第15話 アイアムスパルタ
イーディス・デュパンは王都直下の冒険者ギルドに所属するBランク冒険者である。
今日はそのギルドから呼び出しを受け、オリオン天文台の地下にあるダンジョンにやってきた。
地下十階層までは安全が確認されていて、五階層までは冒険者でなくとも一般に解放されている。王都の観光名所としても有名だ。
そして彼女がいるのはそのさらに深く、三十五階層である。Cランクの冒険者がソロで降りられる限界点であり、Bランクへ昇級するための試験場でもある。
イーディスもまた、ここで試験を受けてBランクへ昇級した。輝かしい功績ではあるが、彼女はあの日の事をあまり思い出したがらない。
今日も招集地がここだと知ったときには、気分が沈んでいく事を止められなかった。
「でもどういうことだろう」
イーディスは周囲を見渡す。
ここは三十五階層だけあって、いつもならそれなりに強力なモンスターがうろついている。事実三十階層過ぎたあたりまでは、引くくらい大量のモンスターが襲いかかってきた。
それをやり過ごしての三十五階層だというのに、モンスターはまったく見る影もない。そしてどこかで見た事があるような人物が数人、同じ階で彼女と同じように困惑している。
――Bランク冒険者ばかりが集められている?
見知った顔はどれも自分と同じBランク冒険者のもの。全員ソロで動いているところを見ると、意図して集められているとしか思えない。
「なんだろう、この奇妙な感覚」
ここで何かが行われるのは確かだが、その内容があまりに不透明だ。呼び出しも招集地と日付以外は記されていなかった。ギルド長の印が押されてさえいなければ、イーディスを含めここにいる全員が応えなかっただろう。
実際のところ、何日にダンジョンのここへ、という呼び出しは無謀以外の何物でもない。何故って、ソロで入るなら重たい水や食料もすべて持参しなければならず、そもそもモンスターを相手にしながら時間を気にするなんてほとんど不可能だ。
だから前乗りするしかない。二十五階層は魔物よけの薬草を群生させた人工的なセーフゾーンになっているため、そこで一晩明かして一気に駆け下りるのだ。
おそらくほぼ全員が、そういう方法で降りてきているはずだ。つまりそれが常道ということで、ギルド長であればそれくらいは知っていて当然だ。
ならばそんな苦労をさせてまで呼び出す理由とはいったいなんなのか。この場の全員がそこまで思い至って、誰も答えにはたどり着けていない。
この場に渦巻く疑惑の念が最高潮に達したそのとき。
「やあやあやあ、よく集まってくれたね、冒険者の紳士淑女諸君」
狙い澄ましたように現れたのが、ギルド長イングレント・クリスティであった。
その場の視線を一身に集めながら、彼女はこの階層のさらに奥、三十六階層の方向から現れた。
「さて、すでにお気づきかとは思うが、今日は我がギルドのBランク冒険者を集めさせてもらった。みな、顔ぶればよく知っているだろう」
「ぎ、ギルド長。そんなことより、何故こんな場所に、俺らBランクだけを集めたんですか?」
誰かが我慢しきれないというように訊ねた。
イングレントはそれを待っていたかのように、ニヒルな笑みを浮かべると、ゆっくりと歩きながら答える。
「その疑問には一言で答えよう。私は、君たちにAランクへ昇格してもらいたい」
「え、Aランク!」
その言葉にBランク冒険者たちがざわつく。
「無論、正規の基準を乗り越えた上でだ。実力なくランクを上げれば早死にするからね。私はいたずらに、君たちを死地へ追いやりたくはない」
Aランクへ昇格するには、当然実力に見合うかを計る試験が用意される。そしてその試験を受けるためには、いくつかの条件をクリアしなければならない。
イーディスが訊ねる。
「ですがギルド長、昇級には条件があるはずです。他の者たちはいざ知らず、私はそれをクリアしていません」
「ああ、イーディス。君の言う事ももっともだね」
ドキッとした。
まさか英雄にもっとも近い特級冒険者の一人、イングレント・クリスティに名前を憶えられているとは思わなかったからだ。
顔が紅潮していくのを感じて、イーディスは思わず目線を逸らした。
「だがもうそんな旧態的な制度は撤廃させてもらう。実力さえ示す事ができれば、君たちを今すぐにでも昇級させることを約束しよう。私には君たちの力こそが必要だ」
「力を、示す?」
「どうやってですか、ギルド長!」
冒険者たちの興奮した声を抑え込むように、イングレントが手で制する。その手をゆっくりと横に長して、今彼女がやってきた道を指さした。
「この先にある第三十六階層には、Aランク昇級に使われる大迷宮がある。そこに私が捕えたAランクモンスターを放った。当然、元々三十六階層に生息しているモンスターも多数存在する。仮にこの迷宮を攻略できる者がいるとしたら、その人物は紛れもないAランクに比類する冒険者と言えるだろう」
その言葉に対する反応は十人十色だった。
降って湧いたチャンスに興奮する者。
急すぎる展開について行けずに困惑する者。
自分には無理だと決めつけてさっさと諦めている者。
必ず攻略できると今から確信してゆったりと構える者。
皆それぞれの思惑を持ちながらイングレントの話に注目する中、イーディスは自分の精神を深く冷たく沈めていった。
誰よりも冷静であることを意識して、イングレントの話を聞いていた。
「さあ諸君、自らの力を示すがいい。Aランクへの切符は君たちの手の中だ。私はダンジョンの入り口で君たちを待っているよ」
彼らは二択を迫られている。
行くか、引くか。
そして多くの冒険者たちは、自らの本分を思い出したように、ダンジョンの奥を目指す。
「やってやるぜえ!」
「無論、合格するとも。それは決まっていることだ」
「しかたないか、やるだけやってみよう」
行くことを選択した彼らは、意気揚々と、片や恐々とした足取りで次なる階層へ進んでいく。
その後ろ姿を眺めながら、イーディスは冷静な心で選択した。
「おや、君は行かないのかい?」
その声に振り返ると、イングレントが意外そうにイーディスを見ていた。
その向こうにもう一人、いかにも気の弱そうな少年がいた。足が竦んで動けないのか、いまにも鳴きそうな表情で次の階層へ降りていく彼らを見ている。
ローブを着ているところを見ると、魔法使いだろうか。
「昇級に興味はないかい」
「いいえ、もちろんAランクにはなりたいです」
「ではなぜ行かない?」
イーディスは冷静だった。諦めたわけではなく、冷静に不可能だと判断した。それは実力云々ではなく、もっと現実的な問題だ。
ゆるゆると首を振る。
「お話はありがたいですが、私は食料を持ってきていません。何日かかるとも知れぬ大迷宮の攻略に乗り出せるほど、万全ではありませんから」
イーディスが答えると、イングレントは何が面白いのかカラカラと声を上げて笑った。
「そうかそうか。では私は戻るけど、君はどうする?」
「お供します。かのイングレント殿とダンジョンを歩けるなんて、Aランク昇格にも勝る経験です」
イングレントはローブの少年に君も来るか? と声をかける。少年は首がもげそうなほど縦に振っている。
「さて、大迷宮の中はどうなっているかな。死人がでなければいいが」
ぼそっと呟いたイングレントの言葉は、小さすぎて後を付いてくる二人には聞こえなかった。
…
一方その頃、三十六階層では……。
「ぎゃぁああああああ!」
「助けてえ! 一方的に殺されるぅ!」
大迷宮の各地で悲鳴が上がる。
その中心にいるのはそう、毎度おなじみギルドが誇るAランク冒険者にしてA級討伐対象。
「チョットトオリマスヨー」
逃げていく冒険者を棍棒で吹き飛ばす。
元々住んでいたモンスターも巻き添えを食らう。
「ゴメンナサイネー」
大きな身体に不釣り合いな速度。まるで山が動き回っているような恐怖に怯え、冒険者たちは蜘蛛の子を散らすように迷宮を逃げ回る。
行き止まりも何のその、そのモンスターは壁を壊しながら冒険者たちを追い詰めていく。
その怪物の名はオーク。
恐ろしすぎて誰も気がついていないが、世にも珍しい喋るオークである。
「コロサナイテイドニイタメツケマース」
「ぎゃぁああ、怖いぃぃ!」
彼が受けたオーダーはただひとつ。
曰く、身の程を弁えさせろ。
自らの力量を過信、もしくは見誤るような冒険者には、キツめの罰を与えよ、と。
言うなれば試練だ。
彼らがいずれ乗り越えなくてはならない、高い高い壁。
「アイアム、スパルタァ!」
怪物の咆哮は迷宮中に響き渡る。
報告では泣きながら失禁する者も現れたとのこと。
ドズは頭が痛そうにこめかみを押さえていたが、イングレントは死者が出ていないことに安堵しながら、腹を抱えて笑っていた。
…
そんなことはつゆ知らず、イーディスは憧れの先輩と肩を並べてダンジョンを攻略するという、夢のような一時を過ごした。
だがこの後、イーディスは驚愕する。
ギルドから二度目の通知が届き、その中にこう書かれてあったからだ。
『イーディス・デュパン殿。
貴殿が昇級条件を満たしましたことをご報告すると共に、ギルド一同心よりお喜び申し上げます。
ついては昇級試験を行いますので、来る二日後の――』
___________________________
うまい話には裏がある。
これ宇宙の常識。
次回『イーディス・デュパン』
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