であろうが」
「それもそうだ。では最後に君の意見を聞こう、グリーク」
イングレントは椅子から立ち上がり、大仰に手を広げて言った。
「魔法使いと盗賊を兼ね備えた、世界に一人しかない怪盗職を持つ君に依頼したのはこのためだ。今回の試験では、あらかじめ身分を偽り、誰よりも彼女の近くでその力を見続けてもらった。Bランクの魔法使い、ウィンプ・ルルゥとして」
フードの下の顔は、いまだ仮の姿である。ダンジョンで初めてイーディスと会ったときから、彼はウィンプとして彼女のそばにいた。
イーディス・デュパンが、Aランクに相応しいかどうかを見定めるために。
「君なら、我々よりも正当な判断が下せるだろう。さあ、彼女の進退や如何に」
ふふ、とフードの下から笑い声が漏れる。
ウィンプ、いやグリークは椅子から立ち上がり、イングレントの横を素通りして窓際へ立つ。フードを外してウィンプとしての素顔を曝すが、おどおどと不安そうな少年の雰囲気はどこにもない。
同じ顔でもまるで別人。
「面白い少女だった」
その声も少年とはほど遠く、重く腹の底を揺らすような深い声だった。
「彼女は命の賭けどころを理解している。故に自らの死を恐れる事はなく、またその選択に後悔もしない。自らの死に場所を決める、という意味では、冒険者として優れた判断力があると言えるだろう」
イングレントはふむふむと頷き、ドズは眉間に皺を寄せながら聞いている。
「我が輩の支援があっても討伐には至らなかった、という点はドズの言うとおりだが、事前情報もなく奇襲に近い状況下での動きとしては、まずまずと評価するべきだろう。むしろきちんと情報を与えていれば、イーディスであれば準備を整え、必要であれば何度も挑み、確実に討伐に至るだろう」
おおっ、とイングレントが昂揚したように声を上げる。ドズは次の言葉を察したように腕を組んだ。
グリークは振り返り、結論を告げた。
「我が輩は、イーディス・デュパンの合格を希望する。若き種の萌芽に、期待を寄せるばかりである」
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オルクスは働き過ぎたので家で寝ています。
首を切られても、頸椎を折られても、心臓を潰されても寝れば元通り。
こいつホンマもんのバケモンやでぇ。
次回『労い』
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