第1節 アビス探索訓練Ⅰ



 "迷宮王国"グランゼールは、その始まりが"魔剣の迷宮"と呼ばれる、広大かつ複雑な迷宮を踏破するために生まれた都市国家だ。西側はきりたつ山岳部が広がっており、その山岳にぽっかりと空くように迷宮の入口はある。そのため、都市は入り口を中心として東側にむけて同心円状に広がっている。迷宮の入口に最も近い区画が中央迷宮区であり、ルーファの所属する冒険者ギルド〈鋼鉄の意志亭アイアン・ウィル〉もここにある。

 当のルーファはといえば、ギルドのカウンターに突っ伏し意気消沈していた。冒険者になるべくギルドの戸を叩き、見習いとなったのが数週間前。簡単な試験として街の依頼をこなすこと十数回。それのどれもが彼の考える冒険者像らしからぬ依頼であった。


 曰く、『いなくなった猫を探してほしい』。

 曰く、『大量の荷物を届けるのを手伝ってほしい』。

 曰く、『城壁の補修工事を手伝ってくれ』。


 まるで日雇いの労働者のようだと彼は思う。もっとも、それらも正しく冒険者の仕事であり、基本理念からは全く逸れていない。それでもと期待してしまうのは、冒険者を志す者なら誰しもが通る道。少しばかり期待しすぎたのか、と落ち込んでいたのだった。


「ルゥ、いつまで気落ちしてんのよ」


 そんな彼の頭に振ってきたのは幼い声。面を上げれば、15にも満たぬほどの少女の顔がそこにある。〈鋼鉄の意志亭アイアン・ウィル〉の主人、マオである。グラスランナーと呼ばれる種族の彼女は、成長してもその容姿がまるで幼子のような姿のままだ。

 ぱっつんと切り揃えられた金髪の前髪、赤く宝石のように輝く瞳は胡乱げなルゥの顔を反射し映し出している。短く整えられた眉を眉間に寄せ、呆れたように鼻を鳴らした。


「……だってさぁ、僕の中の冒険者像って、もっとこう…未知の地を開拓していくっていうかさ、なんというか一言でいえば冒険感がない!」

「馬鹿言いなさいな。見習いのアンタにそんな仕事くるわけないでしょうが」


 正論である。彼女はルーファの不満をばっさりと切って捨てた。身の程をわきまえなさい、とは彼女の弁。事実その通りなので反論もせず彼はため息を吐いた。

 無論、彼も頭ではわかっていることだ。冒険者とはその大半の仕事が人々の困りごとの解決であり、開拓や探索を任されるのは冒険者の中でもほんの一握り。手伝いだけでも任されないかと期待するも、全くそんなことはない。そもそも…、


「…今日もお客さん少ないね、マスター」


 振り返ってホールを見れば、空席が目立つテーブルがいくつも並ぶ。ウェイターが数人、机を拭いたりモップ掛けをしたり来るべき客に備えて仕事をこなしていた。

 〈鋼鉄の意志亭アイアン・ウィル〉は宿泊所と酒場も兼ね備えた冒険者ギルドである。このような形の冒険者ギルドは数多くあり、中でもグランゼールの中で有名なのは、駆け出しからベテランまで集う古参の〈女神の微笑み亭〉や初心者冒険者への支援が手厚い〈挑戦者の旅立ち亭〉だろう。〈鋼鉄の意志亭アイアン・ウィル〉は冒険者ギルドの中では比較的零細ギルドだ。


 がらんとした店内はそのまま店の人気を物語っていた。時間帯が昼というのも拍車をかけているのだろう。料理は別に悪くないんだけどなぁ、とルーファは考えるが、如何いかんせんここは冒険者ギルド。宿泊所も酒場も下町に行けば幾らでもある。わざわざ街の奥の中央迷宮区までやってくる客はそういない。冒険者ギルドに併設された宿泊所や酒場は、基本的に所属する冒険者用に用意されたものだ。閑古鳥が鳴く店内から見てもギルドとしての人気もお察しといったところだろう。


「……しょうがないでしょう。中央迷宮区に来るのはほとんどが迷宮攻略目的の冒険者。しかもどこかしら所属してるんだから」


 マオとてこの状況を指を咥えて見ていたわけではない。スタッフを総動員して勧誘をかけた。……が、結果はご覧の通り。他の冒険者ギルドに流れていってしまったのだ。

 挙げ句の果てには〈女神の微笑み亭〉から心配の打診が来る始末。一時はグランゼールの代表ギルドとまで呼ばれ、一世を風靡ふうびした冒険者ギルドがどうしてこんなことに…、とマオは頭を抱えずにはいられない。


「そう思うなら入門街区に移転すればいいのに」

「馬鹿!ここは代々受け継がれてきた冒険者ギルドよ?それをおいそれと手放せるもんですか!」


 何の気なしに放ったルーファの言葉に、まなじりを吊り上げてマオは批判する。こうなるとマオは長い。ホールのウェイターのチクチクした視線を背中に感じながらも、また始まった、と聞き流す。彼は更に視線を上へと上げた。


「代々、ねぇ……」


 そこに飾られているのは歴々の主人と冒険者たちの似姿。

 かつての〈鋼鉄の意志亭アイアン・ウィル〉は随分と繫栄した冒険者ギルドだったらしいとはルーファも聞いている。そも、彼がここの戸を叩いたのも、憧れの冒険者がここに所属していたことがあったと聞いたからだ。後に彼女は活動地を別に移すが、後を追う彼が同じ道を歩もうとするのは自然なことだった。


「――大体ヴォルもミューズもどこか行っちゃうし、ダンもスレイもあっさり抜けちゃうし…。みんな薄情なのよぉ!」


 がー!と冷めることのないマオの怒り。どうしたものかとルーファが思案を始めたとき、がらんがらんとギルドの扉に据えたベルが鳴る。すわこんな場所に客かと振り向けば、ルーファのよく知る人物であった。


「よぉ、ルゥ君。元気しとるー?」

「ミシェルさん!」


 すらっとした体格、胡散臭そうな顔つきに似つかわしい飄々とした態度でミシェルは片手を上げた。

 ルーファがこの街に訪れて一番に会った人物で、ギルドへの道案内や王都での過ごし方、その他生活術など何かと世話をかけてくれる他ギルドの先輩冒険者である。どうも、本人の希望で、案内したとはいえ絶賛人気低迷中の〈鋼鉄の意志亭アイアン・ウィル〉に放り込んでそのままというのは彼の良心にくるものがあったらしい。


「どうしてここに?」

「ま、色々あんねんけど…、ほれ」


 ルーファに手渡したのは一通の封筒。表に書かれた宛名は確かにルーファ・グラハム。裏には蜜蝋で封がされており、その紋に彼は見覚えがある。


「…これ、ギルド本部の印ですよね?」

「おー!よう勉強しとるなぁ!そ、君宛のやつやってんけど、どうもうちのに紛れとったみたいでな」

「フン!相変わらず杜撰な管理ね」


 いつの間に復活したのか、カウンターに肘をついたマオが口を尖らせる。


「まったく…ウチが一人しかいないからって手でも抜いたのかしら…」

「まぁそう言わんといたげてください。向こうは向こうで大変みたいですから」


 世間話に乗じはじめた二人をよそに、ルーファはナイフを取り出し、封を開けていく。中から出てきたのは、やたらと白く、随分と小綺麗な2枚の紙。1枚目に書かれた題目に、ルーファは首を傾げることとなる。


「……アビス探索訓練のご案内?」


 それは冒険者ギルド本部が直々に主導する共同訓練の案内通知だった。

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