第12話 ゲス・ストーリーは突然に

 あの一撃の直後、京一郎の意識はプツリと途絶えた。

 頭部だけをトラックに跳ね飛ばされるような衝撃になど、人体は耐えられるようにはできていない。

 良くて脳震盪、悪ければ脳挫傷、脳挫滅、脳出血、頸椎骨折……どれもが死に直結する重症だ。

「だからこそ、このバックアップ機能があるんだが」

 今、京一郎の意識は脳細胞から離れ、それに付随するナノマシンネットワークの中にあった。

 ナノマシンネットワークの中では、生体脳よりも思考速度が強力に加速される。

 しかし、悠長にしている時間はない。

 現在、京一郎の心肺は停止しており、脳へのエネルギー供給は完全に途絶えている。

 この状況ではナノマシンが活動エネルギーを失って完全に停止するまで、長く見積もってもあと5分ほどしかない。

 そしてそれは同時に京一郎の脳細胞の生存限界でもあった。

 早急に現状を把握して対策を行わなければならない。

「ダメージチェック開始……」

 脳全体の損傷は小規模、一部細胞の壊死及び少量の出血確認。

 くも膜動脈瘤破裂、緊急性大。早急に止血が必要。

 頭蓋骨折はなし。

 打撲により頭部側面の鬱血。

 左鼓膜破裂、及び蝸牛部の損傷にる出血あり。

 頸椎損傷、脊髄の一部断裂確認。

 そして心肺停止。

 その他、身体の各所に擦過傷多数だが、それは無視できるものだ。

 以上、極めて事態は重篤だ。

「まずは心肺の復帰が最優先。だが、そのためには脊髄断裂の応急処置が不可欠で、その患部にナノマシンを輸送するには血液循環の仮復旧も必要だ。よって、まず心臓をパルス信号回路と模擬酵素による酸素還元で強制的に起動する」

 しかし自発呼吸を再開できなければこれも長くは持たない。

 心臓の限界までに脊髄神経のブリッジが完了するか、ほぼ博打であった。

 肉体に経過する時間は、今の京一郎の意識に対して恐ろしく遅い。

 外の時間の数秒が、何時間にも感じられるほどである。

 非常にじれったいが、焦るよりも先に彼にはやることがあった。

 あの化物の情報を分析することだ。

 アーヤの記憶からあの化物についての情報を検索する。

 ——鬼蝦蟇ゲブド

 夜行性の大型の肉食獣。おそらくは爬虫類。

 ゴムのように弾力のあるごつごつとした分厚い無毛の皮に覆われ、非常に怪力ながらも、動きはそこまで早くはない。

 鋭い牙の生えた巨大な口は、獲物の身体を骨ごと容易に食いちぎる。

 重鈍なため狩りが下手で普段は死体を漁るスカベンジャーだが、稀に弱った動物も食べることがある。

 夜行性のため夜目が効き、獲物を探すための嗅覚も悪くはない。

 しかし聴覚は鈍いようだ。

「おそらく病気で死んだ村人の臭いを嗅ぎつけてきたのだろう。しかし、どこから村の中に入ったのか。正門は破壊されていなかったのだから、別の門を壊したのだろうか?」

 では、どうやって村から排除するか。

 分厚い皮膚は高い防御力をもっており、プロの狩人でも直接仕留めるのは苦労するらしい。

 狩るときは主に落とし穴などの罠を使うようだ。

「しかし現状、トラップを作る時間も人手も足りない」

 アジニ村のある一帯は基本的に平地しかない。

 だから落とし穴のようなトラップは大規模な土木作業を行わなければいけないのだ。

「トラップが無理だと、先ほどみたいに目玉を狙って攻撃するのが最善に思える。だが、このダメージでは先ほどのような投擲はできないし、できたとしても、まだ何匹いるのかも分からない奴らを全滅させるまで私の体力が持つ保証もない」

 では、物理的攻撃がだめなら、生物化学攻撃しかないわけだが。

「仮にも生存者が残っているかもしれない村の中で、焼夷弾とか毒ガスを使うわけにはいかんだろうしな」

 頭が痛い。

 肉体的にも比喩的にも。

「…………」

 ふと、加速された意識に外部からかすかにが入ってくる。

 これは……


 ******


「……アーヤ、君……?」

「先生!」

 アーヤが倒れている京一郎に何度も何度も懸命に呼びかけていた。

 どの程度時間が経過したのかわからないが、彼が声が出せたということは自発呼吸の回復が間に合ったということを意味している。

 とりあえず最悪の状況は脱したように思えた。

 だが、まだ最悪が劣悪になっただけだ。

 自発呼吸は戻ったが、手足はまだ満足に動かない。

「アーヤ君、逃げろと言ったはずだ……」

「ダメ! このままだと先生死んじゃう! 鬼蝦蟇は動かない獲物エサは見逃さないの!」

 京一郎が目を動かすと自分を殴った鬼蝦蟇はまだ近くにいて、こちらに近づいている真っ最中だった。

 外の時間ではまだ2~3分程度しか経っていないのだろう。

「先生! どうすればいい!? わたし、何すればいい!?」

「……正門の物見櫓ものみやぐらの上まで逃げるんだ。奴らは巨体過ぎて高い場所には登ってこれない」

「わかった!」

 アーヤが京一郎の身体を背中に担いで引きずっていく。

 あくまで彼を見捨てるつもりは毛頭ないようだ。

 アーヤの表情は苦悶に満ちていて、額からは脂汗が滝のように流れていく。

 病み上がりで、まだ全身の痛みすら満足に取れていないのだ。

 それでも京一郎を救うために、死力を尽くしている。

 出会った時からそうだったではないか。

 彼女は村を救うために、病をおして一人で助けを呼びに行ったのだ。

 人一倍優しくて、人一倍健気で、人一倍強情で。

 京一郎はそんな子をこの手で殺しかけたのだ。

 罰を受けるべきだ。

 贖うべきだ。

 ならば、その手段は。

「ダメージチェック、各所止血完了、神経ブリッジ7割完了、脳細胞活動量8割……」

 動け。

 動け、動け、動け——

 担がれた腕に、引きずられる脚に、全身全霊で力を込める。

 リハビリなどしている時間はない。

 感覚を、痛みを、すべて取り戻せ。

 アーヤに触れている身体で、彼女をしっかりと捕まえる。

 そして、足を踏ん張ってそのままアーヤを持ち上げ、前方に駆けだした。

 すぐ後ろで鬼蝦蟇の腕が空を切る音が聞こえる。

 一瞬でも遅れれば二人とも無事では済まなかっただろう。

「先生!」

「このまま櫓に上がる!」

 先ほど倒した一匹の横を駆け抜けて櫓の梯子にたどり着く。

 アーヤを持ち上げて先に登らせると後ろを一度振り返り、鬼蝦蟇が追いついてこれないことを確認する。

「プモォ……」

 いつのまにか京一郎の足にプモが縋りついている。

「お前なぁ……」

 しょうがないので小脇に抱えながら、京一郎も梯子を上った。

 二人が櫓の上に登り切ると、追いかけてきた鬼蝦蟇はあきらめたのか、また村の中央へと引き返していく。

 京一郎は櫓の手すりに体重を預け、崩れるように座り込むと興奮で一時的に忘れていた激痛が襲ってくる。

「ぐぅっ……」

 京一郎の全身に脂汗がぶわっと吹き出す。

 急いで痛覚を遮断し、呼吸を整えることに集中した。

 その様子を見て、アーヤが心配そうにしている。

「大丈夫、先生……?」

「なあに、やせ我慢はお互い様だろう。アーヤ君にも苦労をかけてすまなかった。私の方はもう少し休めば大丈夫だ」

 遠くでは太陽が地平線に沈んでいくのが見えた。

「夜が来るのか……」

「鬼蝦蟇は夜のが狂暴になるの」

「なら、ここも完全に安全とは言えないかもしれないな」

 あの怪力で柱を折られでもしたら、この櫓だってひとたまりもない。

「プモォ……」

 アーヤの胸に飛び込んで、あやされるように優しく撫でられるプモ。

 あんなモノでも彼女にとってはある種の癒しとして役に立っているのだろう。

 京一郎は首の修復具合の確認も兼ねて、手すりの上から村を見下ろした。

「奴ら、同族の死体には興味がないのか……」

 投石で倒した個体は、死んだときのままでずっと放置されている。

 つまり、鬼蝦蟇は何らかの方法で他の死体とは区別していることになる。

 その方法は視覚か嗅覚か、もしくはその両方かはわからない。

 そこまで考えて京一郎に一つのアイデアが浮かんだ。

「アーヤ君、君は夜目が効くかい?」

「うん、今夜は月があるからよく見えるよ」

「よし……アーヤ君、ちょっとこっちに来てくれ」

 京一郎がそう頼むと、アーヤは疑うことなくその言葉に従う。

 彼女が近づいて来ると、京一郎はいきなり両手でその身体を抱き寄せ、彼女が驚くよりも早く無理やり唇を重ねた。

「っ!?」

 突然のことにパニックになり頭が真っ白になるアーヤ。

 京一郎の舌が強引に口に割り入ってきても全く拒むことができない。

 彼にとっては彼女とのキスはこれで4回目だ。

 実に手慣れたものである。

 やがで京一郎は終始冷静なまま、アーヤから口を離した。

 反対に彼女は腰が抜けてへたり込んでしまう。

「よし……」

 何がなのか。

 自分のが実にあっけなく奪われてしまったことに、アーヤは思わず涙ぐんでしまった。

「アーヤ君、どうした?」

 デリカシーも品性も欠片すらない男の、究極に無神経な発言がこれである。

「先生のばかあああああ! うわあああああん!」

 アーヤはついに声を上げて泣き出してしまった。

「ちょ、ちょっとどうした」

 どう見ても、どうかしてるのは京一郎の方だろう。

「……わたし、もうお嫁いけない……」

 シクシク泣きながら両手で顔を覆う彼女。

 彼女の貞操観念は、まるで明治時代の女学生のように純真であった。

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