第12話
フランクフルトでの演奏は好評だった。終演後、ホールの支配人にまた来て欲しいと言われ、渉外のラインハルトが話しているのを他のメンバーも横で聞いていると、後ろから低く静かな、しかし厳かな声が聞こえた。その声が呼ぶ名に、明はまさかと隣のミカエルを振り返る。ミカエルはいつもの冷静さはあるものの、少し表情が険しく強張っている。
「ミカエル。久しぶりだな。コンサートには間に合わなかったが、元気そうで何よりだ。
、、少し演奏の最後は聞こえたが、、君、名前は何と?」
ミカエルの父らしき、ミカエルとは違いドイツ人の中でも背が高く、ガッチリとした中年男性は、自分は名乗りもせずに明に視線を向け話す。その態度に明も面白くはなかったが、分厚い四角い眼鏡の奥の、ミカエルと同じ色の瞳は有無を言わせない威厳があり、明は返事せざるを得ない気分になる。
「、、俺でしょうか?アキラ•ナカモト。中本明です。」
明は何を言ってくるのかと懸念したが、男性は相変わらず不遜な態度で目は笑っていないが、口に弧を描く。
「君のヴィオラは素晴らしい。、、私の息子のミカエルに引けを取らない演奏だね。ミカエルは親の私が言うのも何だが、何をやっても優秀だ。フルートには特にずば抜けた才能がある。ミカエルほどの演奏をする同世代はなかなかいないだろう。他の二人も優秀だが、、君は内声でも目立っていて演奏を陰からコントロールし引っ張っていた。
、、良い友人を持ったな、ミカエル。
お前には付き合う友人は慎重に選んでもらいたい。」
明は、ミカエルから彼は音楽には理解がないと聞いていたため、聞く耳が肥えているのには驚き、感心したが、言葉の端々に感じる能力で人を判断する様子に嫌悪感を覚えた。ミカエルはいつものように間違っていると感じていても反論すらせずに、黙って彼を見つめている。
「、、ありがとうございます。身に余るお言葉で大変光栄です。
、、俺はこの通りドイツ語もあまり得意ではなく、、ちなみにドイツでの生活面も疎いのですが、良いローンやサービスはありますでしょうか。ぜひご教示頂けたら嬉しいです。」
明は男性には嫌悪感はあったが、持ち前の愛想と感情を出せないことを生かし、話を広げる。この男は心底嫌いだが、こちらとしては自分に関心が向いたのは好都合だ。事前にメンバーたちには話してあったので、支配人と話しているラインハルトを除いた、リリアと彩華にミカエルを連れ出してもらう。
二人はミカエルに声をかけて男性に軽く挨拶すると、するすると場を去ろうとする。
「なるほど。君は名前の漢字だと、日本から来たのかな。、、君ほどの才能なら私が奨学金や学生ローンの推薦を出しても。
そう言うのに困ってないなら、良いヴィオラかヴァイオリンを財団なんかから貸与しようか。
君のような奏者なら弾く資格があるだろう。
、、銀行としても芸術への投資は企業イメージに良いのでね。お互い良い話だ。
、、ただし、ミカエルがフルートをやめても友人でいてくれるなら、ね。」
男性の話に、彩華たちが思わず立ち止まる。ミカエルも流石に我慢できなくなり、二人から離れ、男性につかつかと詰め寄る。
「父さん。、、今のお話はどう言うことですか。
、、私がフルートをやめる??」
「何を今更。そう言う約束で音大に行っただろうに。お前のフルートの才能はずば抜けているが、頭脳もずば抜けている。トップレベルのギムナジウムで、フルートを本格的にやりながら学業成績は常に1位、アビトゥアの試験も最高ランク。、、今だって音大で特待生にも関わらず、夜間に経営学を専攻して一般大学に行っていてやはり成績は上位だ。
、、音大はお前を納得させるのと、箔をつけるにも良いかと行かせたに過ぎない。
、、特待生な上、早く卒業できそうなようだし、卒業次第、MBAも取ってもらう。並行してうちの会社の支店で学んできなさい。」
男性はミカエルに当然のように話す。
明は男性の先ほどの話に加え、ミカエルについて色々と明の知らない話が発覚し、何から聞いたら良いか困惑して黙る。
取り急ぎわかっていることは二つで、この男はミカエルにいくらフルートの才能があっても経営者にしたいことと、明の考えた策など見通して逆手に取ってきたと言うことだ。
「嫌です!!!
私は自分で学費も生活費もやりくりしています。
、、それと、明は私の事情には関係ない。巻き込んで困らせるのはやめて頂きたい!」
ミカエルは感情を爆発させる。こんなに感情的なミカエルは初めてだ。いつもは静かなアイスブルーの大きい切れ長の瞳に、氷が瞬間的に溶けるように怒りを映している。普段は張らないだけで、十分な肺活量が活かされた声量で男性に怒鳴る。
ラインハルトは騒ぎを見て支配人と楽屋に下がって行く。
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