第3話 超原始的な世界

 かつて、奴隷を使っていた国がこの地区でもたくさんあった、東南アジアの発展途上国がたくさんある中で、インドネシアとフィリピンと、それぞれ少し先にある島国があった。国土としては、東京都よりも少し狭いくらいの島だが、昔は原住民だけがクラス。まるでブッシュマンのような島だった。

 そこでは、文明から隔絶されて、かつて、どこの世界にも存在した奴隷の、いわゆる発掘地区でもあった。

 白人どもが、定期的に奴隷狩りにやってくる。原住民は、言葉も通じず、文明というものから完全に切り離された世界に住んでいて、ただ、奴隷として生きるために生まれてきたかのような生活が、ある程度成人した人間には科せられるのであった。

 奴隷とされた民族は黒人である。ほとんどの人間が天然パーマが掛かっていて、それは男も女も同じであった。衣服も草の腰巻のようなものだけで、手には槍を持っているという、いかにも、数百年前の土人という雰囲気で、その様子から、いかにも、

「奴隷」

 という雰囲気だった。

 今でもそんな種族が存在していて、それこそ、空を旅客機が飛んでいたとして、槍で撃ち落とそうとするようなシーンが見られそうな種族であった。

 昔であれば、

「奴隷狩り」

 と言われる連中がやってきて、定期的に奴隷が買われていったのだろうが、今は人権問題から、奴隷として、本国に連れて帰るということもない。

 今の時代にはそもそも、奴隷商人などというのは存在しないのだが、まったく進化することのない未開人たちが存在していた。

 今では、近隣の島からでも、先進国に、

「留学生」

 などという名目にて、彼らは出稼ぎに行っているのだった。

 中には、不法滞在の連中などもいたりするが、安い対価での労働力ということと、本国の若者が、なかなかつきたくないような職業でも、彼らであればやるということで、貴重な人材として、国内に、彼らのような連中が蔓延るようになるのだった。

 最近は、だいぶマシになってきたが、少し前までは、

「洋式トイレの使い方も分からない」

 ということで、完全な未開人というイメージであった。

 そんな彼らを見ていると、本当に昔の映画に出てきた、

「ブッシュマン」

 を思い出す。

 こんな未開人たちを、昔の帝国主義では、国内に連れてきて、奴隷として扱っていたのだろう。

 もちろん、今では奴隷制度などはやっていないが、

「留学生制度」

 というのはいかがなものだろうか?

 東南アジア系の連中が結構先進国にきていて、働いている。いい悪いの問題もあるだろうが、国家は推奨しているようだ。

 しかし、数年前に起こった、世界的な伝染病によるパンデミックのため、水際対策ということで、入国も出国もできなくなった。

 そのせいでというか、そのおかげでというか、外人が入ってこなくなったのは、よかったのだろうか。

 日本などは、海外からの連中を、留学生としても、労働力としても、観光客としても大いに受け入れる政策だったものが、根本から変わっていったのである。

 ただ、あの連中は、国内でロクなことをしないということで、嫌いだと思っている人も多いことだろう。

「やはり、何かを買うにしても、日本人から買いたいものだ」

 と言っている人が多いと思う。

 外人どもを受け入れる体制のところも多いだろうが、基本的に外人が嫌いな人も結構いる。

 それこそ、幕末に生きていたら、間違いなく、

「攘夷運動をしていたことだろう」

 と思っているに違いない。

 尊王に関しては難しいが、攘夷は間違いないに違いない、

 そんな国よりもさらに奥まった島が、独立国を作っているなんて、誰がしるだろう。

 その国が、前章で紹介した封建的な国連委任統治国家だったのだが、その国が財政的に落ち込んだことで、島の一つを売却することに決めた。

 最初は、欧州の二、三の国と、アメリカが委任統治に名乗りを上げたのだが、実際に調査してみると、

「これほどの未開の地が、世界に存在していたとは」

 というほどのひどい国であった。

 欧州の国が最初に見切りをつけ、アメリカも議会の賛成を得られなかったということで、領有を断念したのだったが、そこで名乗りを上げたのが、欧州の中でも、それほど大きくない国だった。

 この国自体が、そもそも、大国から数十年前に独立を果たした国であって、まだ、独立後の混乱がやっと収まったくらいのところであった。

 彼らは、国連で承認を得て、補助金を国連からもらえる契約で、統治を任されることになった。

 この国は目立たなかったが、実は独立に際して、他の国から、それぞれの部門、例えば治安、行政、教育、財政などのプロフェッショナルを引き抜いてきて。彼らのおかげで、「もっとかかるのではないか」

 と言われた、国家の安定を、十年とちょっとで成し遂げたのだった。

 元々専門家の人たちというのは、過去に自国のクーデターに巻き込まれ、強制的に国家に拘束された経験のある人ばかりであった。

 彼らを引っ張ってきて、国の債権を依頼したことで、早く国家の体制が生まれることになったのだ。

 今では彼らが、初代の主要大臣として新しい国家を作っている。前の国から独立したといっても、まったく違う国を作るという目的であっただけに、前の国の影響はほとんど受けていない。

 ただ、この国の国民レベルは、致命的といってもいいほど、酷いものだった。

 前述のように、空に旅客機が飛んでいると、槍で撃ち落とそうとするくらいの国民性だ。

 下手をすると、

「部族の中には、いまだに人食いがいるかも知れない」

 と言われるほどで、旅行などはもってのほかで、この国にやってくる人間は、国連の人間か、国家に用のある人しかこない、来るはずはないのだった。

 この国の独立の際に、一番最初に整備されたのが、飛行場だった。文明という言葉とは隔絶された世界であったから、飛行場どころか、空を飛ぶということ自体、信じられないという人たちばかりだ。

 だから、他との交通は船しかない。しかも、かつての本国としか、定期便はない。だが、実際には、この国には、誰も使っていないために、今は雑草に覆われてしまっているので、誰も知らなかったようだが、巨大な森になっているところは、かつて、空港が存在したのだ。

 その空港を整備したのが、旧日本陸軍だった。

 彼らは、大東亜戦争にて、南方資源の確保のため、マレー上陸作戦を敢行したが、実にうまくいった。シンガポールの陥落、さらにインドネシアにある油田の確保、当初の目的は十分に果たせた。

 しかし、戦線が拡大してしまい、伸びきったことで、物資の輸送などがままならなくなってしまうことは分かっていた。

 それを中央に進言しても、聞き入れられるわけもなく、とにかく一つでも多くの太平洋の島を攻略するということで、やみくもに攻略したことで、この島も日本の領土となったのだ。

 この島は、インドネシアから、南部仏印までのちょうど中間点になることで、輸送基地の中継点として重要視された。

 それで、日本軍はジャングルを切り開き、そこに空港を作ったのだ。

 いずれ、米軍の抵抗に遭い、そのまま空港も接収されてしまったが、日本軍の西武はかなり優秀だったらしく、日本軍のこの島におけるインフラの整備は、そのまま米軍に接収されることになったのだ。

 そんな時代も、戦争が終盤になっていくうちに、この空港は接収したはいいが、ほとんど使われなかった。

 しかも、そのどさくさに紛れて、封建的な国が、ここを併合しようと、攻め込んできた。

 それに抵抗できるわけもなく、国土は、あっという間に占領され、ほとんど無抵抗で、植民地どころか、征服されてしまったのだ。

 この国を統治していた国連でも、近くの島が元々、封建的な国の一部だったということを知っている人は少ないのではないだろうか?

 そんな時代に遅れたような土地が、一度だけ注目を浴びたことがあった。

 あれは、大戦終了後、二十年近くが経った時のことだった。独立という表向きではなく、元々の宗主国から切り離され、見捨てられた島が、何とか体制を取り戻そうとしていた頃だった。

 国連の調査団が、現地調査に入った時、一人のボロボロになった男が、潜んでいたジャングルから飛び出してきて、国連調査団の前に立ちはだかった時だった。

 調査団員はびっくりした。

 なぜビックリしたのかというと、その兵隊は、現地民ではなかった。現地民は皆黒人で、その男は明らかに、黄色人種で、アジア系の顔だった、

 しかも、モンゴロイドであることは、国連の調査団にはすぐに分かった。

「お前は誰だ?」

 と、試しに日本語で話しかけると、男はビックリして、

「私は、横田少尉だ」

 と答えるではないか。

 そろそろ、四十代半ばくらいに見えたので、戦時中は、二十代前半、なるほど、少尉であっても不思議のない男であった。

 相手の衣服はボロボロで、減刑をとどめていないほどにひどかったが、日本軍の軍服であることは分かった。それを見た時、

「日本軍の残党が、この島に取り残されて、まだ戦争が終わったことを知らないということなのだろうか?」

 と感じたのだ。

 確かに未開の地で、島のほとんどがジャングルに囲まれているというのは分かっていたが、まさかそんなところで、二十年も前の兵隊の亡霊に遭遇しようとは思いもしなかった。

 その男は、確かに戦争が終わったということを知らずに、

「いずれ、天皇陛下が助けに来てくれる」

 と真剣に思っていたようだ。

 当然、

「日本は戦争に負けて、民主国家として生まれ変わった」

 といっても信じてもらえるわけもない。

「戦争に負けた」

 というところから、まったく信用できないと言ったところである。

「我が皇国が負けるわけはない。天皇陛下が、降伏するはずがない」

 と思い込んでいた。

 この土地には、完全な自給自足を行う原住民が、まったく文明というものから切り離されている連中を相手にして、ただ、生き延びるだけであれば、彼らほど頼りになる民族はいない。横田少尉は、そう思って、ここで生き抜くことに決めたのだ。

 そもそも、この島で大規模な戦闘があったわけではない。元々は今独立して方形的な国家になったあの島で、戦闘は行われていた、

 彼の任務は、一旦島から離れて、近くの島から食料と、兵となる人員を集めてくるのが任務だった。

 しかし、任務を仰せつかった、二日後に、米軍が上陸し、とても、減退に復帰できる状況ではなかった。現地の日本軍は、敗走を重ね、追い詰められたところでの玉砕という作戦になったのだ。

 サイパンやフィリピンの前の玉砕だった。

 この島は、そこまで日本軍に重要視されていたわけでもなかったので、実際に大本営の頭の中に。すでにこの島のことはなく、島に残った日本人は、すべて見捨てられていたのだ。

 しかも、戦陣訓においての、

「領袖の辱めを受けず」

 ということで、捕虜となることが許されない日本人は、玉砕しかなかったのだ。

 皆まさか、すでに見捨てられているとも知らずにである。

 さらに、横田少尉はそのことを知る由もなく、島に近寄ることは一切できなかった。

 玉砕の後には、その島では、元々日本軍が整備していたインフラを利用し、米軍がうまく活用していたのだ。

 そんなところに一人ノコノコ戻るわけにもいかない。

 当然玉砕したことも分かるはずもなく、横田少尉の頭の中には、

「いずれ、日本本土から増援の軍隊がやってきて、米軍を蹴散らしてくれるだろう」

 ということしかなかったのだ。

 ただ、現状の駆れば、生き抜くことが急務であり、とにかく、原住民に取り入って、彼らと助け合いながら、生き抜くしかなかった。

 それでも、これまで生きてきた中で自分の精神である、

「日本人、そして、帝国軍人である」

 という誇りだけは失わなかった。

 そんな彼を現地の人も、

「助けなければいけない」

 と思ったのか、結構彼に協力的だった。

 彼も、原住民は敵ではないのは分かっている、ただ、油断はできないということも分かっていた。

「何しろ相手は、鬼畜と言われる欧米人なのだ。どんな卑劣な手段を使ってくるか分からない」

 という気持ちがあったのだ。

 だが、生き抜くという共通の目的をもって一緒に生活していると、彼らがいい人であることは分かっている。

 そもそも、日本人というのは情に厚く、武士道を重んじる民族ではないか。相手の礼儀に対しては敏感なのは当たり前で、疑心暗鬼になっている気持ちが少しでも和らげば、原住民に対しての信頼が生まれるというのも、至極当然のことであった。

 自然と打ち解けていって、自給自足の生活をしていると、次第に自分が何を目的に生きているのか分からなくなってきた。日本人としての誇りとの間のジレンマに、だいぶ悩まされていたが、

「別にそれを捨てることもない」

 と思うようになると、身体の力が抜けてきて、

「俺は、この島の人間でもあり、帝国軍人でもあるんだ」

 と思うようになった。

 その頃には、最初の時のように、

「生き延びるのは、戦争に勝つためだ」

 という思いも薄れてきて、国連の調査団と出会うまでは、気持ちは、原住民になっていた。

 だが、他民族と出会ってしまったことで、自分が日本人であることを思い出した。急に動揺が生まれた。その気持ちは、

「止まっていた時間が動き出した」

 という気持ちだったのだ。

 その止まった時間が一体いつだったのか、

 きっとそれは、戦時中の、島に戻れず、こちらに取り残され、戦いも挑むこともできなくなった、

「何もできない帝国軍人」

 という情けなさが、自分の中の時間を止めてしまったのだろう。

 もし、あの時、島に戻っていれば、自分は生きているはずはないのだ、玉砕というのは、集団自決であって、生き残ることは、戦陣訓によって許されない。米軍の捕虜は、とにかくゼロなのだ。

 そんな彼は、二十年もの間、未開の地で生き延びてきた。正直殻には、今があれからどれだけの年月が経っているのかという意識があるのだろうか。時計もなく、

「日が昇って朝が来て、日が沈んで夜が来る。夜が来れば眠って、夜明けを迎える」

 という、そんな規則正しい毎日が繰り返され、

「お腹が減れば、食料を調達し、食べる」

 という生活を、まわりにいる原住民たちと協力して営んでいるだけなのだ。

 感覚が完全にマヒしてくる。自給自足の息いるだけの毎日を過ごしていると、それまでの帝国軍人として教育を受けてきたのが何だったのかが分からなくなってくる。

 自給自足の世界にも、神様を信仰する考えはある。

 むしろ、

「自給自足には、侵攻が不可欠なんだ」

 ということを思わせた。

 日本を、神の国だといって学校で教育を受けてきたが、神が一体何をしてくれるというのだろう?

 自給自足では、神を信仰することで、自分たちが自然の恵みを受けることで、その日を生き続けられるということでの、侵攻であり、そこには、民族の集団意識というのはまったくなかった。

 神を信仰するということは、日本民族、いや、天皇陛下のために生きるためのものだということだったはずだ。

 しかし、ここでの神は、自分のために存在している。集団意識というのはあってないようなものだ。

 それでも助け合って生きているのは、助け合うことが生きていくという目的で必要なことだという、リアリズムにのっとった考えだったからである。

 取り残されたとはいえ、生き延びられてよかったと思っていた。それはあくまでも、他民族と隔絶された世界においての自分は、

「生まれ変わったんだ」

 という意識があったからだろう。

 だが、調査団と会ってしまったことで、横田少尉は、帝国軍人の気持ちを思い出した。

 そして、彼はまず聞く。

「戦争はどうなったんだ? あの島から軍は撤退したのだろうか?」

 というのが気になるところだった。

 調査団は、当然歴史は調べてきているので、結果は知っている。しかし、二十年近くもこの島で一人、いや原住民の力を借りながら生きている彼に、

「いきなり真相を話してどうなるものでもない」

 と感じた。

 だから、まずは国連に報告した。最初はマスゴミにもオフレコであった。下手に知られたら、マスゴミによって、世間はめちゃくちゃに混乱するだろうと思ったのだ。

「まさか、旧日本軍の生き残りが存在していた」

 そんなことが世間に知れれば、右翼が騒ぎ出すのは必至だったからだ。

 せっかく、日本においても、

「もはや、戦後ではない」

 という言葉、さらには、驚異的な経済成長において、オリンピックが開催されるまでに至った日本では、これから、戦争を知らない人たちが日本を担っていく時代に、今さら、帝国軍人の亡霊が現れたことで、右翼が勢力を盛り返してくれば、アメリカを中心とした、自由主義陣営には、ただではすまないと思われるだろう。

 当時の社会情勢は、

「東西冷戦」

 と呼ばれていて、アメリカを中心とした資本主義陣営。ソ連を中心とした社会主義陣営に分かれていて、一触即発の状況だった。

 すでに朝鮮やドイツでは国家の分裂という問題が起こっていた。

 その数年後に巻き起こる、

「全面核戦争への脅威」

 となったキューバ危機、あるいは、

「アメリカを敗戦という屈辱を味会わせる」

 ということになるベトナム戦争があったことは、歴史が証明しているが、この時のことが明るみに出れば、どうなっていたか?

 ただ、実際には、他の島でも旧日本兵が出てくるということが、隠しきれない状況で起こってしまったので、結果は、同じだったのかも知れないが、それでも、当時の国連調査団と国連の判断は、かなり重要だったことに変わりはないだろう。

 横田少尉は、密かに、アメリカに移され、そこで、マインドコントロールが行われた。

 まずは、大日本帝国というものが滅亡し、日本は敗戦したことによって、今では自由主義となり、戦争放棄、主権は国民にあり、天皇制は存続しているが、天皇は、おかざりとしての、象徴になったということを教育したのだ。

 彼はそれでよかったのだが、気の毒なのは、原住民たちであった、

 自由主義の国と言っても、それは表向きだけのことであって、一企業単位では、自分たちの儲けしか考えていない。だから彼らのかつての国のように、原住民を連れ帰り、奴隷として使うという、今では人権という観点から、考えられないようなことを平気で行っていた民族である。

 そして、それが、二百年近く経った、あと二繰り返されることになった。

 国際法の目を盗んで、少しずつ、原住民を奴隷として、本国に連れてきて、奴隷として売買を行う。

 それは、アメリカですら、まだ把握もしていない国だということでできることだった。

 それは、冷戦という、

「戦闘には至らないが、いつ戦闘が起こってもおかしくない」

 という状況に、かなりストレスが溜まっているからであろうか、

 実際には、

「死の商人」

 と呼ばれる人たちがいて、彼らは大量殺りく兵器を売って、儲けている連中なので、人身売買など、悪いことだとも思っていないだろう。

「こっちの方が金になる」

 とばかりに、やつらの魔の手が忍び寄っているのだった。

 元々、やつらがこの土地に目をつけていたのだが、それは、麻薬になる植物の栽培を行っていたからだった。

 ある組織がそのことに気づき、最初は自分たちでひそかに、相手に分からないように、その方法を知ろうとして、栽培に詳しい人間を誘拐してきた。

 そこでいろいろと情報を手に入れることができたのだが、彼を元に返してしまうと、秘密が漏れてしまうということで、誘拐したまま、その人間を、自分たちに扱いやすいように洗脳したのだった。

 しかし、そのうちに、一人が行方不明であるということを、元々の宗主国の連中に気づかれてしまったのだ。

 本当は抹殺できればいいのだろうが、この男がまだ何か知っているようで、このまま抹殺はできないということで、組織の特務機関員として、彼には働いてもらうことにした。

 彼は、実際に洗脳してしまうと、実は頭のいい人間で、環境が原始的なために、その能力が発揮できないでいたのだ。

 行方不明になった人間が、まさか特務機関員になっているなど想像もしていなかった宗主国側は、彼らの一人や二人がいなくなったとしても、誰も騒ぐこともないほど、原始的な連中であると思うことで、

「ここまで原始的な連中であれば、人身売買をしても、誰にも気づかれないのではないか?」

 と考えた。

 もちろん、人身売買など、今は国際法上では厳しく禁止されているので、どこもやっていないし、そんな発想すら生まれてくるはずもない。

 それでも、人身売買の禁止法というのは、相当昔から制定されていたが、実際には、ここ数十年くらい前までは、裏で実際に行われていた。

 今でも、麻薬付けにして、女を稼がせるだけ稼がせて、それができなくなると、香港やマカオに売り飛ばすなどということを聞いたりする。

 どこまで本当なのか分からないが、実際には、今の時代では不可能に近いのではないだろうか。

 ただ、原始的な島の連中であれば、戸籍など最初からあるわけでもなく、家族の誰かがいなくなったとしても、それを訴え出るところもない。

 訴えたとしても、誰も探してなどくれるわけもない。捜索願のようなものが受理されるだけで、警察組織は動いてはくれない。

 そんなのは、どこの国でも同じではないだろうか。

「人が一人行方不明になって、捜索願を出しても、まともに捜索なんかしてくれない」

 というのが、一般の国の警察組織ではないか。

 本当に人探しをするのであれば、民間の探偵事務所などで探偵に頼むなどしないと、警察は動いてはくれない。

 まず、何か問題が起きなければ、警察組織は動いてはくれない。優先順位があり、一番の最優先は、

「事件性があるかどうか?」

 ということであろう。

 誘拐であったり、殺害されている可能性が高い、あるいは、自殺しかねないなどの問題が起こりそうであれば、警察としても、

「犯罪を見逃してしまったのは、警察の落ち度」

 ということになるので、一番の優先となる。

 何と言っても、命に係わることであれば、さすがに警察でも動くのだ、

 だから、

「警察というところは、事件が起こらないと動いてくれない」

 となるのだ。

「事件が起こってからでは遅い」

 と、いくら言っても、警察は動かない。

 警察機構というところは、ガチガチの公務員だということだ。

「自分たちの肉親が犯罪に巻き込まれても、そんなのんきなことが言っていられるのか?」

 といっても、きっと、同じであろう。

 警察は、組織でしか動けない、

「血も涙もない集団」

 なのだ。

 逆にいえば、個人では動くことができない。いや動かすことができない。要するに公共のものだということだ。

 そのために、私立探偵なるものがあるのだろうが、あくまでも、私立探偵には警察権というものがない。

 犯罪者を見つけても、逮捕、拘留もできないのだ。

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