第6話 絶滅戦争

 原住民が、次々と島から連れ去られているということを、他国に知ることとなった。結果的には、国連を通して、全世界にセンセーショナルなニュースとして知れ渡ることになるのだが、そこは、すでに、迎え入れた国家としては、彼らが平和で無事に生活していることで、連れ去ったことを、とやかくいう国はなかった。

 むしろ、他国としても、彼らのやり方が成功例として、

「いずれ自分たちもそれに乗っかっていければいい」

 と思っていたのだ。

 前述のように、国連常任国だと言っても、ほとんどの国が、自分たちに関係なければ、さほど問題にすることはないと思っている。

「君子危うき日香らず」

 という言葉、そのままである。

 したがって。

「彼らが平和に暮らしているんだったら、別にそれを問題にすることではない」

 と思っていたのだ。

 本当は、住民を取られた島の方が問題かも知れないのだが、それはあくまで、先進国のように、

「人は一人では生きられない」

 という、助け合いの精神がなければ生活していけないという、悪いい方をすれば、

「弱いがゆえに、頭がよくなくてはいけない」

 というべきか、

「頭がいいから、身体が退化してしまって、よわくなった」

 というべきなのか、まるで、

「タマゴが先かニワトリが先か」

 という理論のようではないか。

 そういう意味で、国連がこの島に対して、住民の流失を認めてしまったということで、口出しができなくなってしまったと解釈した、某国のある組織が、この島に目を付けた。

 忘れているのかも知れないが、その土地はまだ未開の土地であって、どんな資源が眠っているか分からない。島全体を買い占めるだけの金はなかったが、統治権を買うことはできた。

 この島のような国家としては、未開すぎるところに対して、国連が介入するということはリスクが大きいということで、委任統治を募ることにしていた。

 そこで立候補できるのは、国家だけとは限らない。ある団体、企業であっても、かまわない。

 そういう意味では、一個人であってもいいというくらいだった。

 さすがに小さな島とはいえ、一つの国家に匹敵するくらいの島を個人が保有するとうのは無理がある。組織や企業単位が一番だろう。

 ここで名乗りを上げてきたのは、いわゆる。

「裏組織」

 であり、一般的に名前の知られていないところであった。

 そのため、この島の統治委任県を買い取った組織があるとはニュースで知っていても、知らない組織なのだ、いちいち世間も調べたりはしない。そこまで見越した組織の考え方が、勝っていたのだ。

 統治権を手にしたということは、その国の法律は、この組織が決めることができる。政府というものがあったとしても、まったく決定権はない。国家運営の組織は島内にあっても、お飾りである。

 すべての決定権は、統治権を持った組織にあり、完全に、その島は、組織のものだったのだ。

 その組織というのは、

「クレージーカルチャー」

 という組織だった。

 つまりは、

「狂った文明」

 とでもいうべきか、彼らが狂った存在であることに違いはないのだった。

 組織というのは、文明がなければ、自分たちが文明を作るだけの小回りの利く団体でなければならないのだった。

「クレージーカルチャー」

 という組織はどこの国に所属しているのか分からない。組織名は存在し、少なくとも、統治権を国連から購入できるだけの、

「実態なるもの」

 は存在しているのだ。

 しかし、今の世界には、仮想や、架空などというものがたくさんある、何しろ、

「仮想通貨」

 などというネットを使って購入できる機能が主流になってきた。

 最近では、仮想通貨が、国家の代表流通通貨として、承認された国もあるくらいで、ただ問題として、

「仮想、架空」

 というものは、その裏返しに詐欺行為が絡んでいるということは、誰もが周知のことであった。

 そういう意味では、本当は、架空組織のような、

「クレージーカルチャー」

 のような組織は一番危ないと思わなければならないだろう。

 しかし、世界は、ある一定の標準を満たしていれば、架空の存在であっても、仮想であっても、流通を迅速にできるのだとすれば、

「それを悪とは認めない」

 という風潮にもなってきた。

 少々の犠牲は仕方がないという考えも蔓延してきて、世間では、コンプライアンスや、ハラスメントなどと言われている状況に逆行して、スピードを優先する世界もあるということである。

 国連もその考えに同調していることで、それぞれの国家も、右に倣えということで、

「国家としては、架空、仮想を承認する」

 という無法地帯へ舵を切っていった。

 そのせいもあってか、

「クレージーカルチャー」

 のような組織が、陰では発生しては、人知れず消えていっているようだ。

 つまり、裏の世界は、完全に弱肉強食の世界であり、ある意味では、

「未開の島」

 と同じく、原始的なところに立ち戻っているのかも知れない。

 世の中は、

「輪廻転生」

 という言葉があるように、生まれ変わるという発想であるが、世の中の文明としても、「どこかに限界があり、その限界に達すれば、また一周回って、原始から始まる」

 という考えがある。

 それは裏の世界では結構信じられていることであり、生まれては消えていく組織は、そのことを分かっていて、

「今の間に、頂点を極めておきたい」

 という考えから。倫理や道徳などという生ぬるい考えを払拭し、

「世界を蹂躙してやろう」

 とも考えていっるのだ。

 世紀末に世界が滅びるという、

「ノストラダムスの大予言」

 があったが裏社会では、結構信じられていた。

 それは、その限界が世紀末に訪れ、恐怖の大王が、支配する世界が訪れ、ビックバンのように崩壊した社会から、また原始の時代が始まるという発想であった。

 これは、日蓮宗の教えからかつて、帝国陸軍の石原莞爾中佐が、著した、

「世界最終戦争論」

 に結びついているのかも知れない。

「東洋と西洋の代表が、世界大戦を引き起こし、その後、荒廃した中から、勝者の国が、生き残り、そこから、恒久平和の世界を作り上げる」

 という考えであった。

 そういう意味で、世界大戦を、

「絶滅戦争だ」

 と言った人がいたが、

「それは実に的を得ていることだ」

 と言っても過言ではないだろう。

 かつての戦争は、二十世紀に入った頃から、

「絶滅戦争」

 と言われた。

 それは大量殺りく兵器が開発されたからであり、それによって、被害者が、それまではほぼ兵士に限定されていたものが、民間人を巻き込むようになった。

 第一次世界大戦では、最初は、オーストリア=ハンガリー帝国と、セルビアの戦争が、それぞれの国が結んでいる、

「軍事同盟」

 によって、オーストリア=ハンガリー帝国側には、ドイツ、オスマンの両帝国が、そして、セルビアには、ロシア、イギリス、フランスなどが付き、戦争はヨーロッパ全土に拡大した。

 というのも軍事同盟として、同盟を結んだ片方の国が、どこかと戦争を起こせば、自分たちも戦争に参加する」

 というような同盟だったので、一つの国が戦争を起こせば、同盟を結んでいる国々が、三つ四つと参戦し、一気に世界大戦に至るのも、無理もないことだった。

 当時の戦争は、基本的に大砲による飛び道具と、あとは歩兵による衝突が主だった。そのため、戦場には、攻め込まれないように、鉄条網が築かれ、大砲に備えるために、塹壕なるものが彫られて、ゆっくりと距離が縮まっていくというのが、戦争勃発当時のスタンダードなものだった。

 そのため、戦線は膠着し、塹壕の中に潜んで、両軍はなかなか動かないという事態に陥っていた。

 そのため、塹壕に潜んでいることでのストレスや、体制からの、身体が固まってしまうような病気が発生したりした。

 そのうちに、いろいろな新兵器が開発されて、戦況区は徐々に大量殺戮に向かうようになる。

 戦場において、まずは、球を防ぎながら、前に進むということで、戦車が開発された。足場の悪いところでも、進むことができるように、キャタピラのついた戦車は、素晴らしい発明だったのだろう。

 ちなみに戦車の発案者は、当時海軍大臣で、のちに首相となる、イギリスの、ウインストン=チャーチルであった。

 彼は農作物を耕すトラクター開発にヒントを得て、戦車の発想を思い浮かべたのだが、この戦車が戦争を膠着状態から変えていくことになる。

 そして、さらに恐ろしい兵器がほぼ同時くらいに、ドイツ軍が開発した。

 それは。目に見えずに、音もたてずに忍び寄ってきて。兵士を苦悶のるつぼに叩き込み、命を奪って行ったり、生き残っても、重度な後遺症に悩まされたりする。

 それが、大量殺戮を可能にした、

「毒ガス」

 というものであった。

 空気よりも重いガスは、一旦放たれると、風向きによって、地を這うように、敵に忍び寄り、気が付いた時には、地獄絵図であった。

 何しろ、見えないのだから、どうしようもない。ガスマスクでもしていないと防げないが、マスタードガスなどのような強力なものは、マスクをしていたとしても、肌から侵入する。身体全体を鎧のようなもので、空気が入ってこないような重装備でもしていないと、ほぼ全滅は必至だった。

 ただ、そんな装備は不可能であり、できたとしても、戦闘などできるはずもないだろう。毒ガスの恐ろしさはそこにあり、毒ガス合戦となるのも、必死だった。

 ただ、毒ガスは、両方が持っていれば、一方からしか使えない。なぜなら、風上から風下でなければいけないからだ。

 自軍が風下になってしまうと、毒ガスを巻いたところで、自軍が全滅してしまう。そうなると、風向きが大きな戦闘のカギを握ることになる。

 毒ガスというものが、大量殺戮兵器として戦場に登場すると、当然相手もさらに強力なものを作ってくるだろう。さらに今度は相手がそれに勝る兵器を……。

 というように、どんどんエスカレートしていくのだ。

 それこそ、

「血を吐きながら続けるマラソン」

 であり、アリジゴクのような、

「大量殺戮という負のスパイラル」

 が永遠に繰り返されるということになるのだ。

 第一次大戦は、文字通りの消耗戦争となったことで、国内において、戦争反対や政権に対してのクーデターが起こり、当時の帝国と呼ばれた体制が、ことごとく崩壊していったのだ。

「ロシア帝国、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、そしてオスマン帝国」

 などである。

 したがって、オーストリアを中心とした国々に帝国が多かったことで、ドイツやオーストリアなどが敗戦国となったのだ。

 その後の第二次大戦は、ほぼ、第一次大戦が残した、

「負の遺産」

 によって、引き起こされることになったと言っても過言ではないだろう。

「ナチスの台頭、ドイツの再軍備」

「世界恐慌」

「共産主義、ファシズム体制の勢力拡大」

 などの、第二次大戦の勃発理由が、ほぼ、その負の遺産だったと言っても過言ではない。

 帝国主義がクーデターによって、滅び、敗戦国となった国がファシズムとして再起を図り、戦争で疲弊した国家を革命というクーデターで倒したロシアの共産主義の台頭。それらは、第一次大戦の負の遺産であった。

 しかも、共産主義と、ファシズムはそれぞれ、敵対視していたにも関わらず、体制よりも何よりも国益のために、同盟を結ぶという、他の国からでは考えられないような形を示した。だから、同盟を結んだとしても、それは紙切れ同様として、アドルフ=ヒトラーのように、国益がないと見れば、掌を返して、不可侵条約を一方的に破棄し、軍事侵攻に走るという、男もいたのだ。

 そもそも、軍事同盟を結んだのは、両国の利害が一致したというだけのもので、そんなものは、時間が経って、状況が変わると、紙切れ同然となっても不思議のないものであろう。

 それがファシズムの正体であり、独裁者の化けの皮だったのだ。

 第二次大戦では、一次大戦と違って、ドイツが、ドイツ民族によるヨーロッパ支配を目論んでいた。かつての戦争に敗戦したことにより、戦争賠償を二十年分の国家予算などという法外な額を吹っかけてきたせいで巻き起こったのだから、それも当然のことだろう。

 相手を生かしておくと、どういうことになるかは、自分たちの台頭で分かり切っていることである。

 だからこそ、欧州を占領すれば、あとは、民族虐殺をさらに進めていたことだろう。

 ユダヤ人を根絶やしにした後は、ひょっとすると、ドイツ民族以外の民族は、灘谷氏にされていたか、奴隷としてこき使われていたかも知れない。

 だから、

「絶滅戦争」

 と言われるのであり、イタリアも、

「かつての古代ローマ帝国の映画を取り戻す」

 というスローガンを掲げていたし、同じ同盟国である日本も、

「欧州が行った植民地政策を打破し、アジアにおける大東亜共栄圏の確率においての、アジア各国の開放、そして、日本を中心に、満州国の建設における、五族協和、つまり、日本民族を中止に、漢民族、満州、蒙古、朝鮮のそれぞれの民族による新秩序を作ること」

 をスローガンにしていることで、最終的には、日本民族が、アジアの覇者となるという考えだったのであろう。

 それを思い知ったのは、世界恐慌によって、欧州の強大国が、ブロック経済を敷き、

「自分たちさえよければいい」

 という政策をしたことで、そこに入れなかった、滅亡も見えていた国の最低限の抵抗が火種となり、第二次世界大戦を引き起こすことになったのだ。

 一次大戦が終わって二十年もしないうちに始まったこの大戦は、その間に航空機による戦闘、海では空母による機動部隊としての航空機の活用、そして、Uボートなどの、潜水艦による奇襲攻撃などが、一次大戦の間に開発され、研究されてきたのだった。

 それによる、

「ナチスによる電光石火の作戦」

 ができあがり、世界はナチスを恐れた。

 しかし、それは、連合国などの戦勝国によって、引き起こされたと言っても過言ではない。

 第二次大戦は、

「起こるべくして起こった戦争だったのだ」

 と言えるのではないだろうか。

 こちらは、ドイツによる、航空機による無差別爆撃、そして、今度はアメリカによる、日本本土焦土作戦という、民間人だろうが関係なく、街を焼き尽くす目的で開発された、

「ナパームという名の焼夷弾」

 によって、日本本土のほとんどが焦土と化した。

 とどめが原爆であり、一発で、五万人以上が即死したという、最終兵器と言ってもいいもの。残留放射脳が、まるで毒ガスのように、見えない悪魔として身体に入り込む、

「神なき知育は、知恵ある悪魔を作ることなり」

 という言葉の通り、大量殺戮においては、開発した人間、それを使用した人間、それぞれは、いくら頭がいいと言っても、悪魔でしかないのだ。

 さらに、世界大戦が終わり、ファシズムは崩壊した。その代わり、今度は、戦勝国において、アメリカを中心とした資本主義陣営と、ソ連を中心とした共産主義を掲げる社会主義との間に、

「冷戦」

 と呼ばれるものが出てきた。

 冷戦というのは、大戦末期にアメリカが開発した、原爆という核兵器をかさに、相手に対して自分たちが有利な体制を築こうとするものであり、それぞれの陣営が、植民地から独立していく国家に対し、自分たちの影響力を示そうと、主義の押し付けを行い、宗主国の形をとるのである。

 それにより、朝鮮では、南北に分裂、ドイツでは東西に、さらに、インドシナでは、南北に分裂した。

 インドシナでは、独立しようとした現地民が、そもそもの宗主国であるフランスとの戦闘において、フランス軍を苦しめたことで、フランスは国連に問題を丸投げしてしまった。それにより、ソ連とアメリカが南北に別れたインドシナをそれぞれに支援するという態勢になったのだ。

 朝鮮では、日本の支配から解放された北部をソ連が、なんぼを連合国が占領統治するという形になり、大戦終了後には、南北で戦争がはじまり、アメリカ、ソ連が直接介入することのない、代理戦争になったのだ。

 南部はあくまでもアメリが軍が中心となった、国連における多国籍軍が、そして、北部は、ソ連の支援を受けた北朝鮮軍、さらには、中国人民解放軍が戦った戦争であった。今でも実際には休戦状態で、まだ完全に戦争は終わっていないのだ。

 インドシナでは、本格的な戦争になり、アメリカ軍は、攻め切ることができず、国内から出た反戦運動が世界に広がり、ベトナムからの撤兵を余儀なくされたことで、

「アメリカ軍の最初の敗北」

 ということになってしまった。

 世界は、それをピークに冷戦が拡大し、最終的にはソ連が崩壊するまで、その後、二十年近く、冷戦が続いたのだった。

 そんな二十世紀だったが、今度は二十一世紀に入り、テロによる新しい紛争が始まった。そのため、国家同士の見える戦争から、組織のテロ活動などによる、一種の。

「見えない敵」

 を相手にするという形になってきた。

 時代は、ステルスという、相手のレーダーをも狂わせるような戦闘も出てくるようになった。

 電子戦であったり、エレクトロニクスによる戦いであったりするのだ。

 それは、冷戦時代のように、

「先制攻撃をすることによって、相手からも報復を受けることになり、先制攻撃をした方も、された方も滅亡するという分かりやすい結末になるということで、武器は持っていても、攻撃は許されない」

 ということになるのだ。

 それはまるで、

「檻の中に二匹のサソリを入れたのと同じで、こちらは相手を殺すことはできるが、攻撃した瞬間、相手も自分を殺すことになる。つまり、触れるだけでも、ダメだということになるのだ」

 ということである。

 それが、冷戦の正体であり。核兵器というものの、恐ろしさでもあった。

「核ミサイルのボタンを押した瞬間、世界は滅亡する」

 ということを、最初、どうして誰も気づかなかったのだろうか?

 少なくとも、科学者は分かっていたはずだが、それを敢えて言わなかったのは、アメリカやソ連の政府が、政治的な優位しか見ていなかったからだろう。

 それを思うと、戦争というのがいかに、愚かなことであるかということを、人類は思い知ることができるかどうかということであった。それを知らずに、ボタンが押されていた可能性も、かなりの確率であったわけなので、冷戦の時代に、世界が滅亡しなかったというのは、ある意味、ちょっとした奇跡だったといえるのではないだろうか?

「血を吐きながら続けるマラソン」

 とは、よく言ったものである。

 元々、このセリフは、ある特撮番組から生まれた名言の一つであるが、これは、冷戦時代の、

「核開発競争」

 を皮肉ったものだと言われる。

 地球防衛軍が新型水爆八千個分の破壊力を持った、惑星破壊ミサイルを開発した。

「地球には、惑星を破壊できるほどのミサイルを持った」

 ということである。

 防衛軍では、皆が喜んでいる。

「侵略しようとしてくる相手に対して、我々は、ミサイルのボタンの上に手を置いて待っていればいい」

 というと、

「いいや、地球に徴兵気があることを知らせるんだ。そうすれば、攻めてこなくなる」

 という会話を聞きながら、正義のヒーローである、地球防衛軍に入り込んだ宇宙戦士はそれを聞いて、浮かぬ顔である

「これでいいのだろうか?」

 とである。

 そして、実際にミサイル実験が行われ、目標となった星は、一瞬にして粉砕された。成功に喜ぶスタッフは、まだまだ強力な兵器の開発は可能であるから、急いでさらなる協力兵器の開発を行うということを言い出した。

 それを聞いた宇宙戦士は、浮かぬ顔で作戦質から出ていくが、それを気にした一人の隊員が追いかける、

「どうしたんだ?」

 と聞かれた戦士は、

「地球を守るためなら、何をしてもいいんですか?」

 と聞き返す。

 それにこたえられないと、彼は、幹部に開発の中止を進言するというと、隊員はビックリして、

「何をするんだ」

 という。

 そこで少し険悪なムードになったところに、もう一人の隊員がやってきて、

「どうした?」

 と聞くと、隊員が、答えた。

 そして、ここから、問答が始まる。

「いや、何でもない。だがな、忘れるな。地球は狙われているんだ。きっと今の我々の武器では歯が立たない相手が現れる」

「その時のために、徴兵気が必要なんですね?」

「決まってるじゃないか」

「でも、相手はそれに対抗して、より強力な兵器を作りますよ」

「じゃあ、こっちもそれ以上の兵器を作ればいい」

 という会話になっている。

 そこで主事咽喉である戦士は、これ以上ないというくらいの暗い表情になって、

「それは、血を吐きながら続ける、悲しいマラソンですよ」

 というのだった。

 ラストでも、その言葉とともに、檻の中で永遠に回り続ける輪に乗って、走っているハツカネズミの姿が描かれているのだった。

 かなり大きく端折って話をしたが、これこそ、冷戦下での、

「核開発競争」

 を皮肉ったものではないか。

 核兵器を開発し、太平洋の真ん中や、どこかの砂漠で、核実験を行う。それによって、自然破壊が起こり、時として、被爆者を生む。何よりもすでに、地球規模の星をいくつも破壊できるだけの核兵器を、この両国だけでもっているのだ。

 そして、どちらかが先制攻撃でボタンを押せば、相手も、間違いなく報復団を打ってくる。

「完全な、絶滅戦争になる」

 ということだ。

 さらに特撮ドラマの中でのセリフで、

「人間というのは、そんな愚かなマラソンを続ける動物なのでしょうか?」

 というのがあるが、まさに、それが言いたかったのではないだろうか?

「戦争は何も生み出さない」

 というが、もう、今の世界は、戦争をすることすらできないという時代に入ってしまったのだ。

 それは、抑止力ということであるが、抑止力というのは、解決策ではなく、その場しのぎであることは、永遠に動き続けることだけで均衡が保てるという、

「悲しいマラソン」

 という意味で、答えを見つけることのできない、

「禅問答だ」

 と言えるのではないだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る