第5節 アビス探索訓練Ⅴ
軽い雑談をしながら4人が待機室で待っていると、ブーッ!!とブザーが鳴った。何事!?とエルキュールが勢いよく席を立つが、扉の前に立つ職員が慌てていないのを見て訝しげに首を傾げた。
『到達時間、1時間29分35秒。脱落者もなし。"トライデント"、合格だ。出口から速やかに退出しろ』
次いで響いてくるややくぐもった教官の声に、先ほどのブザーが訓練終了の合図であったことを理解する。
『次、"エルちゃん頑張り隊"と"夜駆"は準備室へ入れ』
ルーファたちのチーム名が呼ばれたあたりでブハッとアリアドが噴き出す。
扉の先は下に続く螺旋階段が続いており、やや心もとない電灯が少しだけ不気味さを醸し出している。案内に従い下へと降りていく。カツンカツンと響くのは4人の足音だけ。いつまでも続く同じ景色に、エルキュールはうんざりとばかりにため息を吐いた。
「ねぇ、まだぁ?もう結構降りてない?」
「いや、まだ終わりが見えねえな。……よくもまぁ随分と地下に作ったもんだ」
先頭を歩くアリアドが感心したように呟いた。
「うげぇ…、あたしの体感だともう地下4階くらいなんだけど」
「こんなに地下深くに演習場を用意して崩落とか大丈夫なんでしょうか…。安全性に問題とか…」
「さてどうだろうね。けどこの壁見てみなよ」
ルーファは外側の壁を触り、それが石材でなく冷たい金属製であることを確かめる。こんこんと軽く叩いてみると鈍い音が彼に返ってきた。
「余程頑丈にできてるみたいだ。ここ数年で用意されたとは、とても思えないね」
「訓練場の設立にはマギテック協会も一枚噛んでる。ここ最近じゃ労働力として魔動機が絡んでるのも珍しくないからな。大方建築用の魔動機でも使ったんだろうよ」
「なるほどぉ…」
さらに4人が下っていってしばらく、ようやく準備室と思しき部屋を発見する。中からの明かりが薄暗い螺旋階段を照らしていた。
中は至って簡素なもので四方5mほどの小さな部屋。入ってきた場所とは逆の壁に大きなゲートがある。そこが演習場への入口であり、否応なく4人の間に緊張が漂う。さらに入って左方の壁に窓があり、そこに教官のドルンの姿があった。彼は4人の姿を認めると、手元の機械を手に取った。
『全員準備室に入ったな。これより"奈落の魔域"探索訓練を行う』
部屋全体に教官の声が響き渡る。
『繰り返すが貴様らが侵入するのは、かつて迷宮王国の地下において実際に発生した"奈落の魔域"の再現。難度はさほど高くないとはいえ、人々の生活圏に突如発生したものだ。その前提をよく頭の中に叩き込んでおけ』
『今から3分後に貴様らの眼前のゲートを開く。ゲートが完全に開ききった時点から訓練開始だ。制限時間は2時間、最奥の"奈落の核"に触れると訓練は終了となる。接触の判定は魔動機によって自動で行われる。接触は少なくとも10秒触れていることが条件だ』
「…ってことは番人を無視するような無茶はするなってことだね」
「だろうな。でないと意味ねぇだろうし」
"奈落の魔域"は発生から時間が経つと、異界から魔神を召喚したり、迷い込んできたモノの願望や心象風景を反映し、"奈落の核"を守護するよう仕向けることがある。それが番人と呼ばれる、"奈落の核"を守る存在だ。今回の訓練では、この番人がいる前提の"奈落の魔域"ということだと4人は理解した。
『では、諸君らの健闘を祈る』
教官のその言葉を最後に放送がぷつりと切れる。
ふぅ、とルーファは息をつき軽く体を動かした。これまで見習いとして依頼をこなしてきたと言っても、遺跡や"奈落の魔域"のような本格的なダンジョンの探索は初めてだ。おまけにここが冒険者としての分水嶺。どうも知らず知らずの内に緊張していたようである。
他の3人を見れば思い思いに準備を始めている。エルキュールはしきりに帽子の鍔を撫でているし、ミネルヴァは何度も深呼吸をして気持ちを落ち着けていた。一方でアリアドは口笛を吹きながら銃をくるくると回し、随分とリラックスしているようだった。
(道具に問題はなし…。体もその内解れてくる…ハズ、大丈夫だ)
腰に提げた剣柄に左手を添えたまま、右の手をグーパーさせる。僅かにぶれる掌を固く握りしめ、ルーファは入口に目を向けた。試験の開始はもうすぐだ。
§
ビーッ!と開始のブザーが鳴るとともに前方のゲートが重々しくその口を開き始めた。ゲートの隙間から漏れ出てくる風と砂埃に目を細める。いよいよ試験が始まる。足を踏み出そうとしてその違和感に彼は気づく。
(風……?室内で…?)
徐々にその全貌を露にしていく景色にルーファは目を見張る。こんなことがあるか、と驚嘆する。
「……これ作ったやつ馬鹿なんじゃないの?」
頬をひくつかせ、震えた声を出すのはルーファの隣に立つエルキュール。彼女の視線もまたゲートの向こう側に釘付けになっており、それはようやく絞り出した感想だった。
「こ…これが本当にあったんですかぁ…?」
若干泣き言めいた声をミネルヴァが漏らす。教官のドルンの言葉が真実であるならば、4人の眼前に広がるこの景色はかつて実在したものなのである。
断崖絶壁。それがこの地を最もよく表した言葉だろう。とても屋内の地下とは思えない広さの演習場に、荒涼として切り立った崖が続いている。高さもばらばら、谷間は暗闇に包まれて底が知れない。落ちれば登ることはほぼ不可能に近い。重装備のエルキュールはぶるりと身震いした。
室内のどこかに送風機構でもあるのだろう。強風が吹き付け、4人の髪を揺らす。だが、4人が啞然としているのはそこではない。彼らは断崖絶壁となったその大地が、飛び地のように空中にいくつも浮いている非現実的な光景に開いた口が塞がらないのである。
前例がないわけではない。ブルライト地方の南部にはサンドキアと呼ばれる空飛ぶ大地が存在する。重力を反発するマナタイト鉱石をふんだんに含んだ地盤が巨大な地盤を浮かべているのである。だがそれは何百年という長い年月をかけ、徐々に自然界にて形成された奇跡の産物だ。決してこの演習場のように数年でできたものではない。
呆けから一番に再起動したのはアリアドだった。彼はまず真っ先に周囲の確認を行うと、足裏で地面を叩き、鈍い音が返ってくるのを確認した。
「……ったく予想以上だ。こりゃ暴れても全く問題ねぇ」
「とはいえ、風で姿勢を崩す可能性は十分にありそうだね」
「島を飛び移る時にゃ注意しねぇとな…」
ルーファはざっと全体を改めて見渡す。初見の印象通り切り立った崖地が、浮島のようにいくつも浮いている異常な光景だ。光源は十分に確保されているようで全景を確認するには十分だ。だがその明かりを以てなお、底が見えない虚空には彼の肝も冷える。
よくよく見ればある程度進行方向が誘導されているようで、外周から大きく円を描くようにして、中心と思しき低地へ崖地の高さが下がっている。浮島は全部で7つ。最後の崖地は遠目から見てもかなり広く場所がとられているようだ。
「……よし、行こう。時間も無限にあるわけじゃないからね」
ルーファの声に全員頷き、隊列を組んで歩き出す。先頭をエルキュールとアリアドに任せ、ルーファとミネルヴァがその後ろに続いた。周囲と比べて比較的緩やかな崖地を登り、少し進んだところで前方の2人が立ち止まる。
「初っ端でやってくれるわね…」
エルキュールが恨めしそうに愚痴をこぼす。それもそのはず。彼女の眼前には次の浮島との前に開く大きな裂け目が広がっている。おまけに対岸の浮島はすぐ崖になっており、着地どころか捕まるのすら困難に見える。とどめとばかりに遠くの浮島から吹く強風が彼女をうんざりさせた。金属鎧を纏った彼女にとって、このステージはかなり不利といえる。
「どうしましょう…」
「各自飛ぶよりも一旦ロープか何かを渡した方がいいか…」
「オレに任せろ。パーティん中で一番身軽なのはオレだろうしな」
アリアドは強風をものともせず、ひょいと対岸に飛び移り、崖を危なげなく登っていった。上まで登り切った彼は腰に下げた道具袋からロープを取り出し、ルーファたちに投げよこした。
「さすがの身のこなしね」
「探索が得意と自負するだけのことはあるね」
ルーファはロープを引っ張り強度に問題がないことを確認すると、対岸に向かって跳躍する。吹き付ける横風にヒヤリとさせられたが、無事渡り切った。その後にミネルヴァも続く。
「ん…!ふぅ…。ちょ、ちょっと怖いですね」
「渡ったとはいえ足元には注意してね。足を滑らせる可能性もゼロじゃないから」
「はい、ルゥさん。エルちゃーん!大丈夫ー?」
崖を掴みながら心配の声をかけるミネルヴァにエルキュールは片手を上げて問題ないと応えた。呼吸を整え、いざ跳躍。まさにその瞬間、足を滑らせた彼女の体が宙へと投げ出された。あ、などと間抜けな声が聞こえたのは自身の口から。次いで勢いを増す自分の体と顔に吹き付ける強風に息を呑んだ。
「エルちゃん!?」
ミネルヴァの悲鳴が上がる。登頂したアリアドも崖下の異変を察したか、道具袋に手を伸ばしている。
「エル!ロープを放すな!」
「……!?」
鋭い声で我に返る。決して放すまいと、持ち前の握力で潰れんばかりにロープを握る。エルキュールは足裏を崖面に向け、着地のその時に備えた。
ダァン!!と鈍い衝突音。強かに打ち付けた足裏から、頭まで駆け抜けるしびれと衝撃に彼女はくぐもった呻きを漏らした。
「……あー、エル、無事かい?」
「ごれが…、無事に、見える…? …でも、ありがと。気が動転してた」
素直なお礼と裏腹に、崖下から八つ当たり気味に向けられる不機嫌な視線。ひとまず乗り切った一難に、ルーファとミネルヴァは揃ってほっと胸をなでおろした。最初の仕掛けで欠員が出るなど縁起が悪いことこのうえない。2人に引き上げられ、なんとか無事次の浮島へとたどり着くのだった。
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