第8話
明は、ミカエルに連れられて、その週の土曜日の昼過ぎに大学の練習室に向かった。
練習室はいくつもあるが、古楽専攻生も使う特別な部屋で、チェンバロが置いてある。
「中本さんですか?
、、私は、アムステルダムの音楽院でチェンバロをやっている林田です。
林田彩華。よろしくお願いします。
嬉しいなあ。ヨーロッパであまり日本人も見ないし、同世代はもっと見ないから。」
明がミカエルと一緒に入ると、ヴァイオリンとチェロのメンバーは既に来ていて、明に微笑んだ。2人より先にチェンバロの同じくらいの歳に見える女性が立ち上がり、明に日本語で話し微笑む。
「、、俺は中本明です。
ここの大学でヴィオラをやっていて。最近編入したから来たばっかりですけど。
、、アムステルダムで。、、古楽はオランダなら本場ですもんね。」
明は、自分よりも10センチほど背が低く大変小柄で、可憐に可愛らしく微笑む彩華に緊張してしまい、日本語の敬語でどぎまぎと話しながら、差し出された細く小さな手を握れずにいる。
「、、明もサイカも。日本語だと私たちはわからない。仲間外しにされた感じで嫌ですね、、。それに、明は握手しないんですか?」
ミカエルは日本語で話されて殆ど分からずに若干不愉快そうに言う。
「ああ、ごめんね。彼女が日本語で話してくれて懐かしくて。俺はほら、ドイツ語が残念だから、、。日本じゃ女の子の手なんてあんま握らなくて。
は、林田さん、よっ、よ、、宜しくね、、。」
明は緊張で吃りながら話すと、彩華の華奢で小柄な割には明と同じくらいには大きい手を握る。明は日本人の中でも身長は低いが、手は身長に比すとやや大きい方だ。
自分よりもかなり背が低い彩華が同じくらいの手の大きさなのは意外だった。
「えっ!?手大きいね。」
明は思わず彩華の顔を見て驚いて叫ぶ。
「よく言われる。、、背が小さいのに手が大きいねって。鍵盤楽器やってきたからね。
、、明くんは手の大きさは普通だけど握力が結構あるわ。それに指が長い。、、しっかりした音色で弾くんでしょうね、ヴィオラ。楽しみ。」
彩華はいきなり明をファーストネーム呼びしながら、流暢だが、明に配慮してか、ゆっくりと聴き取りやすいドイツ語で話す。
「、、それはどうも。。期待に沿えるように頑張って弾くよ!」
「サイカはオルガンも上手いし、ピアノももちろん上手で。鍵盤ならなんでもです。
、、だから結構人気者で私も伴奏を頼むことがあるし、今月はうちの大学の古楽科との共同プロジェクトで来ているようですよ。
、、サイカ、言い忘れましたが明はヴァイオリンもうまいです。チェンバロと色々合わせられると思います。」
ミカエルは、彩華について明に紹介するついでに明についても話す。
「ちょっと!余計なことを、、ヴァイオリンは専門じゃないから。ヴァイオリンから転向したけどむかーしに弾いていただけだよ。」
明はミカエルを軽く睨んでから彩華に微笑んで訂正する。
「嘘つけよ、お前のこと、ヴァイオリンの実技試験で見たけどめちゃくちゃ上手かったぞ。副専攻のくせに専門生顔負けだった。
むかつくなあと思って探したけどヴァイオリン科にいないからおかしいと思ったらヴィオラ科だったのな。」
ヴァイオリンのドイツ人の学生が言う。彼はラインハルトと言う名前だが、明の方では全く覚えておらず今日認識した。
「え?、、人間違いじゃない?
それかラインハルトがそのとき眠かったからよく聞いてなかったんだよきっと。
、、ちょっと色々あって副専攻してるけど、触り程度だから。」
明はおどけた調子で言ってなんとか話を逸らそうと努力する。
「人違いしないなよ。黒髪で目立つし。友達がいないミカエルとも話す変わり者だから何げに有名だしな。な?」
ラインハルトはチェロの女子学生に言ってチェロの学生が頷く。
「そうよ。あなた自分が思ってるより目立ってるわよ。私も噂を聞いて合わせるの楽しみだった。」
「、、そう、、それは嫌なこと聞いたな。ミカエルのせいで目立つのか。。お前のせいだよミカエル?」
明は無理やりミカエルに話を持っていき、背中からヴィオラケースを下ろしてヴィオラの調弦を始めた。はやく合わせを開始して、特に彩華のいる前ではヴァイオリン関連から話題を逸らしたい。
日本では有名なヴァイオリニストの家柄なことなどを勘付かれたくなかった。自分が自分として見てもらえなくなる、また兄弟と競わないといけなくなる、父からヴァイオリニストとして一角に立つようプレッシャーをかけられる、ヴィオラを辞めさせられる、想像しただけで最悪だ。
「、、やっぱりしっかりした音色。全然恥ずかしかったり隠すことないんじゃないかな?
、、中本、明さん。
、、あなたのお家とあなたは関係ない。
あなたの努力と力であなたは弾いてる。
違う?ヴァイオリンだってどんどん弾いたら良いのに。」
彩華が日本語で明の調弦を聞きながら言って、またミカエルなどが文句を言っている中、明は言葉の内容に思わず彩華を険しい表情で見つめる。
「、、苗字で流石にわかっちゃうか。
、、でも、もう選べなくなるのは嫌なんだ。選べるようになるように、、父さんに認めてもらうために、、ここまで来たのもある。、、ヴァイオリンは父さんからやらされてるだけなんだ。、、求められなきゃ弾くつもりはない。」
明は自分が酷い表情だろうと思い、なんとか表情を和らげて彩華を見ながら音階を弾いて音出しをする。そのあと、音出しのために適当な暗譜している曲の出だしを弾く。彩華はそれに合わせてチェンバロで音を弾く。
チェンバロのピッチは明たちのモダン楽器に合わせて上げてくれたようだ。2人の音程はあっており、彩華は勝手にハーモニーに装飾を入れだす。古楽の鍵盤奏者なら誰もができるスキルだ。明が弾いた曲はオケの曲で全くバロックではなかったが、彩華の力量は見事で彩華のチェンバロによってまるでバロック演奏のようになった。
「、、じゃあ求めたら弾く?私が。弾いてくれる?」
「どうかな。。俺の気分次第かな。」
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