第9節 アビス探索訓練Ⅸ



 休憩を取り終え、万全の準備を整える。緊張が途切れない程度の、束の間の休息ではあるが彼らが戦闘でほてった体を冷ますには十分だ。

 一行が目指すのは中央の浮島。この"奈落の魔域"擬きの中で最大の広さであり、島の中心には彼らの目的とする"奈落の核"と思しき結晶柱がある。だが、その前に立ちはだかるのは"奈落の核"を守護する番人。侵入者たる冒険者の歩みを阻む"奈落の核"にとっての最終防衛ラインである。



 中央への島への行き方はそう難しくない。ルーファたちのいる4つ目の浮島から、ぐるっと円を書くようにして、中央の島へ坂が伸びているからだ。細長い道だが起伏もなく障害となる仕掛けも周囲には見当たらない。だが、何が起こるか分からないのが"奈落の魔域"。十分に周囲を警戒しながら4人は坂を降りていく。


「…中央の敵は見えるかい、ミニー」

「は、はい、なんとか」


 身を隠すのにうってつけの大岩がゴロゴロと転がる島の外縁部に陣取り、4人は中央の様子を窺った。遠目ながらその正体を見極めるため、ミネルヴァは岩陰から目を凝らす。番人と思しき影は3体。内、2体は彼女も既に見覚えのある。一方でもう1体は、この空間では目撃していない未知の個体。耳にかけた眼鏡を時折触りながら、呟くように彼女自身の考察を告げた。


「全部で3体……、内2体は既に私たちが戦ったゴブリンと同型…、もう1体は多分交戦経験のない蛮族、です。背の高さ、特徴的な牙の形状から恐らくボ、ボルグ…かとぉ…」


 いずれの敵も土塊色をしているせいで、魔物種別の主たる判断は外見の形状特徴に大きく依存する。どういう手段をもってか、擬態ミミクリーシリーズの魔物は体毛や爪、角もしっかりと再現がなされている。そのため、彼女にもおおよその見当をつけることができた。とはいえ、色彩という外見の大きな構成要素が、判断の役に立たないのも事実であり、ミネルヴァの声に自信のなさが表れたのもそれのせいである。


「ボルグ…か…。元となった種の方は単一での高い戦闘力に加えて、部下の魔物や動物への指揮に優れる…だったかな?」

「その通り、です。調教技術の高さはボルグの厄介な部分。主に長物を好む魔物であり、槍や剣を携帯していることが多い…のですがぁ…」


 "奈落の核"の前で陣取るボルグ(らしき影)が何も携帯せず、佇んでいることが気がかりではある。しかし周囲にそれらしき武具が転がってもいない状況に、ルーファは単に武器を持たない個体だと踏んだ。これまで彼らが相対してきた擬態ミミクリーシリーズが、原種の魔物とほぼ大差がないことが彼の考えを裏打ちしていた。


 アリアドが島の外縁部を身を潜めながら一周し、確かに敵の総勢が3体であることを確認する。同時に妙な仕掛けもないことを彼は告げる。


「エル、ボルグには君が行け。純粋な力勝負なら、僕より君の方が適任だ」


 エルキュールはぱちくりと目を瞬かせると、ニヤリと口端を歪ませた。


「なによ、アンタわかってんじゃない。私もちょうどそう言おうと思ってたわ。代わりにルゥ、あんたがゴブリン2体を相手をなさい」

「了解。ただわかってると思うけど…」

「初見の敵だから警戒しろってことでしょ?言われなくてもわかってるわよ」


 鬱陶しそうにエルキュールは口をへの字に曲げた。耳にタコができるとばかりにひらひら手を振ると、自身の獲物を視界に捉えてその眼差しを鋭くする。

 敵に魔法の使い手がおらず、視界外から飛んでくる魔法を警戒する必要がないのは彼女にとってもありがたい話だ。彼女が専心すべきは受け持つボルグの膂力のみ。


(乱打の応酬になるのは間違いないわね。手数で上回られるとやりづらい、か…)


 相対するのが2本の腕とメイス1本なのだから、必然打ち込む回数はボルグに分配が上がる。おまけにゴーレムもどき故に体力の限界など考えるだけ無駄だ。盾で身を守れる回数も無限ではない。受ける度、腕は疲弊していく。早々に腕を機能停止にしてしまうのが彼女にとっての最善策だと結論付ける。


「【フィールド・プロテクション】はどうしますか?」

「先にかけておこう…、と言いたいところだけど、魔法を使えば向こうに感づかれる可能性がある」

「あたしも同感。奇襲を仕掛けるならやめておいた方が賢明よ」


 【フィールド・プロテクション】は効果範囲内の複数の対象に防護の加護を与える神聖魔法であるが、対象の選別には熟練した技術が要求される。残念ながらミネルヴァの腕はその域には至っていない。戦闘時、毎回一番最初に魔法を詠唱するのはこれが理由だ。


「それをかけるのは僕がゴブリンを殲滅した後だ。その後でエルと僕が交代スイッチする。エルは交代スイッチ後に、一旦後方に下がって魔法を受けてほしい」

「その前にあたしがボルグを倒してやるわよ」

「それならそれで問題ないさ。アリアド、奇襲の1発目はゴブリンにいけるかい?」

「問題ねぇ、が確殺は保証できねぇな。若干だがダガーフッドたちよりゴブリンの方が弾の効きが悪い」

「多少でも削れるなら問題ないよ。なるべく合流までの時間を短くしたいんだ」


 親指を立てて応えるアリアド。いくつかの岩を経て、狙撃のポイントへとついた。


「エル、アリアドの銃撃に合わせて飛び出すよ」

「あんたこそ、しくじんじゃないわよ」

「ミニー、最初は魔力消費を抑えつつ全員の回復に専念でよろしく」

「は、はい…!」


 緊迫する空気。痛いほどの静寂の中で、自身の心音だけがやけに耳につく。敵は依然ルーファ一行に気づく様子はない。だが、既に漏れ出てしまっているのでは、と錯覚するほどにうるさい胸の鼓動。震える腕は煽られた不安によるものか。否、それは間違いなく、昂る戦意の現れである。


(さぁ…大詰めだ…)


 これが終われば晴れて一人前の冒険者だ。待ち望んだ冒険がもうすぐそこにある。

 固く、固く剣を握り、いつでも駆け出せるように彼は脚に力を込めるのだった。



§



 ソレ等は核の前で来たるべき敵を待ち、静かに佇んでいた。ソレ等は魔物の形を模していながら、その知覚の大半を魔法に頼っている。マナの量や動きから外界の状況を把握し、組み込まれた戦闘理論に基づいて臨機応変な反応を可能としている。暗闇や幻惑、障害物の有無に左右されない強みを持つが、その感知範囲は精々が半径5m程度。中央の島の大きさに比べれば非常に狭い空間だ。

 ソレ等のコアに刻まれたメインオーダーは、"奈落の核"の破壊を目的として現れる冒険者の無力化、あるいは制圧である。サブオーダーとして損耗率の抑制、つまり自己保持を指定されている。が、あくまで主目的は冒険者の妨害。そのためなら自身の損害などこれ等はいとうまい。


 此度は司令塔たる上位個体ミミクリー・ボルグを僚機とした作戦であり、主だった命令系統は上位個体に委ねられている。周囲に異変はなく、ターゲットも依然現れない。下位個体ミミクリー・ゴブリンは周辺の探索を提案するが、即座にそれは却下された。

 戦力の分散のリスクと目標発見のメリットに釣り合いが取れていない。現状3体という少ない防衛部隊である以上、数を減らして更なる不利を被る必要がない。かといって3体で動けば"奈落の核"を破壊されかねない。故に迎撃に徹する、それが上位個体ミミクリー・ボルグの弾き出した結論である。


 上位個体ミミクリー・ボルグの下した結論に、下位個体ミミクリー・ゴブリンは自身の提案を棄却した。自身の目的を果たすため、"奈落の核"の前に陣取りながらも警戒を緩めない。

 ソレ等の選択が果たして正解だったか。突然、轟音が響いたと同時、下位個体ミミクリー・ゴブリンの内の1体が感知範囲に超高速で接近する小物体を捉えた。即座に臨戦態勢へと移行する。数度の演算の後に弾き出された結論は、飛来する小物体の回避が不可能ということだけ。その結論に対し、下位個体ミミクリー・ゴブリンの演算回路は極めて無感情に次策を模索し始める。加速する演算速度に比例するように、内部の魔力回路が猛烈な勢いで唸りを上げ始めるのだった。



§




 轟音と共に飛び出したルーファが、ゴブリンの1体に穿たれた穴を見て軽く舌打ちする。アリアドの放った弾丸は、ゴブリンの心臓コアをやや逸れて右胸に着弾していた。機能停止にまでは至らず、明確な敵意に呼応して2つの赤い視線が、接近するルーファとエルキュールを貫いた。


(右腕…まだ動くか?利き手は…恐らくこん棒を持つ左。なら…!)


 彼が真っ先に狙うのはアリアドの狙った傷ついた個体。右腕を切り飛ばし、体のバランスを崩そうと剣を振り上げた。目前に迫る鉄剣を視界に収め、尚揺らぐことのない純然たる殺意。果たして振り下ろされた剣は、鈍い音を立てながら木製のこん棒と衝突する。

 腕を駆け上がる痺れ。深くこん棒に食い込んだ刃のその向こう、胸の傷も厭わず構えた拳がルーファの視界に映る。


「……んのっ!」


 勢いを完全に殺された剣は、いくら彼が力を込めようとその拮抗を崩すことはない。引き抜くことも叶わないと分かるや、彼は即座にその場を離脱する。が、そんなルーファを嘲笑うように、深々と敵の拳が脇腹へと突き刺さった。


「ん、がっ…!?」

「ルゥさん!!」


 離脱の勢いも相まり宙を飛ぶ体。あちこちを打ち付けながら地面を転がった。地面に打たれる度に空気が肺から押し出されていく。苦しさに喘ぐ体が、空気を求めて口を引き攣らせるも、吸ったそばから吐き出されていくのだからどうしようもない。訓練場へ入ってから直撃らしい直撃を喰らったのはこれが初。おまけに当たり所がすこぶる悪い。彼が体を起こそうにも、支える腕に力が伝わらない。


(が…は……!ま…ずい、か。こ…れ…!?)


 ズキンズキンと主張する脇腹の痛みに引っ張られ、瞬間呼吸を忘れる。

 誰かが騒いでいるのが聞こえる。だらりとルーファの額を流れる大粒の脂汗。手で患部を抑えようが痛みは治まらない。痛みに気を取られたのは高々数秒。されど戦いにおいてその数秒は命とりだった。


 チリ…と首筋を焼くような錯覚。次いで同じ場所を走る悪寒に、ルーファは無理やり横へと転がった。入れ替わるようにして空間を埋めたのは鈍色の刃。頬を掠めた切っ先が赤く塗れているのを目にしながら、彼は2度3度と勢いに任せて地面を転がる。


(息…!呼吸を…と、整のえ、ないと…!)


 ようやくに言うことを聞き始める体。自身の役割を思い出したかのように、猛烈に収縮と拡張を繰り返す肺と心臓。どくどくと全身に血を巡らせ、少しでも早く正常な状態に戻そうと彼の体は躍起になっている。

 ここでルーファはあまりにも自身の内面に目を向けすぎた。それは経験の少なさからくる未熟さと言えよう。だからこそ、魔物の追撃が来ると頭のどこかでは考えていても、それが今の彼に結びつかない。


 弱った敵が排除の優先対象になるのはごく自然なことだ。故に、ミミクリー・ゴブリンがルーファにとどめをさすべく、地面を駆け、接近するのもまた当然の摂理である。

 迫る追撃。剣すら持たない彼にできたのは、左腕にベルトで留められたシールドでせめて顔を庇うこと。


「アンタ、ねぇ!初っ端からミスってんじゃないわよ!!」


 肩で息をするエルキュールが激昂の声を上げる。来るべき衝撃は果たして、彼に届くことなくその寸前で別の鉄塊でもって止められたのだった。

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