第7話 冒険者のしおり2
俺はオルクス。オークのオルクス。
今日も今日とて気持ちのいい朝だ、みんなおはよう!
朝はまず、荒く削った木の皮で歯を洗い、粒子のついた石で牙を研ぐ。そして沼と泥で身体を洗い、花の蜜で作ったオイルで鬣を整える。
自分の匂いに気を使うのは紳士の嗜みだ、オークであってもそこは違っちゃいけない。
いつだったか女の魔法使いが落としていった小さな水晶を確認しながら調整し、朝支度完了だ。
「オークのモーニングルーティーン、流行るかな?」
俺は棍棒を持って外に出る。
木々の隙間から木漏れ日が差す森の中、俺は朝ご飯を探して練り歩く。
俺がここに越してきて二ヶ月くらいだが、最近あんまりモンスターや動物を見なくなった。強すぎる魔物が近くにいると、他の生き物が住処を変えるのはよくあることだ。
ここいらもそろそろ潮時かも知れない。
「こうなると、この森も静かなもんだ。そりゃあ夜も夢くらい見るわな」
それは昔の記憶だった。
汁臭い穴蔵で生まれ、泥の中から起き上がった俺を出迎えたのは、満点の星と美しい夜空。丘の上から見るその景色は視界のすべてを覆っていて、まるで世界の全てがこの星空で構成されているようにさえ感じた。
思えばその瞬間に、俺の意識はこの世界に転生したのかもしれない。それくらいの衝撃を受けたことを、いまでも鮮明に憶えている。
この五十年、何かが大きく変わる兆しがあると、いまの夢を見る。最後に見たのは二ヶ月前。俺は生まれ育ったオークの群れを離れ、この森にやってきた。
まさに原風景。世界の全てを手に入れたかのような、あの全能的な感覚を忘れるなと、自分に言い聞かせるように。
「さてさて、見たからには近々何か……」
そのとき、俺はその存在を感じ取った。
足を止めてよく目を凝らす。ここからまっすぐ、森の外へ続く道を通って何かが来る。
モンスターやら動物やら、いままで襲ってきた冒険者たちとはまるで雰囲気が違う。この森の自然と同じような静けさに、ルゥフェンの時のような苛烈さを滲ませている。
そういえばあいつ、いつの間にかいなくなったな。
「いや、いまは集中しろ。負けるぞぉ」
棍棒を肩に担ぎ、近づいてくる気配を待ち受ける。
「デカっ鼻。固そうな鬣。汚い蹄と牙。太った腹。やはり間違いなく、君はオークだな」
姿を目視できるようになった頃、そいつは失礼にもそんなことを言った。
赤毛の女だ。人間の女にしては背が高い。そして驚いたことに、武器をひとつも持っていない。
「いや、オークにしては小綺麗だな。失礼したね、撤回するよ」
なんだ……、なんだこいつ。
オークを前にしてこの余裕。ある程度の実力者でも、単身でモンスターと対峙すればそれなりに警戒するはずなのに。
こいつは俺のことを、毛ほども警戒している様子がない。
ありきたりな言い方だが、こいつ強そうだな。
「はじめまして。私は王都直下の冒険者ギルドを統括している、イングレント・クリスティという」
「あ、どうも、はじめまして。オークのオルクスです」
「なんと、話せるのは知っていたが、名前まで持っているのか。ふむん、まるで人間だな」
まるでというか、元だがな。
それよりもこいつ、俺が話せるのを知っているらしいな。いま冒険者ギルドの長って言ってたし、逃げ帰った奴の誰かから報告されたのか。
「おおい、やめてくれ。オークには極力近づきたくないんだから、これ以上私の興味を駆り立たないでくれたまえ」
「安心しろ。オークのキモさは三週間で慣れる」
「まあまあかかるじゃないか。たしかに現実的な数字だが」
うむむ、と難しそうな顔で悩む。
「ていうかお前があいつらの長なのか」
「ああそうだとも。みんな私の可愛い荒れくれたちさ」
「最近やたら冒険者に襲われて困ってるんですけど、なんとかなりませんかね」
「ああ、そりゃ無理。だって君、A級討伐対象だもん。ギルドとしては、君が死ぬまで冒険者を送り続けるよ」
あはは、とイングレントはさらっと言った。
A級討伐対象って、想像するにかなりの脅威と見なされていないか。俺、人間に対してなんかしたっけ。え、全然身に覚えがないんですけど。
いやそんなことも言ってられないか。いままで送り込んだ冒険者では歯が立たないモンスターに対して、ギルドを統括する人間がわざわざ会いに来るなんて、ゾッとしない。
思わず棍棒を握りしめる。
「じゃあなんだ、いよいよ本腰入れて俺を討伐しに来たってことか?」
「うーん、ちょっとだけ違う」
イングレントの目が鋭く光った。
その瞬間、横合いから衝撃を喰らう。
「――ぐ、ぉっ」
なんだいまの。攻撃の動作などなかったのに、オークの巨体を動かすほどのこの力。
俺は為す術なく横転した。
「私はね、君の実力を確かめに来たんだ」
まさか俺が人間に土を付けられるとは。
だが何もされなかった。腕どころか指一本イングレントは動かしていない。
見られただけだ。
信じがたいが、奴は視ただけで俺を吹き飛ばした。
「私も冒険者でね。杖を忘れたもんで説得力は無いが、魔法戦士をやっている」
魔法戦士! 本来後衛でパーティをサポートしたり遠距離攻撃を行う魔法使いが、最前衛での戦闘に特化した役職だ。
「じゃあいま俺を吹っ飛ばしたのも」
魔法、いまのが本物の魔法か。襲いかかってきた人間の中に魔法を使う奴はいたが、どんな理屈か俺の身体に触れた瞬間全部霧散していた。ダメージなんて、ちょっとチクッとする程度だ。
ここまで魔法の影響を受けた事はない。やっぱりこいつ、相当の実力者だ。
「もちろん私の力だとも。この目に宿っているのさ。ほぉら目から怪光線っと」
あぶねぇ!
イングレントと名乗った女の左目が一瞬光ったかと思ったら、熱線がその視線に乗って放たれた。全力で避けたが、左側の牙と頬に穴が開いた。
おいおい、あの獣人だってここまでしなかったぞ!
「そうそうあの狼の獣人ね、王都でも噂されていた指折りの冒険者狩りでね、ギルドでも討伐依頼が後を絶たずに困ってたんだ。灸を据えてくれて助かったよ。ありがとう」
っ、こいつどこまで……。
「まあそれとこれとは別だけどね。さあオルクス、
_____________________________
たぶんもう少し続くよ。
次回『冒険者のしおり3』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます