第13話 悪食と貪食
「お、落ち着きたまえアーヤ君!」
「うーっ、うーっ!」
少し気持ちの整理のついたアーヤが、涙目で恨めしそうに今にも殴りかかりそうな剣幕で怒っている。
彼女の気が収まるまで素直にサンドバッグになればいいと思うのだが、乙女心が理解できない京一郎は愚かにも言葉で必死に宥めようとしていた。
「きらい! きらい! 先生だいっきらい!!」
「待ってくれ、これは村を救うために必要なことなんだ」
「意味わかんない! わたしはじめてだったのに!」
頬を膨らまして、むくれるアーヤ。
「私だって君が初めての相手だ」
「……ほんと?」
「ああ」
これが四回目だがアーヤが京一郎のファーストキスの相手であるのは事実ではある。
「嘘じゃない?」
「私が今まで君に嘘をついたことは無かっただろう?」
「うん……」
しかし、隠し事はいっぱいだ。
アーヤはその答えに納得すると、ようやく彼の話を聞く耳を持ちはじめた。
「いいかい、さっきアーヤ君に行ったのは魔法のようなものだ。今からアーヤ君の目は私の目にもなる」
「どういうこと?」
「アーヤ君の見てるものは私にも見えるということだ」
実はあのキスで互いの脳に定着しているナノマシンに無線通信機能を追加し、アーヤの視覚情報を京一郎の脳に転送できるようにしたのだ。
「今から私は村中の鬼蝦蟇を全滅させるために一か所におびき寄せる。アーヤ君はその間、私が追い詰められないように奴らの動きを見ててほしい」
「見てるだけ?」
「ああ、ただし全体を万遍なく、奴ら全体の動きがわかるように見てくれ。そうしないと私が挟み撃ちにされないとも限らない」
そう注意をつけ足しておくと、アーヤは理解してしっかりと頷いた。
「建物の影ができるだけ少なくなるように、あの月が一番高く昇ったら開始だ」
月が南中するまではあと1時間ほど。
それまでに京一郎は体力や傷の回復に専念する必要があった。
「それまで少しだけ眠らせてくれ。もちろん何かあればたたき起こしてほしい」
「うん、わかった」
「すまない」
そう京一郎が言うなり、彼は静かな寝息を立てて意識を落とした。
******
「……先生」
ゆっくりと京一郎が目を開くと、アーヤが心配そうに自分の顔を覗き込んでいることに気づいた。
「……もう時間か」
「うん」
一人きりで不安だったのかもしれない。
京一郎は謝罪の気持ちが湧いたのか彼女の頬に優しく触れた。
泣きそうな表情で差し伸べられた京一郎の両手でを握るアーヤ。
「行ってくる」
「ぜったい戻ってきて……っ」
「ああ、まかせなさい」
京一郎がやおらに立ち上がる。
そして、櫓の梯子を降りていく。
彼の姿が消えるまでアーヤは京一郎の姿を見送った。
梯子を降り切って地面に降り立つ京一郎。
今から村中を目いっぱい走り回らねばならない。
もともと足腰へのダメージは無かったので、これ以上攻撃さえ食らわなければ大丈夫だ。
不意に夜風が白衣をはためかせると血生臭さが鼻についた。
京一郎は嗅覚の視覚化とアーヤの視野の受信を開始する。
まずは最も近くにある鬼蝦蟇の死体へ。
道すがら適当な小石を拾い、京一郎は自分の口の中に放り込んでおく。
少し不衛生だが京一郎はには問題ない。
大の字にうつぶせに倒れた鬼蝦蟇の死体、その死後硬直の始まっている大きな口を両手で強引に開く。
右手にペッと口の中の石を吐きだし、唾液にまみれたその石を鬼蝦蟇ののどの奥に向けて力任せに投げ込んだかと思うと体重をかけてしっかりと死体の口を閉じた。
これでまず作戦の第一段階は完了。
あとは村中の鬼蝦蟇をここに集めるだけだ。
鬼蝦蟇の体臭だけにフォーカスすれば屋内屋外かまわず、近くにいる鬼蝦蟇を見つけることができる。
アーヤの視野から、家の外を徘徊している鬼蝦蟇は二匹。
あとどれだけ屋内に隠れているのかはまだ分かっていない。
「まずは全部の家を回って数を確認するしないとな」
一匹残らず駆逐しなければ村の平和は取り戻せない。
アーヤの記憶によればアジニ村の人口は六十人程度、世帯は八世帯。
家屋は十五棟だが納屋や空き家を除けば人の住んでいる家屋は十戸だ。
足音をひそめて家々を見回り屋内に潜む鬼蝦蟇を確認する。
一つ、二つ、三つ、四つ。
つまり村に今いる鬼蝦蟇は全部で六匹。
脳内に作った村のマップにその場所をすべて表示し、最も効率の良さそうなルートを割構築する。
「あとは出たとこ勝負か……!」
京一郎はそう言うと鬼蝦蟇のおびき出しを開始した。
まず納屋に行って松明を探し、アーヤから貰った火打石で着火して灯りをつけた。
そして鬼蝦蟇のいる家屋の入り口で目立つように松明を揺らし、わざとその視界に留まるようにする。
すると夜になって興奮している鬼蝦蟇は京一郎の狙い通り彼を追いかけてきた。
追いかけてくる鬼蝦蟇につかまらないよう気をつけながら、次々と家屋からおびき寄せる。
一方、アーヤは物見櫓の上から京一郎に言われた通りに村全体に気を配り続ける。
彼女の視野から得た情報を元に逃げ回りつつ、村の外を徘徊している鬼蝦蟇も挑発すると、ついにすべての鬼蝦蟇が京一郎を狙って追いかけてきた。
夜で活発になっているとはいえ相手の位置さえわかっていれば全速力で走りまわる京一郎には子供相手の鬼ごっこも同然だ。
全ての敵がほぼ同じタイミングで一か所に集まるように京一郎は逃げるルートを絶妙に調整し、最終的に例の死体の前で彼は鬼蝦蟇たちを待ち構えた。
「今だ!」
京一郎は十分に奴らを引きつけると、手にした松明を全力で地面に叩きつけた。
鬼蝦蟇たちの目の前で松明が破裂し、一瞬だけまばゆい光が放たれる。
その激しい火炎はだだちに収まったが、彼らの目の前にはまるで風船のように膨れた仲間の死体だけが残っていた。
******
「先生っ!」
松明で敵の目をくらませている間に速攻で櫓まで戻ってきた京一郎。
その無事な姿に安堵したアーヤが彼の懐に飛び込んでくる。
「アーヤ君、よく頑張ったな」
「うんっ……」
彼女を受け止めひとしきり労う。
「しかし、仕上げはこれからだ」
京一郎はアーヤから離れて、ポケットから一つの物を取り出す。
納屋で松明のついでにくすねてきた大きめの鉄くぎだ。
櫓の上から鬼蝦蟇の集団を見下ろす。
京一郎の姿が突然いなくなって明らかに戸惑っている。
奴らが再び散開する前に最後の仕上げを完了させなければ。
「アーヤ君、耳を塞いで伏せるんだ」
京一郎は一言彼女に忠告すると石包丁と同じように、鉄くぎを持って大きく振りかぶった。
狙いは当然あの死体——
弾丸のごとく投げられた鉄くぎが、パンパンに膨らんだその胴体を貫いた。
バァン!!という巨大な破裂音と同時に死体が勢いよく爆発し、その骨や肉が一斉に辺り一面に飛び散る!
腐敗臭があたりに漂い、鼻を刺激する中、アーヤが起き上がって京一郎に問うた。
「先生、やったの?」
それは、あの爆発で鬼蝦蟇が全滅したのかという意味だろう。
京一郎はそれをあっさりと否定する。
「いや、あの程度の爆発では奴らは死なない」
「そんな……」
「だが、今からすべてが終わる」
「?」
一瞬絶望しかけたアーヤの耳に、ぐちゃぐちゃと粘っこい音が聞こえてきた。
彼女は恐る恐る村の方を覗き込む。
それは全ての鬼蝦蟇たちが目の前にある肉片を一心不乱に貪っていた音だった。
「さっきまで、ぜんぜん食べようとしなかったのに……」
「普段は仲間の死体は食べないかもしれない。しかしただの肉片になり、しかも強烈な腐敗臭で臭いも判らなくなれば、あれはもう奴らの大好きな食糧にしか見えないさ」
一番最初に彼が死体に放り込んだ石ころには唾液に混ざった大量のナノマシンが付着していた。
それは腐敗の進行を強力に加速する触媒であったのだ。
それだけではない。
「そろそろもう一つの仕掛けが効いてくるはずだ」
そう京一郎が言っている最中から、食事にかまけていた鬼蝦蟇たちの様子がおかしくなる。
「グァ……グァアアア……」
一匹ずつ苦しそうに悶え始め、ふらふらと地面に倒れていく。
何匹かは仲間の異変に気付いたかもしれない。
しかし、もう手遅れだ。
全ての鬼蝦蟇がひとしきり苦しんだ後、やがて全く動かなくなった。
あまりの状況に若干怯えながらアーヤが問う。
「先生、一体これはなに?」
「詳しく説明すると難しいが、奴らにしか効かない毒を使ったんだ」
彼の仕掛けたもう一つのナノマシン。
それは死肉を熟成させ大量のグルタミン酸に分解する模擬酵素だった。
グルタミン酸は少量ならば旨味成分として有用な物質だが、大量に摂取した場合は神経毒として働くのだ。
神経毒に侵された動物は全身が麻痺し、やがて呼吸が出来なくなって死亡する。
「あの肉を食べなければ私たちには全く害はない」
「そうなんだ……」
「奴らは夜行性、この時間は食欲も旺盛だ。だが、奴らはその食い意地の悪さが仇になった。死ぬほど旨い肉を腹いっぱい食って、文字通り死んだわけだ」
京一郎はせめて来世では食欲には気をつけるがいい、と心の中で皮肉った。
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