第6節 アビス探索訓練Ⅵ



 一つ目の浮島を経由し、次の浮島へ。最初と同じように横から強風が吹き付ける谷間だったが、対岸が広く飛び移りやすいこともあったのだろう。全員危なげなく渡りきることができた。エルキュールだけはぶつぶつと文句を言っていたが、ミネルヴァにまぁまぁ、と宥められている。

 緩やかな下りを過ぎて現れたのは、再び高くそびえる崖であった。傾きこそ他に比べて多少緩やかになっているものの、登頂位置はかなり高い。先ほどとは違った意味で苦労しそうだとルーファは眉をひそめた。


「やれやれ、崖が続くな…」

「…結構高いね。アリアド、先行できる?」

「問題ねぇさ。ちっとばかし待ってろ」


 そう言うや否やひょいひょいと、傾きをものともせず登っていく。彼が登りきった頃にようやくエルキュールとミネルヴァがルーファ達に追いついてくる。目の前にそそり立つ壁にエルキュールは嫌な顔を隠しもせずに、うげぇ、と言い放った。


「……ねぇ。あたし、ここと相性すっごい悪いんだけど…」

「……今回はちょっと運がなかったかもね」

「むぅ…!こんなとこだって分かってたらもっと軽い装備にしてきたのに…。私も剣の方がよかったかしら…」


 そう言ってマントの下の着込んだ金属鎧を見やる。彼女の纏っている鎧は金属鎧の中では比較的軽いスプリントアーマーだが、非金属のものとは比べるべくもない。おまけに背中に背負うメイスとラウンドシールドが、彼女の動きづらさに拍車をかけていた。

 アリアドの合図とともにロープが下ろされる。先に行くか?と目でルーファが問うが、さっさと行け、と睨みで返される。肩を竦ませ、言うとおりに壁を登っていく。

 先に登ったアリアドはいとも簡単に頂上へとたどり着いたが、体を下へと引き付ける引力がじわじわとルーファの体力を削る。額に滲む汗をぬぐい、後続は大丈夫だろうかと心配になった。なにせ軽装の彼でさえこれだ。重装備のエルキュールはさぞ辛いだろう。そう思って下を振り向いた時、彼は口と端正な眉を曲げたエルキュールと目が合った。何かに憤っているようであり、見ればその手は空を搔いていた。


「なによまたなの、もおおおおぉぉ!!」

「エルーっ!?」


 遠ざかる彼女から発せられた叫びは虚しく空間に響き渡るのだった。




 



「死ぬかと思ったわ」


 崖を登り切った開口一番の言葉がそれである。下でミネルヴァが彼女を受け止めたのも大きいが、さほど高くない場所だったことも幸いした。二人とも揉みくちゃになって全身擦り傷はできたが、大きな怪我はない。


「エルの嬢ちゃんはこういうのは苦手か?」

「……すこぶるできないってわけじゃないわよ」


 視線を逸らして答える彼女の態度が雄弁に物語る。力はあるが、俊敏さに劣るのが彼女の自己評価である。〈微笑みの女神亭〉の亭主にも、足元には気を付けてねぇ、と送り出されたのは彼女の記憶に新しい。


「…エルちゃんの自慢は腕力だもんね!」

「ミニー、あんたそれ何のフォローにもなってないわよ」


 ミネルヴァの見当違いの善意のフォローは、ばっさりと切り捨てられる。しょんぼりと肩を下げるミネルヴァを横目で見つつ、ルーファは眼前の平地に目をやった。


(随分広い場所だ。高低差もほとんどない、……の割にやけに遮蔽物が多いな)


 地面から突き出すようにごろごろと転がる岩。隠れるにはうってつけの大きさだ。奇襲の類を警戒すべきか、そこまで考えてアリアドに声を掛けられる。彼の視線は足元に落ちていた。


「見ろ、ルゥ。銃痕…いや、こいつは魔法痕か?」

「……攻撃魔法の痕だ。周囲も焦げたりしてないし、尖ったものが刺さったような跡だから多分【エネルギー・ボルト】の…」


 ざわりとルーファの胸が騒いだ。悪寒が背を撫でる。突如として練り上げられるマナの奔流。理性が警鐘を鳴らすより早く、自らの本能に従ってアリアドを突き飛ばして後方へ跳躍した。

 瞬間、地面へ突き刺さる半透明の魔力の矢。とても物質に影響を与えないような見た目の癖に、くっきりと地面に残る破壊痕。狙いはアリアドの側頭部。下手をすれば死に至る。二人の立つ位置は既に敵の射程圏内だった。


「全員魔法による狙撃に警戒!敵は既に僕たちを狙っているぞ!」


 緊迫したルーファの声で一同に緊張が走る。各自獲物を構え、見えぬ敵影に警戒する。アリアドは既に体勢を立て直し、エルキュールと入れ替わるように後方へと下がっている。盾を構え、エルキュールがルーファの隣に並んだ。


「…ルゥ、何の魔法だった?」

「恐らく【エネルギー・ボルト】だ。地面に残ってた破壊痕からも間違いないと思う」

「数と向きはわかる?」


 彼女の疑問にルーファは首を横に振る。


「今のところ、アリアドの頭を狙った一発だけ。咄嗟だったから飛んできた方向までは分からない」

「そう……。だったら、とっとと炙り出すのが一番ね!」

「そうだね、だから正体を見極めるためにも早くあぶ…え?」


 立ち回りに思考を割いていたために彼女の呟きを半ば復唱したルーファは、その言葉の示す意味に思考が追い付いた時、困惑の視線を横に向けた。だが、彼が目を向けたその時には、エルキュールは獰猛な笑みを浮かべ、ルーファを置いて一直線に平野へ駆け出していた。

 彼にとっての戦闘のセオリーはまず敵の正体を見極めるところからだ。なにより今回は奇襲された側。しかも遠距離から攻撃された形である。ならば安全を期すためにも守りを固め、まず情報収集を行うべきだというのがルーファの判断だった。

 一方でエルキュールが下した判断は、速攻による敵の撃破。遠距離魔法は前衛だけでなく、後衛のアリアドとミネルヴァにも届きうる。被害の拡大が予想される以上、さっさと始末するべきだと考えた。そして何より…、


「さっきからストレスたまってたのよねぇ!!」

「ん…なっ……!?」

「多分っ!!こっちぃ!!!」


 思考の空白。予想した未来と違う出来事に僅かだがルーファが硬直する。

 前衛として飛び出したエルキュールの判断も必ずしも間違いではない。盾を持ち、多少の攻撃を防げる彼女ならばデコイとしての役割も果たせよう。頭が熱くなっている彼女の頭は、そこまでの考えに至ってはいなかったようであるが。

 だが問題は前衛の間で、意識の疎通がとれていなかったこと。互いに異なる動きを取った二人に、後衛の二人もまた戸惑っていた。守りを固めるべきか、攻めに行くべきか。戸惑いは動きと思考を鈍らせる。


 その隙をむざむざ逃すような相手ではない。

 土と石を蹴とばす音にギリギリで反応できたのはアリアドだった。次いで足元にできた自分以外の影に気づき、ばっと勢いよく視線を上へと向けた。そこにはまさに剣を振り下ろし、迫ってくる何者かの姿。体を捻り、横へと跳躍する。ビュンッ!と風切り音が耳を掠める。一寸先を剣が通り過ぎて行った事実に、アリアドは冷や汗をかいていた。


「後方に剣士が1!分断されんぞ!」


 すぐさま近くにいたミネルヴァが支援のために神聖魔法を唱え始める。詠唱するのは防護の祝福を与えることで衝撃を吸収し、被害を軽減できる【フィールド・プロテクション】。後衛は防御能力が低いことを考えての魔法だった。

 だがそんな彼女を邪魔するように横合いから剣が振りかざされる。ギョッと目を剥いた彼女が、咄嗟にスタッフを前に出せたのは奇跡だった。甲高い金属音とともに少女と魔物の鍔迫り合いが始まった。


「こ、こっちも魔物ですぅ!」

「くっそ、耐えれるか嬢ちゃん!?」

「むむむ、無理ですぅ!」


 情けない声を上げながらも、ミネルヴァはなんとか鍔迫り合いを演じる。剣が顔に近づくたびにひぃ!と声を上げた。


 ――まずい。


 動揺は一瞬。即座に思考を切り替え、ルーファは即座に後衛への支援を優先した。


「エル!!少しだけ前線をもたせてくれ!」


 前方へと駆けていった彼女の背中に大声を張り上げる。彼女の返事は、大きな打撃音によって返された。通じているかすらも確認せずに、ルーファはミネルヴァの近くにいる魔物に疾駆し肉薄する。


「で…りゃぁ!」


 勢い任せに蹴り飛ばした。今は回復役の安全確保が最優先。ひとまず敵を引きはがせればそれでいい。少女と鍔迫り合いを演じる魔物は、横合いからの衝撃に耐えきれず、悲鳴の一つも上げずにごろごろと地面を転がった。衝撃で剣が手から弾き飛ばされる。

 ミネルヴァを庇うように魔物との間に立つ。そこでようやく彼は敵の姿をはっきりと視界に収めることができた。


 大きな頭と細長い手足。極めつけは醜悪な面とそれを隠すように羽織ったフードから彼の脳内にはある魔物が思い浮かぶ。

 一般には"ダガーフッド"と呼ばれる妖魔の蛮族だ。人間やエルフを忌み嫌い、殺すことに喜びを覚える敵対生物。だが、魔物の異様な姿に彼は即座にその可能性を否定する。


「…ゴーレム?いや…、魔法生物か…?」


 生気の全く感じられない体。それもそのはず、全身が土くれのように茶色く、本来目があると思しき部分は赤色の光を放っている。感情は全く感じられず敵意のみが彼の体を貫いていた。


「…ミニー、あの魔物に覚えはあるか?」

「い、いえ…。ですが、見た目はダガーフッドにそっくりです。アリアドさんの対峙する魔物もきっと同じでしょう」


 彼女の言葉が終わると同時に、もう一体の魔物も派手に吹き飛んでいた。ルーファの突撃を見て打撃が多少効くと見たか、アリアドが蹴り飛ばしていたのだ。


「ルーファ!お前、嬢ちゃんと意識共有くらいしとけ!迷ったオレらもわりぃが、今んとこ遊撃のお前が指揮系統の最上位にちけぇんだから!」

「ごめん!後で反省会だ!」

「とことん付き合ってやらぁ!まずは立て直すぞ!」


 応!とルーファは獲物の剣を構えなおす。起き上がる2体の"ダガーフッド"。戦は幕を上げたばかりである。



§



 エルキュールにとって不幸であったのは、今回の身軽さを必要とするギミックがとことん彼女に向いてない点だった。もとより筋力はあるものの、敏捷性に難のある彼女は、その点を騎獣によって補い、あくまで彼女自身は力を活かすことで冒険者としてのスタイルを確立しようと考えていた。短所を補い汎用性を求めるか、長所を伸ばして特化させるか。どちらを取るかは冒険者次第だ。

 彼女の選択は裏を返せば、自身の敏捷あしをすべて騎獣に依存させているということ。騎獣を取り上げられた彼女は当然、軽業も回避も並の冒険者にも劣る。


 では、そんな彼女が戦闘を不得手としているのか。

 果たしてそれは否である。


「どぉっせぃ!!」


 腹の底から響かせた咆哮と共に、彼女は右手のメイスを勢いよく振り下ろす。が、対峙する魔物には届かず、空を切る。お返しとばかりに振るわれた相手のナイフを、エルキュールは身を捩って難なく回避する。追撃に飛んできた【エネルギー・ボルト】は左手のラウンドシールドで被弾を防いだ。

 複数対一であろうと、彼女の戦闘センスの高さは揺るがない。盾を利用し、体への被弾を最小限に抑える。足が使えない彼女だからこそ、盾による防御の優位性はよく身に沁みている。


「チッ…!魔法が飛んでくるのが面倒ねぇ。まぁこのくらい何てことないけど」


 舌打ちしつつもエルキュールは相手の正体に思考を巡らせる。


(外見はゴブリンとグレムリン…。どちらも低級の蛮族。冒険者に成りたてでもそんなに苦戦はしないはずだけど…)


 目を細め、その外見の異様さを注視する。茶色い全身、感情の知れない無機質な目、そして生体特融の息遣いといった生きた気配を全く感じない。

 彼女の記憶の片隅で何かが掠める。だが、するりと手を逃れ、それはすぐに霧散してしまう。苛立たし気に再度舌打ちし、彼女は獲物のヘビーマレットを力強く握った。


「ま、なんでもいいか。全部潰せば関係ないわ!」


 余計な思考は投げ捨てる。相方のルーファは前線を持たせろと言っていたが、その必要もないだろう。彼が戻ってくるまでに全部潰してしまえばいいのだから。

 やや攻撃的な思考に陥りながらも、少女はメイスを下段に構えて眼前のゴブリンに迫る。接近する敵意にゴブリンは迎撃の意図をもって、手に持つナイフを上段から振り下ろした。


「ばぁか」


 嘲る声が口から漏れる。弧を描きながら上へと振り上げられたメイスは、容易く迎撃するナイフを弾き飛ばし、その肉体にめり込んだ。メギィッと生物から聞こえてはいけない音が鳴り響く。一瞬、妙な感覚を手に感じながらも、躊躇うことなくエルキュールはメイスを振りぬいた。破砕音と共に空中を飛ぶゴブリン。歪んだ胴体に狙いを定め、エルキュールの右手が返す刀で振り下ろされる。

 支援に放たれた【エネルギー・ボルト】もなんのその。肉体に刺さる魔力の矢も無視して、エルキュールの攻撃は容赦なくゴブリンへと放たれた。


「まずは1匹」


 大地に叩きつけられるゴブリンだったモノ。大きな打撃音と衝撃。ぐしゃりと胴体が潰れ、破片が周囲へと撒き散らされる。だがそれは赤々とした肉片ではなく、土くれのような塊とチューブや細かい何かの部品だった。


「ふーん…、ゴーレムか何かかと思ったけど、魔動機とのってとこかしら?」


 少女は納得するようにがらくたを見やり、そしてすぐに残ったグレムリンへと標的を変える。


「そういえば、グレムリンで思い出したんだけど、あいつって【エネルギー・ボルト】は確か2発が限界だったのよねぇ」


 獲物を射すくめる鋭い眼差しも、無生物たる眼前の敵には効きはしない。ソレは無生物故に恐怖を感じえない。だが、ソレは理解しているのだろうか?自身が対峙する冒険者に対し、有効打たる手段は既に失われていることに。


「果たしてあんたは、まだそれを打てるのかしらね?」


 酷薄な笑みを浮かべながらの質問にグレムリンは答えない。ただ、自身に下された使命を果たすためだけに、勝ち目のない勝負を眼前の冒険者へと挑むのだった。



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