第8話 冒険者のしおり3
イメージだけで言うのならば、敵に接近されたウィザードは脆い。
この世界の魔法は、発動に詠唱が必要らしい。つまりどんなに敵が近くにいて、次の瞬間にも殺されそうという状況でさえ、呪文を唱えなければ攻撃も防御もできない。俺がルゥフェンの奇襲を防いだように、反射的な防御すらできないわけだ。
つまり、剣士や戦士のように前衛で戦う魔法戦士なんて職業は、普通の魔法使いには到底務まらない。剣や槍のような武器と同じ、もしくはそれ以上の速さで戦うには、詠唱問題を解決しないと話にならない。
イングレント・クリスティ。王都直下の冒険者ギルドの長であり、自ら魔法戦士を名乗ったこの女の解決策がコレ。
「そぉれ、目から怪光線!」
「それやめっ、やめろてめぇ!」
大岩の影に隠れてレーザー攻撃をやり過ごす。
あんな視線を向けるだけで魔法攻撃できるなんて反則すぎるだろ。
「くそ、魔力の弾丸じゃなくてレーザーだ。横薙ぎにされたら真っ二つになる」
「いい観察眼だけど、隠れてばっかじゃ負けちゃうぞぉ?」
そのとき恐ろしい音を立てて岩がひび割れる。俺は咄嗟に岩の下へ手を突っ込んで、イングレントに向けて放り投げる。
「おお、オークっぽい攻撃だ」
嬉しそうな反応と同時、大岩が真っ二つに割れた。
その前に別の岩を持ち上げ、盾にして特攻する。奴から見たら、割れた岩の影からもうひとつ大岩が現れ、自分を押し潰そうと迫ってきているわけだ。
これで多少怯んでくれると助かる。
「っ、あれ」
突然、まったく前に進まなくなった。
なにかにぶつかったりとか、そういう反動みたいなものは一切ない。ただただ前に進まなくなった。
「今のはとても知性のある人間っぽい攻撃だ。いいね、テンション上がってきた」
そして横合いからの衝撃。岩が左側へ吹っ飛ばされ、俺の身体が無防備になる。
その時一瞬だけ見えた奴の姿。左目を閉じ、強い光を放つ右目だけで俺を見ている。
「うおっ!」
そのまま後方へ吹っ飛ばされる。
視線を切ったら拙い、とすぐに視線を奴に戻すと、その時は両目とも開いていた。
だが次の瞬間に右目を閉じると、今度は左目が強い光を放ったのを確認し、本能的に木の影に飛び込む。
すると直前まで俺がいた場所をレーザーが通っていった。
「あぶねえ! 間一髪!」
「ひゅー、その図体でよく動くね」
すぐに手近な石をいくつか拾って投げつける。
通常、視線は一カ所にしか向かない。バラバラに向かってくる複数の小さな的を打ち落とそうとすれば、俺ならレーザーは使わない。
案の定、奴は左目を閉じた。
すると石つぶてがピタリと空中で静止し、そのまま真下へ落下する。物理的にあり得ない動きだ。
何かしらの防御魔法だろう。右目を開けると発動し、透明な壁みたいなものが現れて近づけなくなる。
逆に左目からは光線が飛んでくる。それぞれに役割があって使い分けていたんだ。
「攻防隙なしだな、どうすんだよこれ」
「どうしたんだい、オルクス。意外だなぁ、いくら知性があるとはいえここまで慎重派だとは思わなかったよ」
イングレントの声はどこか落胆している。
じゃあもっと手加減してみろっての。
「なあオルクス、
大体なんだよ、さっきから言ってるその血塗れなんたらっての。勝手に変な名前付けんなっての。
「恥ずかしがっているのかな。仕方ないだろう、有名税さ。君はだってほら、
――二百体のオークを単独で殺し尽くした、同族殺しのオークじゃないか」
……あぁ、血塗れ豚頭って、そういうことね。
ずいぶん恥ずかしい名前で呼ばれてるなぁ、人違い、もといオーク違いじゃない? と思っていたが。
しっかり知られてるわけか。そりゃそうか。東の大陸から、オークがほとんど消えたんだからな。
「私は興味がある。どうして君は同族を殺したんだい? 知性ある魔物ならまだしも、愚鈍なオークが二百を越える同族を殺すなんて異常だよ。歴史上まったくもって類を見ない。なぜって本能で生きる生物ほど、種の保存という命題には逆らえないからだ。知性があるからこそ本能と闘えるんだ。知性がある君には、きっとそうせざるを得なかった目的があったはずなんだ。私はぜひともそれが知りたい」
一人で興奮しているとこ悪いが、逃げていいだろうか。もうなんだか色々怖いこの人。
俺の蹄がにじり、と地面を均した次の瞬間。
――森は赤い光によって伐採された。
俺の頭上すれすれを通り抜けていった光線が、横薙ぎに周囲の木々を切り飛ばした。
「だがね、私はギルド長なんだよ。仕事に私情は挟めない。残念だが、職務を全うしようと思う」
「無茶苦茶だなお前! 弱い者イジメして楽しいか!」
「君は弱くないからね。だから君を私のギルドへ勧誘に来たのさ、冒険者としてね」
「は? なんだって?」
もう俺の姿は奴に丸見えだった。
当然だ、周りの木々も倒されて、もう身を隠す場所がない。
「俺が、冒険者?」
「ぶっちゃけいま人手不足、いや人手は足りているが、深刻な実力者不足でね。正直強い者であれば、猫の手でも豚の手でも借りたいのだよ」
「いや、見えてるかもわかんないが、俺オークだぞ」
「知っているとも、たしかに前例はない。だが新しい試みというものは、大抵前例なんてないものなのさ」
おいおいマジか。
俺オークなのに冒険者になれるのか。冒険者って人間社会じゃ立派な職業だし、ひょっと俺に人権が生まれる? 金が稼げるようになる?
すげぇ。
これは変化なんてもんじゃないな。五十年オークとして生きてきて、ここまでの躍進はなかった。
「とはいえ、本来オークはギルドが指定する討伐対象。生半可な信用では誰も納得させられない。だから君には、死ぬ気で私に実力を見せて欲しい。これはそのための査定なのさ」
そう言ってイングレントは頭上を指さす。木が切り倒されたことで視界が開けて、はじめて気がついた。
頭が水晶の鳥が旋回している。考えるまでもなく使い魔だ。おそらくあの水晶を通して、誰かが俺たちの戦いを覗いている。
そいうことか。つまり冒険者になりたければ、あの水晶の向こうにいる奴らを、俺は実力で信用させなければならないということだ。
「もし、その信用を得られなければ?」
イングレントはにこやかな笑みを浮かべながら、自分の手で右目を隠した。
「今この場で、私が君を討伐する」
それは死刑宣告と同じだ。
こんな開けた場所で、こいつの力に対抗する手段はない。
何が言いたいかっつうと。
無傷では勝てないってことだ。
「要するに、お前を伸せばいいんだな」
「ようやく本気になってくれたようで、うれしいよ」
「豚もおだてりゃ木に登るんだよ」
「ほう。登る木を倒してしまって悪かったね。次があったら憶えておくよ」
俺は意を決して突進する。転がった木を棍棒でかち上げながら、まっすぐにイングレントを目指す。
飛んでくるレーザーが俺の肩を射抜き、そのまま斜めに移動しようとする、その軌道に合わせて棍棒でガードする。
「うっそ! 頑丈すぎやしないかい、それ」
「驚くのもいいが、上に気をつけろよ」
イングレントの頭上に、俺が殴り飛ばした木の幹が落ちてくる。彼女が咄嗟に左目を閉じて右目の力を発動させると、木の幹は空中で静止して動きをとめる。
「よい、しょっ!」
足に集めた力で地面を蹴り、一息にイングレントとの距離を詰めた。
「速、っ」
イングレントは頭上から視線を切るが、木は止まったまま落ちてこない。なのに力の限り振り下ろした俺の棍棒が止まった。
ダメだ、すぐに衝撃が飛んでくる。ここで押し込まないと負ける。
「な、ん、の、これしき!」
目いっぱい押し込むと、なぜか圧されるようにイングレントの身体が折れる。
なんとなくわかってきた。視界の中の物体の動きを止めて、視線だけでそれを操るような力なのだろう。俺や岩を吹き飛ばしたのは、固められた空間ごと投げ飛ばされたのだろう。
もしそのイメージが合っているなら、このまま押し込んでいけば奴の右目に圧が掛かり続ける。そうなれば右目を閉じるしかない。
だがその瞬間、俺の棍棒が奴の脳天をたたき割る。
「辛そうだな、降参するか?」
「ふふん、君には私が追い込まれているようにみえるのかな」
「違うのか?」
ちっちっち、とイングレントが指を振る。
「いい作戦だったが、真の作戦とは、相手の作戦を凌駕してこそなのだよ」
「なにを――あがッ!」
脳天に衝撃が走る。それこそ思いっきり棍棒で殴られたような痛みだ。
そうか、こいつ空中で止めた木を、俺を目がけて落してきやがった。
「くそ、間抜けか俺は」
「わっはっは、間抜けだねぇ」
木の下敷きになった俺は、その姿のまま固定される。そんな俺の前に、イングレントが腰を下ろす。
「攻撃を防がれたときはヒヤッとしたけどね、おおかた予想通りの力だった。これで頭の固い連中も満足するだろう」
「いいのかよ、そんなんで」
「もともと私は君を冒険者にするつもりだったんだよ。でもそのために説得しなければいけない大人たちが大勢いてね、本気で戦ってもらう必要があったのさ」
イングレントが頭上の使い魔をチラッと見てから、スッと俺に顔を近づける。
「君、その気になれば、私の拘束を抜けられるんだろう?」
「……」
「知性があるだけじゃない、君は損得を選択できる。その在り方は人間とまったく同じだ。故に、私は君を拒む理由がない」
立ち上がったイングレントは、両目で俺を見下ろしながら手を差し出してくる。
「合格だよ、オルクス。よければ私のギルドで、冒険者にならないかい?」
赤毛のポニーテールを揺らしながら、イングレントは俺に笑いかける。こんな風に笑う人間を目の前で見たのは、生まれて初めてだった。
聖剣を取りに行くのが俺の夢だ。
それがただのオークとしてではなく、冒険者のオークとして叶えられるのなら、もっと面白くなるような気がする。
まさに願ったり叶ったり。俺はその要望に応えるため、はじめて人間の手を取った。
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序盤で出しておきたい強キャラお姉さん。
こいつ、まだ本気を隠しているな……!
次回『初クエスト』
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