第18話 理想のために

「意外でした、あなたまで付いてくると言ったのは」


 森の中を王都に向かってまっすぐに走りながら、イーディスは後から追いかけてくるウィンプに言う。


「あんなに怯えていたのに」

「仕方ないでしょ! イーディスさんが単独でこの森を抜けようとするのが一番の自殺行為なんですから」

「ですから支援魔法を」

「あの場で支援魔法を掛けたところで、術者から離れれば効力は減衰してしまいますし、僕が一緒に行動するほうがいいですから!」


 なるほど、と頷く。

 いまのところ道行きは順調だ。整備されていない森は足場が覚束ないが、イーディスはともかくウィンプも問題なく進めている。

 このまま進んでいけば一時間もかからず森を抜けられるだろう。


 しかし当然、そう上手くはいかない。

 先に気がついたのは先頭を走っているイーディスだった。彼女の気配感知は、生物から発せられる生命力を認識する。相手の正体が見えていなくても、そこになにかがいることを察知できる。

 次にウィンプが、木々の隙間からヌッと巨体が現れるのを視認した。

 振りかぶられた棍棒がイーディス目がけて振り下ろされる。イーディスはそれを、認識していながらも無視した。


「信じてますよ、ウィンプ」


 棍棒がイーディスの頭部に触れる直前、空気の壁によって弾かれた。

 ウィンプの結界による防御である。オークの奇襲は魔力の障壁により阻まれるが、その一度の攻撃で粉々に砕かれてしまった。

 だがそれで十分。二人はオークが怯んだ一瞬の隙を突いて、横を通り過ぎていく。

 二人はオークとは正面切って戦わず、ただやり過ごす事を選んだ。


「魔法使いの割りには足が速いですよね、あなた」

「こ、これは生来の物です」


 背後でオークが跳躍する。二人はまさかと思ったが、いま開いたはずの距離が一息に詰められた。


「出鱈目だ!」

「ですが思った通り――」


 オークは落下の勢いに乗せた棍棒を、ウィンプの頭上に落してくる。ウィンプは事前に二重の結界を張り、棍棒の威力を相殺した。

 その最中、イーディスは即座に反転し、オークの首を狙い澄ます。


「――支援役を狙いに来た」


 イーディスの姿がかき消える。

 速さの目的は速く動くことではない。戦闘においてその目的とは、反応される前に攻撃を当てることである。

 たとえ見えていても、わかっていても、防ぐ事のできない一撃。速さとはその手段に過ぎない。


 オルクスの技はその答えのひとつだろう。力に飽かせた移動術は、並の身体能力では反応できない。

 そしてイーディスの技も、その到達点といえる。

 敵の視線を誘導して意識を逸らし、特殊な呼吸法で一気に血を回して跳躍。身体を小さく畳み空気抵抗を減らし、無駄な動作を極限まで削る。獲物を目がけて滑らせる刃は、最後に隔たれる空気さえも切り裂く。


鳥型・風切羽とりのかた・かざきりばね


 その一連の動きは、見ている者の認識を歪め、跳躍と同時に斬ったと錯覚させた。


「やった!」


 ウィンプは思わず声を上げる。だがイーディスはしくじった、と言う顔で地面に着地する。


「いえ、直前で首を引かれました。半分も斬れていません」

「そんな!」


 大量の血しぶきを首から吹いているが、それでもまだ半分以上残っている。オークの再生力からして、すぐに血を止めて再び襲いかかってくるだろう。


「やはり知性がある。支援役を狙い、攻撃を高度に躱す技術を持っているようですね」

「こ、こんなモンスター、正面から戦って勝てるわけが……」


 ウィンプはそう言うが、もはや正面切って戦闘する以外方法がないのも現実だった。

 先ほど見せた跳躍での移動距離を考慮すれば、ここからどれだけ速く逃げてもすぐに追いつかれる。先ほどのような結界での防御はすでに二度見られている。この先同じ手が通用する保障はない。


「ウィンプ、少し離れていてください」

「い、イーディスさん、戦うつもりですか!」

「逃げ切れません。ここで倒す他――」


 脅威を感じ取った時には、すでに何もかもが遅かった。

 隣にいたはずのウィンプが、血反吐をまき散らしながら遠くへと転がっていく。意志のない手足は放り出され、まるで肉を詰めた人形のように、オークの棍棒で吹き飛ばされた。


「ウィンプ!」


 イーディスが呼びかけても、もはやウィンプはピクリとも動かない。

 気を失ったのか、最悪死んでいるのか。イーディスの位置からでは確認すらできない。


「っ、!」


 すぐさま追撃が来る。気配察知により頭上からの攻撃を感じ取ったイーディスは、間一髪で脳天目がけて落ちてきた棍棒を刀の鞘でガードする。

 刀で受けていたら間違いなく刃毀れするか、真っ二つに折れていただろう。一瞬の判断でギリギリ生きている。

 すべての攻撃が一撃必殺の相手に、まともに打ち合うことなどできない。いまのイーディスは隙を突かれた状態だ。本来であればここから挽回する術などない。


 だがイーディスは冷静だった。窮地における冷静さは、あと一手で絶命に至る瞬間にさえ発揮される。

 その理由のひとつは、まだイーディスにかけられた支援魔法が効いている事。つまりウィンプは死んでいない。重傷には違いないだろうが、パーティメンバーの死亡というショックは消えた。

 そして最初の一撃で、オークの身体に刃が通ったという事実。岩のような肌を持つというオークに、そもそも攻撃が通るのかは疑問だった。ダメージは与えられる、それだけでも今は収穫だ。

 そしてよく観察してみれば、オークの身体は至る所に傷がある。すでに血は止まっているが、どれも古い傷ではない。


 ――おそらく、オルクス殿と戦闘した時についた傷。こいつは今、一番弱っている状態だ。


 イーディスは冷静に覚悟を決める。ここで仕留める。仕留めなければ死ぬ。死なせてしまう。

 頭上で鞘がたたき割られると同時、イーディスは素早く身を反転させ、オークの股下を抜けて背後へ回った。

 身体を反転させた勢いでオークの左脹ら脛を切る。さらに逆回転を掛けて右の靱帯を切る。そのまま股間、腰、背中、脇の下、肩と切り上げる。

 目にも止まらぬ連続斬り。集団で獲物を狙う犬のように、動きを止めて確実に仕留めるための攻撃。


犬型・鬼人崩落いぬのかた・おにくずし


 そして止めの一撃は、動けなくなった獲物の首を狙う。


「とどめ、鳥型・風切羽とりのかた・かざきりばね


 まさに息もつかせぬ連続攻撃。オークは筋や腱を断ち切られ、文字通り手も足も出ない。そう思っていたが……。


「っ、ぐぅ!」


 狙い澄ました首の影から、棍棒がイーディスの顔面目がけて伸びてくる。技を弾かれ、ギリギリで躱したが、僅かに肩口に触れた。

 その衝撃だけで肩が外れ、イーディスは吹き飛ばされてしまった。

 イーディスが斬ったのは身体の背面と側面だけ。正面を斬らなかった事で、腕を交差する動きを封じる事ができていなかった。オークは右手に持った棍棒を、首の左側から背後へと突き出したのだ。


「まだだ!」


 だが依然、オークは身動きが取れない。

 イーディスは着地と同時に地面を蹴り、一息でオークの頭上へと駆け上がった。身体をオークの顔の前に曝し、剣の切っ先をオークの顔に目がけ、半身に構えた。

 まさに捨て身。

 反撃される事など考えず、ただ攻撃のみに意識を向けていた。


猿型・鬼面剥さるのかた・かわらはがし


 無駄の一切を省いた突きの応酬。

 それがオークの顔面に襲いかかる。

 棍棒を背後へ押す力はあれど、腕を引き、顔の前に保つことはできない。

 オークは為す術なくその攻撃を受けるしかない。


 ――これがダメなら、もう一度鳥型で……。

 ――いいえ、駄目よイーディス。続けざまに斬りつけて、確実に息の根を止めるの。


 イーディスは諦めない。

 仕留めると心に決めた以上、中途半端な可能性に縋る事などない。

 驕る事なく、ただひたすらに完遂する。

 だが、それを達成するための力がないと……。


「オトゴエ」


 全ては虚しく散る事になる。

 それはどんな衝撃よりも重く、速く、確実に命を砕く一撃だった。

 イーディスは衝撃が身体を貫通するまでの一瞬で三度意識を飛ばし、痛みでその度に目を覚ました。


 ――いや、助かった。完全に気を失わずに済む。


 左腕と右足は砕けた。肋骨は一本肺に刺さっている。致命傷だ。

 だが幸いなことに、折れた左手がオークの鬣を掴んでいる。そして大ぶりの攻撃は、最大のカウンターチャンス。

 死中に活を。今をおいて、必勝に通じる型はない。

 再三、イーディスは首を狙う。

 海の向こうで培った、何度も鉄を打つが如き、不撓不屈の闘志。


鳥型・燕返しとりのかた・つばめがえし


 機能しない腕は固定し、身体ごと宙を翻る。さながら燕が突然空へと飛び上がるように。


「ぐっ、あ」


 イーディスは固い地面に投げ出される。

 手応えはあった。硬い岩を切り裂いたような、確かな手応え。


 ――たしかめ、なくては。確実に討伐、しないと。魔物は、危険だから。


 イーディスの中にはもはや試験の事など残っていない。

 危険なモンスターが野放しになっている。それもこんなに市民に近い場所で。それだけが懸念される。

 ここで確実に殺さなければ、彼らに危険が及んでしまう。

 それだけはできないと、イーディスはすでに限界を超えている身体を酷使する。

 起き上がろうとする彼女に、耳元で何者かの声が掛けられた。


「……いま、なんて」


 次の瞬間、今度こそ力が抜けた。まるでなにかの魔法にでも掛けられたように、ストンと意識が落ちていく。

 だが直前までの闘志が影も形もなく消えていて、イーディスは訝しみながらも、沈んでいく意識を保つ事ができなかった。



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次回「命をかける理由」

 

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