第11話 君の知らない物怪

 あの大木の元を発ってはや半日。

 二人と一匹は草原の端に流れている小川を渡り、その河原で一度休憩を取ることにした。

 ちなみにあの肉玉は自力で川を渡れそうになかったので、京一郎の上でアーヤに抱えられていった。

 川を渡ったこちら側は草原よりも木々がまばらに茂っている。

 その木陰にアーヤを下ろして、京一郎は自分の足元を見た。

「濡れた靴を乾かしておきたいところだが…」

 足が濡れたままだと靴擦れで皮が剥ける可能性があるのだ。

 昼飯の為にも火を焚く必要があるのだが、毎度毎度、力業で火を起こすのは地味に面倒である。

「あの、これ使って」

 アーヤが腰に結んだ袋から何かを取り出した。

 打ち金だ。

「これは……?」

「家を出る時に持ってきたの……家にあっても今は使わないから……」

 歩いてる途中で聞いた話によれば、彼女の両親は共にあの熱病で倒れていて、ここ数日は動くこともできないらしい。

 村の大半の大人も同様で、かろうじて動ける老人と子供だけで村を維持している状態だということだった。

「わかった。遠慮なく使わせてもらおう」

 彼女から打ち金を受け取って、京一郎はズボンのポケットにしまう。

 木が多ければ枯れ枝や落ち葉を拾い集めるのに苦労はしない。

 あっという間に集め終わると、打ち金を石包丁の背で叩いて火花を飛ばし、砕いた落ち葉に着火する。

 火花が出るとやはりあの肉玉は驚いてアーヤの後ろに逃げ込んだりする。

「プモ、大丈夫だよー。危なくないよー」

「プモォ……」

 アーヤは後ろに来た肉玉を撫でながら優しくなだめた。

「プモ?」

「この子の名前。無いと不便だから」

 京一郎はすこし安直すぎる気もしたが、自分がつけても”ミートボール”とか”まん丸”とかロクな名前になりそうにないと思い、あえて何も言わなかった。

「さて、飯のために魚を取ってこよう」

「でも釣り竿ないよ、どうするの?」

「無いときは無いなりに方法があるものだ」

 そう言って京一郎は河原まで歩いていく。

(筋力強化!)

 京一郎は体内のナノマシンにコマンドを送り、一時的に筋力を増大させておく。

 河原の中で頭の大きさ程の岩を見つけると、それを川の中央まで運んでいく。

「ふんっ‼」

 掛け声と共に両手で振り上げ、自分の足元に全力で叩きつける。

 突如、爆発が起きたように激しい水飛沫が上がった。

 衝撃で気を失った魚が何匹も宙に飛ばされ、河原のあちこちに落下する。

 名付けてフルパワーダイナマイトガチンコ漁法!

「すごいすごい!」

 アーヤは手を叩いて大はしゃぎだ。

 ただ問題だったのは。

「うっかり本気を出したら、全身ずぶぬれになってしまった……」

 乾かさねばならない物が増えた。

 手間を増やしてどうする。

 散らばった魚を拾い、枝に刺して焚き火で焼きながら、白衣もカッターもすべて脱いで靴や靴下と一緒に日向で乾かす。

「先生、あんなにすごいことできるのに、裸だとぜんぜん力持ちそうに見えないね」

「力を出すにはちょっとしたコツがあるんだよ」

「そうなんだー」

 コツというかナノマシンの機能なのだが、それを言っても彼女には理解できまい。

 芯まで火の通った魚を二人で食べながら、服が乾くのを待った。


 ******


 草原ほどではないが広大な林を抜け、アーヤの住むアジニ村へと辿り着くころには日が傾き始めていた。

 大人の足でも丸一日かかる道のりを、アーヤは熱病にかかりながら歩いてきたのかと思うと、彼女の心の強さに感心を禁じ得なかった。

 アジニ村は先のとがった丸太を打ち込んでできた塀がその周囲をぐるりと囲んでおり、入り口は厚い木の板でできた扉がしっかりと守っている。

「先生、おろして」

「アーヤ君?」

「先生は扉開けられない。わたし、もう立てるから」

「わかった」

 開け方は知らないわけではないのだが、彼女の言葉に従うことにした。

 白衣を解いて、アーヤを地面におろす。

 ふらふらと若干危うさを感じながらも、彼女は自分が言ったとおりに地面にひとりで立った。

 扉に近づいてアーヤが小閂こかんぬきに手をかける。

 村の扉は内側から太い丸太をかける大閂おおかんぬきと、H型の木材で両側からかけることのできる小閂の二つの閂がある。

 今は丸太を持ち上げられる人間が倒れているので、正門には大閂はかかっていないらしい。

「アーヤ、戻ったよ!!」

 大声でそう村の内側に叫ぶと、小閂をぐるりと反時計回りに回転させる。

 扉の向こうで木材同士が組み合う音が聞こえた。

「先生、行こ」

「ああ」

 アーヤが左側の扉に肩をつけ、体重をかけて押すとギイイッ!っと木材の擦れ合う音と共に、分厚い板の扉が開き始める。

 しかし、アーヤだけではまだ大変そうに見えたので、京一郎も一緒に押すのを手伝った。

 扉が完全に開くと、二人は村の中へと進む。

「やけに静かだな、人っ子一人いない」

「大人はみんな倒れて家の中だよ……でも、おかしい。ジジババや子供もいないなんて。誰か村に入るときは一人は迎えに来るはずなの」

 能天気についてきたプモも今は怯えたようにアーヤにくっついている。

 アーヤは一歩前に出て大きく息を吸い込んだ。

「ユトー! エイナー! リケー! 誰かいないのー!?」

 村の子供たちの名前を叫んで返事を求めるも、何も物音は返ってこない。

「先生……」

 アーヤは何か険しい顔をしていた。

 何かに気づいたのか。

「どうしたんだ? アーヤ君」

「嫌なにおいがする……腐ったような、血生臭いにおい」

 京一郎は以前やったように、嗅覚を強化して視覚化した。

 村の全体がうっすらと臭気に包まれ、村の奥の方の壁際と村の家々の中から強い臭いが漂っているのがわかった。

「……アーヤ君はここで待っていなさい、私が様子を見てくる」

「でも、先生!」

「危なくなったら村の外に逃げて扉を閉めるんだ、いいね? 私のことは考えるんじゃないぞ」

 そう言い残すと、心配そうなアーヤを振り返ることなく京一郎は村の中へと進んでいく。

「どこから見る……いきなり、家の中に入っていいものか」

 この村は粗末な家屋が井戸のある広場を中心に円形に並んでいる。

 まずは村の中央から全体を見るのが効率が良いいだろう。

 気候的にあえて気密性を考慮しない建物たち。

 屋内で何かあれば、音も臭いもすべて筒抜けだ。

 京一郎は広場の中央からぐるりと見回して、今現在、最も強く臭っている家屋を見つけた。

 その建物に慎重に歩いて近づき、開きっぱなしの戸をくぐって中に入っていく。

 灯りのない暗い室内。

 ちゃぶ台のようなテーブルがひっくり返って、敷物も乱雑に散らかっている。

 何物かに荒らされていた。

 足音を立てないようゆっくりと家の奥へと進んでいく。

 何かが折れる乾いた音。

 粘り気のある水音。

 それは一瞬、裸の巨漢が座り込んだ背中のように見えた。

 だが、それは人間の肌ではなかった。

 その異様さについ後ずさった京一郎の足が、部屋に転がっていた木片に触れてコンと軽い音が鳴った。

 グチャグチャいやな音を立て続けながら、それがゆっくりと振り向いた。

 大きく飛び出した黄色い眼球、そのカエルのような黒目を横に細めて京一郎の姿をしっかりと捉える。

 咀嚼を続ける巨大な口からバキっという音が鳴り、口から飛び出していたがボトリと下に落ちた。

 それは涎にまみれ、食いちぎられた人の腕だった。

 のどを動かしてしっかりと口の中の物を飲み込むと、まるで笑うかのように口角を上げ、おぞましく生えそろった牙を剝き出しにした。

「いやあああああ!」

 直後、外から甲高い悲鳴が聞こえてきた。

 京一郎はとりあえず目の前の化物は置いておいて、家の外に駆けだす。

 外に出て村の入口の方に視線を向けると、腰を抜かしたアーヤの目の前に恐らく部屋でみたのと同種の化物が立ちはだかり、彼女に襲い掛かろうとしているのが見えた。

「アーヤ君っ!」

 カエルのような頭部と皮膚、ただ首から下はゴリラのようにがっしりとした体格。

 その太い腕がまさに振り上げられている。

 あの腕で殴られれば無事では済まない。

 今からここから走っていても間に合わない。

 京一郎はズボンのポケットから石包丁を取り出し、筋力を強化しつつ野球選手の投球フォームのように全力で振りかぶって投擲する。

 狙いは化物の大きな目玉。

 時速約150キロ、およそマッハ1.2という弾速は拳銃のそれと同等だが、石片の質量は弾丸の比ではない。

 無回転で切っ先から着弾した石片は化物の眼球を破裂させ、さらに眼窩の奥へとめり込む。

 目の奥は薄い骨一枚を隔てて脳味噌だ。

「ゲァヴアアアアアアアアア!」

 噴水のように血を吹き出し、頭を抱えて悶絶して転げまわる化物。

「大丈夫かっ!」

「先生っ!」

 アーヤがこちらに気づき、顔を向ける。

——後ろっ!

 アーヤが叫び続けたその言葉を認識できたかどうか。

 京一郎の背後にはいつのまにか家から出てきていた化物が立っていたのだ。

 二足歩行で立ち上がった姿は京一郎の身長とほぼ同じで、その巨体が丸太のように太い腕を振りかぶり、水かきのついた手を目一杯広げて彼の横っ面をぶっ叩いた。

 尋常ではない衝撃が京一郎を襲った。

 横回転で宙を舞い、受け身もとれず転がりながら地面に叩きつけられる。

 彼は10メートル以上は弾き飛ばされただろう。

 京一郎の身体はピクリとも動かない。

 そんな無惨に投げ出された京一郎の身体を見て、アーヤは真っ青に血の気が引いた。

 彼女ですら最悪の事態が予想できたのだ。

「先生————っ!!」

 喉を潰しかねないほど絶叫しても、京一郎は答えることはなかった。

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