第2節 アビス探索訓練Ⅱ



「……アビス探索訓練のご案内?あの、これって…?」


 不思議そうに首を傾げ、二人に尋ねるルーファ。彼の反応を不審に思ったミシェルは、話しとらんのです?と短く尋ねた。


「案内が来てから話そうと思ってたのよ。それに、ルゥの性格だと浮かれて身が入らなさそうだったから」

「なるほど」


 ミシェルは合点がいった、とポンと手を叩く。


「ルゥ、それが前に言ってた卒業試験よ。それを突破すれば、晴れて正式な冒険者ってわけ」


 マオは肘をついたまま、そう言った。

 内容こそ説明されていないが、卒業試験がある、というのは見習いとして入る時にも確かに言われていたことだった。てっきりこの冒険者ギルドで特定の依頼を達成する、というものを予想していたのだが見事に外れていた。過去に彼の師も、


『あぁ、卒業試験なんてへっちゃらよー!蛮族をちょちょいと倒すくらいだったんだから!』


と言っていた覚えがあったが、それも随分と昔の話だ。改訂か何かされたのだろう、と考える。


「その訓練もほんの数年前から行われはじめた取り組みでな。内容をかいつまんで話すと、"奈落の魔域シャロウ・アビス"を模擬的に探索するっちゅうもんなんやけど…」

「そんなこと、できるんですか!?」


 ミシェルの説明にルーファは素っ頓狂な声を上げた。それもそのはず、"奈落の魔域"は危険かつすぐに消し去るべきものだというのが全人類のおおよその共通認識だからである。

 そもそも"奈落の魔域"とは、世界各地で偶発的に発生し、現実世界を侵食する異空間の総称である。異空間の中は周囲とは、まるで無関係の環境を内包しており、その形態は"奈落の魔域"によって様々だ。過去には砂漠地帯のど真ん中に極寒の環境の"奈落の魔域"が出現したという事例もある。外部からは内部の予想が全くつかず、明確な脅威を持つダンジョンとして冒険者の手を焼かせてきた。

 "奈落の魔域"はその入口が空間の断裂のような様相をしており、"奈落の核アビス・コア"と呼ばれる核によって中の空間を維持している。発生当初こそ小規模な空間だが、時間経過とともにその領域は徐々に拡大されていく。領域が大きくなるにつれ、番人と呼ばれる強力な魔物や、魔神を召喚することもある。拡大し続けた後の影響は現状不明とされている。だが、"奈落の魔域"を生み出す元凶とされる"奈落"が、強力な魔神などを外部へと放出していたことから、悪い結果となるのは間違いない。こうした理由からも"奈落の魔域"は速やかに破壊が行われてきた。


 一方で、"奈落の魔域"は突入後の難度が、他のダンジョンに比べても高いが故に冒険初心者が多々命を落とすことがある。また、現実世界とは隔絶された空間のため、死体回収もまた難度が高く、蘇生が間に合わない場合もある。

 これらを危惧し、対策として打ち出されたのがアビス探索訓練なのである。


「実際の"奈落の魔域"を探索するわけではないんやけどね。"奈落の魔域"の固定化は重罪やし」

「王都の南東に特別訓練施設があるのよ。実際の"奈落の魔域"を再現した、ね。完璧な再現、とまではいかないけれど、"奈落の魔域"がどんなものかを肌で体感するには十分だと思うわ」


 そういうことか、とルーファは納得する。再度手元の通知に視線を落とし、文を読み進めていく。と、ぴたりとある一文に目を留める。再度頭から目を通し、同じところまで読み進め、彼は自分の認識が間違っていないことを確認した。


「あの、マスター」

「なによ?」

「これ…、参加推奨人数が3人なんですけど」

「…………」


 しばらく視線を彷徨わせて考えを巡らせた後、彼女はふい、とルーファから視線を外した。そういやそうやったっけなぁ、などと気楽な声が隣から漏れる。

 〈鋼鉄の意志亭アイアン・ウィル〉の所属冒険者で訓練該当者は今のところ、ルーファのみ。通知を手に彼は途方に暮れるのだった。



§



 日は移り、アビス探索訓練当日…。

 訓練所行きの馬車に揺られながら、ルーファは快晴の空を見上げた。雲ひとつなく散歩日和だなぁ、などと呑気に考える。草原を吹き渡る穏やかな風が、髪を撫でるのに思わず笑みが溢れた。それを人は現実逃避と言った。

 結論から言えば、ルーファが懸念していた人員に関してはなんとかなる見込みだ。


『人数足りんのやったらウチと合流する?ウチも人数足りてへんし』


 とミシェルの提案があったからだ。最悪現地でなんとかするしかなかった彼には渡りに船の提案だった。あるいはその目論見があって、ミシェルは話を持ってきたのかもしれない。〈微笑みの女神亭〉から参加する新米は2人。ルーファはその2人に合流する形で訓練に参加することになる。


『2人ともええ子やから、すぐ仲良くできるとは思うでー』


『………ま、色々と癖はあるけどなぁ』


 とは彼の言。お互いの相性はあるだろう。だが、折角の同期の冒険者だ。仲良くできればいいなとルーファは考えていた。余談だが、彼はミシェルの小さくつぶやいた二言目を聞き取ることはできていなかった。


 訓練所行きの馬車に乗っているのはルーファと他数名。いずれも冒険者らしき恰好で彼と目的を同じくする者たちだろう。ただ、その中にミシェルから聞いていた新人と思しき者たちの姿はない。訓練所行きの便は王都からの直通便しかなく、それも往復便のみだ。つまり、再び訓練所行きの便が出るのは、この馬車が訓練所から王都へ帰った後の数時間後。当然のことながら、訓練の開始時間には間に合わない。

 今ルーファが乗っている便に乗っていなければ、すでに現地入りしているか、何らかの事情で遅れていることになる。


(……前者だといいんだけど)


 ほんの少しだけ、心中の不安が鎌首をもたげる。いや、まさか。そんなはずはない。ルーファは首を振ってその不安を否定する。冒険者見習いとしての重要な転換期なのだ。数多くの一流冒険者を輩出している〈微笑みの女神亭〉の新人が、よもや遅刻などということはないだろう。

 なかば自分に言い聞かせるような形で景色を眺める。目的の訓練所はもう遠景に輪郭が見え始めていた。



§



 アビス探索訓練を目的とした訓練所はブルライト地方の各国に存在するが、"迷宮王国"グランゼールに最も近いのは王都の南東にあるグルムデン訓練所である。グランゼールで冒険者となった者なら必ず訪れる場所であり、訓練の性質上、王都からはかなり距離が開いた場所にある。また、その敷地は広大であり、王都の三分の一は下らない。

 周囲は大きく高い鉄柵で囲われており、さらにその外側は深い堀が掘られ、外部からの侵入に限界な体制を敷いている。グルムデン訓練場は王都の守りの剣の効力範囲外だからということもあり、施設が厳重に保護されていることがうかがえる。北側と南側に入口用の跳ね橋が設置されているが、降りているのは北側だけであり、南側は緊急時の避難用に設置されたものだ。グルムデン訓練場の運用が開始されてから南側の橋が下りたことは一度もない。


 ルーファ達の乗る馬車は入口で手続きを済ませると、構内に入ってすぐの場所で停止し、乗客に降車を促した。馬車の揺れの余韻を感じながら地面に降り立つと、ルーファは構内の景色に目をやった。

 庁舎と思しき建物といくつかの平屋が立ち並び、それ以外はほとんどが外の平原と変わりない。奥に鎮座する巨大な構造物を除けば、の話であるが。十中八九、あれが目的の訓練所だとルーファは確信する。さらに隣に併設されている2階建ての建築物には彼にも見覚えのあるエンブレムが掲げられていた。


(マギテック協会?なんだってこんなところに…)


 それは魔動機文明時代の遺産や知識の保存を目的として設立された組織だ。主として魔動機と呼ばれる古代の機械の収集や、魔動機術と呼ばれる特殊な魔法の保全などに力を入れる組織である。

 ルーファの知らないところではあるが、マギテック協会はこのグルムデン訓練場の建設にも大きく関わっている。"奈落の魔域"のギミックや敵性体を再現するための魔動機の開発などは、マギテック協会が主導して行われていたのである。


「やぁ、君たちが今回の訓練対象者だね?」


 さてどうしたものかと考えていると、職員と思しき格好の男性が近づいてくる。


「ひとまず正面の一番大きな建物、訓練センターに入ってくれるかな?そこで受付をして、大広間(ホール)で待っていてくれ。追って案内があるから」


 職員の誘導で参加者たちは皆訓練センターへと足を向ける。ルーファもそれにならおうとして、はたと足をとめた。


「あの…」

「ん?なんだい?」

「僕らが来る前に他の参加者は来てましたか?」


 ルーファの言葉に職員は思い出すようにしばし考え込むと、横に首を振った。


「いや、来ていないはずだよ。君たちが今日初めてのはずさ。まぁ、僕もずっとここにいたわけじゃないから、もしかしたら先に来ているかもしれないけどね」


 職員の言葉に胸中に抱く不安が膨れ上がる。嫌な予感は徐々にその輪郭を露にしつつある。


「…もしかして一緒に参加する子が来ていないのかい?」


 職員は顔色を青くし始めたルーファの様子から、おおよその事情を察したらしい。こくりと頷いた彼に、あー、と視線を逸らす。


「…まぁ、もしかしたら別の移動手段で来るのかもしれないよ?たまに自分の馬車で来たりする子もいるから」


 可能性はまだ0じゃないよ、と慎重に言葉を選ぶ。

 とはいえ、アビス探索訓練が始まるまで数十分。さほど時間に余裕があるわけでもない。最悪、訓練前にどこかに入れてもらう交渉をしなければならないのだ。

 こんなことなら顔合わせだけでも済ませておくんだった、とルーファは今更ながら後悔する。ミシェルの紹介なら大丈夫だろうと高を括っていた部分があるのは否めない。


 いよいよもって焦りの冷や汗がじっとりと背中を濡らし始めた時、わずかながら地面が揺れているのを感じた。


「ん?なにごとだ?」


 その揺れは次第に大きくなりはじめ、入口の跳ね橋の更に奥で高く土煙が上がるのが見える。

 左手をかざし、ルーファはその土煙に目を凝らす。よくよく見れば煙を上げているのは一粒の小さな黒い影であり、それは徐々に大きさを増していく。逆光で見え辛いが、うっすらと見えた輪郭はまるで人を乗せた馬のよう。それは猛スピードで訓練場へと向かっており、騎乗生物が潰れかねないのではないかと言わんばかり。


「……おいおい、まさか」


 数分もすれば遠目でもその姿をはっきり見ることができる。

 それはガタイのよい白馬であり、灰色の毛をなびかせ二人の乗客を乗せているのが分かる。一人は手綱を握り、鬼気迫る表情で白馬に鞭打っていた。軍帽のような黒い帽子を目深にかぶっており、その顔はうかがい知れない。もう一人は前に座る操縦者に必死になってつかまっており、何かを叫んでいるようだった。時々操縦者が後ろを向いて叫び返しているのを見るに言い合いをしているようだ。


『2人の特徴?そやねぇ…』


『一人はあっかい長髪と黒い軍帽、あとは分厚いゴーグルを首から提げてるんやわ』


 軍帽からちらりと見えたのは赤い髪。ロングマントに身を包み、顔をこちらに向けた瞬間に、顔の上部がきらりと光を反射した。


『もう一人は金髪眼鏡でこんな風に目が垂れててな。青いマントと長~い白マフラー巻いてるからすぐ分かるで~』


 操縦者の影から、ちらちらと見えていた青いマント。首元は白い何かで覆われているのが目に映る。


「あっはっは!いやぁ、今年の新人は面白いねぇ。うん、まぁ時間には間に合いそうでよかったじゃないか」


 横で大笑いする職員とは対照的にルーファは口元を引くつかせる。よもやあれではなかろうかという疑念はルーファの中で確信に変わる。爆走する白馬は入口の跳ね橋を瞬く間に突っ切り、そのスピードのまま訓練所へと突っ込んでいく。

 立ち尽くす彼とすれ違うその瞬間、ルーファはゴーグルの向こうにある、見えないはずの目と視線が合った気がした。土煙を上げながら訓練所へと向かっていく白馬は急に減速したかと思うと、進行方向を転換し彼のもとへと近づいてくる。


「あんたがミシェルの言ってたルーファってやつね!ようやく追いついたわ」


 馬上の彼女はゆっくりとゴーグルを外すと、頬を流れる汗もそのままに、不敵に笑いを浮かべてルーファを見下ろしたのだった。

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