第3節 アビス探索訓練Ⅲ
白馬に乗る少女は勝気な笑みを浮かべ、馬上からルーファを見下ろした。燃える炎のように赤い髪、やや吊り上がった赤眼は生来の気の強さを思わせるよう。全力疾走した興奮が残っているのか頬には赤みがさしていた。
「あんた、ルーファよね?〈鋼鉄の意志亭〉の」
再度少女は口にする。呆然としていたルーファだったが、彼女の問いかけに辛うじて首を縦に振った。すると、少女はあからさまにホッとしたように息を吐く。彼がここにいるということは、つまるところ訓練はまだ始まっていない。そういう思考ロジックに至ったようだ。
「よかったー…!間に合わなかったらどうしようって思ってたわ。まぁ、あたしにかかればこれくらい朝飯前だケド!」
そう言って、彼女は後ろに抱きつく相方を引き剥がそうと肩を揺さぶった。後ろの少女はというと、遠慮なしの全力疾走に三半規管をやられたようで、青い顔のまま、うっぷと目を回していた。
「ちょ、ちょっとミニー。あんた、あたしの服に吐かないでよね!ほら、降りれる?」
「ゔゔ…ぎもぢわるい……」
「ああ、もう…。ルーファ、悪いけどちょっと下ろすの手伝ってくれない?」
下から支えるように金髪の少女を下ろしていく。上の少女の手伝いもあってか、なんとか無事下ろすことに成功する。途中で突然少女の頬が膨らみ、臨戦態勢に入ったが、少女は乙女の意地で乗り切った。危うく虹色カーテンがかかるところである。
道脇の草原に横たわらせて様子を見る。浅い呼吸を繰り返しているものの、徐々にその感覚が長くなりつつあるのを見て、ひとまず大丈夫だとルーファは結論づけた。
「それで…?随分遅かったね、エルキュールさん。遅刻して訓練には間に合わないかと思ったよ」
赤髪の少女、エルキュールはひょい、と身軽に白馬から飛び降りて、間に合ったんだからノーカンよ、と返事をする。
次いで懐から1枚の紙切れを取り出し、白馬の
「エルでいいわ。あたしの名前、長いしね。あんたもルゥでいい?」
「かまわないよ」
「ああ、ついでに。そこで伸びてるのがミネルヴァ、通称ミニーよ」
草原に横たわるミネルヴァを指差す。当の少女はか細い声でよろしくお願いします〜…、と呟いた。
「君たち2人も訓練対象者でいいよね?会場受付はあの建物だから遅れないようにね。開始10分前ぐらいには受付を済ませておくように」
もう心配ないと判断したのだろう。職員は手短に伝えると、じゃあね、と庁舎の中へと入っていった。
ルーファがその背を見送っていると、ふと庁舎の外壁に取り付けられた大きな時計が目に入った。シンプルなデザインながらも大きなもので、その長針は既に訓練開始15分前を指していた。
「そろそろ受付をしないとまずいな。ミニーさん、立って歩ける?」
「うぅ〜…なんとか〜…」
「だらしがないわねぇ」
やれやれとばかりにエルキュールは鼻を鳴らす。ほとんど君のせいでは、と口から出そうになった言葉を、ルーファは無理やり飲み込んだ。実のところ、原因は彼女の寝坊ゆえ彼の予想は見事に的を射ているのだが…。
よろよろと歩き始めた彼女に、二人は歩みを合わせて会場へと歩き始めたのだった。
§
受付をギリギリに済ませて大広間へと辿り着く。とっくに他のチームは揃っており、開始時間間近になって入ってきたルーファたちを見て、ひそひそと話す者やあからさまに鼻で笑うものもいた。
カチンときたエルキュールが眉を跳ね上げる。食ってかかろうと口を開いたその瞬間、機先を制したのは、低く短い声だった。
「あんたら…!」
「静粛に!!」
会場に轟く鋭い声。声の主は太く引き締まった両腕を組み、仁王立ちで参加者の前に立っていた。深く皺の刻まれた眉間を更に寄せ、鉛のような重苦しい瞳から放たれる視線が順番に参加者たちを射抜いていく。
かみつこうとしたエルキュールですら主の視線に気圧され、ぐっと、口を噤まざるをえなくなった。代わりに鋭く睨みをきかせるだけにとどまる。
「……冒険者とは手を取り、協力し合うものだ。その初心を諸君らが忘れていないことを祈り、一度だけは俺も目を瞑ろう」
小動物なら視線だけで殺せるのでは、というほどの威圧感。彼は集まった参加者たちを
「
そう言われてしまっては、エルキュールも罰が悪い顔をして押し黙るしかない。ルーファたちもこくりと頷く。
「さて、ようやく話ができるな。俺の名はドルン。この訓練所を統括する長であり、今日一日貴様らの訓練の合否を判定する教導官だ。今回実施する訓練は冒険者として活動するための前提条件であり、成果次第によっては不合格もあることをよく頭に叩き込んでおけ」
ドルンの言葉にざわりと参加者たちの間でどよめきが起こる。それもそのはず、彼らはあくまでこれが見習い卒業の研修の一環として認識している。受ければそれで終わりと考えていたのだ。
マジかよ…、噓でしょ…。そんな言葉が参加者たちの中から漏れ聞こえるのに、教官は嘆かわしいとばかりにため息を吐いた。
「貴様ら、この訓練の意図を理解しているのか?そもこの訓練が始まった経緯を知っている者は?冒険者の死亡率の内、"奈落の魔域"で死ぬ者の割合は?そしてその内、大半が冒険者となって経験が浅い者であることを貴様らは知っているか?」
参加者たちの間に沈黙が広がる。
『蘇生の魔法があるじゃねぇか…』
誰かがぽつりと漏らした言葉に教官の
「ではその蘇生の魔法をかけるための体はどこにある?誰が死体を回収すると思っている。"奈落の魔域"での死は貴様らのみで完結するものではない。仮に生き返ったとして、その度に貴様らの体には穢れがたまっていく一方だ」
穢れとは魂の劣化だ。積み重なればそれが身体的特徴として現れる。初期は小さな角が生える程度だが、穢れが溜まるほど、声がしわがれ、血肉を好むようになり、やがて人ではない魔物へと変貌を遂げる。その末路が【レブナント】と呼ばれるアンデッドであり、皮膚が腐り落ちた醜悪な化け物である。
「我々は貴様ら冒険初心者の生存率を上げるためにここで訓練を行っている。訓練への参加が義務付けられているのもそのためだ。自分だけは大丈夫、などと甚だしい勘違いをしている者は即刻ここから立ち去れ。他の参加者の邪魔だ」
教官がくいっと参加者たちの後ろにある入口を指さした。
出ていく者はいない。当たり前の話であるが、これを辞退すれば冒険者としての活動は不可能だ。見返してやる、と思った者もいるのだろう。反感に満ちた目を向けられて尚、教官は全く動じない。
「死は平等に貴様らの隣にある。"奈落の魔域"は我々の常識が通用しない場所であることを忘れるな。人は貴様らの思う以上に、簡単に死ぬのだからな」
そこで彼は一旦言葉を切った。
「…さて、話を戻そう。今回の訓練は"奈落の魔域"の脅威度が3であることを想定して各チーム突入してもらう。中の仕掛けで死ぬことはないが、下手をすれば大けがを負うことは肝に銘じておけ。また、今回の訓練では同時に2か所で行う。今から呼ばれた3チームはあちらの職員についていけ。総評は俺から下すが、監督はもう一人の教導官に任せる」
教官が言及するチームにルーファたちのチームはない。というより、合同チームな上に申請もマオがやっていたので実際にはわからなかったのだが、他に3チームがぞろぞろと職員に着いていくのを見て、内心ほっと息を吐いた。
(…なぁ、僕たちのチーム名ってどうなってるんだ?)
(さぁ?〈鋼鉄の意志亭〉・〈微笑みの女神亭〉合同チームとかじゃないの?)
「残りは…"トライデント"、"
チーム名を呼ばれた瞬間、クワッとエルキュールの顔が修羅に変わるが、ぐっと声を出すのをこらえきった。合同チームの件は連絡を受けていたようで、ルーファもきちんとそちらのチームメイトとしてカウントされていた。
「む…、"夜駆"。貴様、他のチームメイトはいないのか。増員するよう連絡していたはずだが?」
「やー、すんません。ちょいと事情があって…」
教官が視線を向けた先は、やや軽薄そうな顔立ちのエルフの青年だ。
目深にかぶった黒めのテンガロンハットを上げ、青年はにへらと笑う。適当に縛ったと思しき金髪の尻尾を揺らし、彼は上着の懐をまさぐった。
「えーっと、どこだっけな…。お、あったあった。こちらウチの女傑からのお届けもんだぜ教官さん」
彼は一通の封筒を取り出すと、教官に手渡した。眉間の皺を深めつつ、その封筒を開き、中の手紙を読み始める。その視線が文面の最期まで到達すると、彼は一層深いため息を吐いた。
「まったく、あいつはいつまで経っても変わらんな。事情は把握したが、各所への連絡は済んでいるか?」
「ええ、そいつはもちろん」
ちら、と青年と教官はルーファの方を見やる。
「……いいだろう。だが、こういった連絡は可能であれば事前に行うように。ルーファ・グラハム!」
「は、はい!」
なぜ急に名前を呼ばれたのか、特に心当たりがない当のルーファは急に視線を向けられて困惑する。
「"夜駆"は貴様らのチームと合同で訓練を行う。貴様らのチームは2番目だ、よく話をしておけ」
寝耳に水である。どういうことよ!?とエルキュールとミネルヴァから非難の視線を浴びるが、彼には本当に心当たりがない。マオから話を聞いたわけでもないし、ミシェルもそんなことを言ってはいなかった。
そんな心境を知ってか知らでか、青年は気さくによぅと挨拶して合流する。
「直前で悪いな。そっちの茶色いのはオレのことを知ってるはずだが、声をかけてくれねぇなんて意地悪すぎるぜ」
少女二人の懐疑の視線が強まる。重ねて言うが、濡れ衣である。
「い、いや待て。僕は君のことは知らないぞ。というかまず君は誰だ?」
「あん?マオさんから聞いてねぇのか?ウチのギルドから通達で連絡回してたはずだが」
「……そ、そういえば私たちのギルドにルーファさんのギルドの手紙も混ざってましたよね…」
おずおず、といった様子でミネルヴァが口にすると、しばし場に沈黙が漂った。その沈黙である程度の事情は察したのだろう。青年はげんなりした表情で後頭部をガシガシと掻いた。
「んー…、マジか。先がちょっと思いやられるな…。まぁいいや、そこは一旦棚上げだ。オレはアリアド。ホントは湾岸都市ハーヴェスの冒険者見習いなんだが、訳あって〈鋼鉄の意志亭〉に移籍することになった」
青年はその端正な顔には不釣り合いな、野性的な笑みを浮かべると、右の拳をルーファの前へと突き出した。
「ルーファ、お前の相棒だ。これからヨロシク頼むぜ?」
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