第31話 赤月聖来

 いつもの昇降口で待っていたのは、翠ではなかった。


「よ、保持涼真君」


 白いマスクの彼女だ。涼真のフルネームを知っているということは彼女の人違いではないということだ。しかもこの馴れ馴れしい話し方は明らかに知り合いに対してのそれだ。


 しかし涼真は彼女のことを憶えていない。


 マスクを外してくれればわかるのだろうか。


 いや、そもそも彼女の名前がわからないのだ。名前を聞けば思い出すかもしれない。だけど明らかに知り合いの人物に対し、名前を尋ねるのは失礼ではないか。


 彼女の日に透かすと栗色に見える髪を見つめ、こわばったままなにも出来ずに涼真は立ち尽くしていた。


 そんな様子を見て、目の前の彼女はくつくつと笑う。その笑い方は涼真の狼狽を楽しんでいるようだった。


 よくよく考えたら、以前に出会った際に「誰?」と言ってしまっているのだ。今さら名前を聞くぐらいなんてことないはずだ。


「ごめん、君のこと憶えてなくて。名前教えてくれたら思い出すかも」


「赤月聖来だよ」


「…………」


 あかつきせいら。聞いたことあるような、ないような。


 駄目だ。思い出せない。まず同級生なのか、下級生なのか、上級生なのかもわからない。上級生ならため口で話してしまった。


「転校生だよ」


「転校生?」


 涼真は転校の経験はとにかくたくさんある。もし彼女が、この学校に来る前の知り合いだったとしたら、さらに記憶を遡らなければいけない。だけど今までの学校で友達と呼べるような人物はいなかったはずだ。


 彼女は誰だ。


「あの、マスク外してもらってもいい?」


「ええー、名前じゃ思い出してくれないの」


「ご、ごめん。俺あんまり記憶力よくないから。顔見たらたぶん思い出すはずだから」


「そんなに私の顔みたいの?」


「え、うん」


「でも恥ずかしいからさあ、他の人に見られないようにもっと顔近づけてよ」


「近づける⁉ なんで」


「だから他の人に見られないためだって」


「なっ」


 これはからかわれていると涼真は確信した。翠もよく涼真をからかってくる。それは親しさ故の行為だとわかるし、別に常にからかってくるわけじゃなくて会話の延長線上であることが多い。だが目の前の彼女は明らかにからかうことを目的にして、しかもそれを楽しんでいる。まあ翠も楽しんではいるが、無邪気さを感じる翠とは違って目の前の聖来と名乗る彼女は底意地の悪い悪戯心を感じられる。


「ほら。みて」


 気がつけば、聖来の顔はすぐそこにある。近すぎて顔なんてちゃんと見れないぐらいの距離だ。


 聖来がマスクに手をかけてそれを下げようとする直前、彼女はまたくつくつと笑い出す。


「いいね。その反応。私さ、人の困ってる顔を見るのが好きなんだよね」


 この感覚、なんだか覚えがあるような気がする。


 聖来は距離を離し、そのままマスクを下げる。整った顔立ちをした美人だ。唇の下にあるほくろは艶ぼくろという名前だったか。翠の鋭さを纏ったような雰囲気とは違い、どこか柔らかくも色気を感じさせるような容貌だ。


 なんだ。


 憶えている気がする。


 あともう少しな気がする。


 聖来はすぐにマスクを着け直した。


「じゃね」


 聖来は軽く手を振ってその場を去った。彼女の行く先は明らかに部活ではない。帰宅に向かっている。つまりは彼女も部活に所属していないこの学校のイレギュラーだ。


 涼真の肩がちょんちょんと突かれる。


 振り向くと、翠がいた。じっとりとした目つきでこちらを見ている。


「……ちゅーしてた?」


「してないけど⁉」


 その後、翠から彼女のことを尋ねられたが涼真もわからないのだから答えようがなかった。それが翠の疑念をさらに強くしていった。


 もしかしたら、これから涼真をからかう人物が二人に増えるということなのだろうか。


 なんだか先行きが不安になってきた。

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