第16話 機嫌わるわる翠ちゃん

「くそー」


 隣で歩く翠は、いつも鋭い目つきをさらに険しくさせていた。手を見てみれば、拳を強く握りしめている。その拳の中にはきっと怒りが込められているに違いない。今日はずいぶんと機嫌が悪いみたいだ。


 翠はたまにこういった日がある。あらぬ噂を色々と立てられている彼女だからこそ、心無い言動を向けられることがたまにあるらしく、彼女はそれに反論するわけでもなく自分の内に溜め込むからこそ鬱憤が募って機嫌が悪くなる。


「くちょー」


 そ、が上手く言えないぐらいに鬱憤が溜まっているみたいだ。


「なにかあったの?」


 最初の頃は、機嫌の悪い時は触らぬ神に祟りなしといった風にあまり声をかけていなかったが、別に涼真に向かって怒りが向けられているわけではないからこそ彼女の溜まっているものを吐き出すために積極的に話しかけるようにしている。


 翠がこちらを向く。


 まるで睨んでいるようだ。この視線を向けられたら他の人は怯んでなにも言えなくなるに違いない。


「実はね」


 彼女が言うには、今日は職場体験があった。もちろん涼真もあった。美容室でマネキンの髪の毛を芸術的に変えてきたのだが今はそれは置いておこう。


 とにかく翠の職場体験先は保育園だった。そこで園児にみんながお姉ちゃんやお兄ちゃんと呼ばれて楽しく遊んでいたのに対して、翠の元には園児は近寄ってこなかった。


「くっ、羨ましかった」


 たぶん遠巻きに、羨望の視線を投げかける翠の姿は園児だけでなく同級生や保育園の先生も近寄りがたかったのだろうなと想像がついた。


 その後の翠は特に喋ることなく、なぜか左右に揺れながら歩いていた。たまにぶつかってくるが涼真は特に抵抗しなかった。


 職場体験は三日間ある。たぶん明日もこんな感じかな、と思い、なにか甘いものでも買っておいて機嫌を少しでも良くしようかと一考する。


「ん?」


 涼真は気づく。視線の先に、一人の女の子がいる。年はまだ小学校に上がっていないぐらいだろうか。女の子は辺りをキョロキョロと窺って落ち着きのない様子だった。


 なにかを探している?


 そんな風に見えた。


「なにみてんだよお」


 隣の翠が、涼真の体を掴んで揺らしてくる。揺れながら涼真は指をさす。


「あれあれ」


「んー?」 


 翠が目を凝らし、女の子に気づく。


「困ってるみたいだね」


「そうだね」


「でも私が行ったらどうせ怖がらせちゃうしなあ」


「……かもね」


 本当ならそんなことないよと言ってあげるべきなのかもしれないが、今日の職場体験での出来事を聞いたらそれはただの気休めだ。


「いや待って」


「別にどこにも行かないけど」


「思いついた。今から涼真くんはロボットになってね」


 有機物から無機物になれと。


「なれるかな、俺なんかが」


「なれるよ」


 そう言って翠は涼真の背後に移動する。


「今から私の言う通りに動いてね」


 ああ、そういうことか。


 涼真は状況を理解し、前に進んでと言われてそのまま前進する。そして女の子の目の前に来る。


「やあ、どうしたんだい。お兄ちゃんに相談してごらん」


 もちろん涼真が言っているのではなく、背後の翠が言っている。涼真は適当に口をパクパクさせている。


 明らかに異様だと感じ取ったのだろう。


 女の子はひいと恐怖を感じて風のように走り去っていった。ママーという大声も出していた。


 涼真は普通に傷ついた。


「どっちが行っても結果は一緒だったか」


 翠がうんうんと頷いている。まるで他人事のようだ。それもそうだ。彼女が受けるはずだった精神的なダメージは、このロボットが代わりに受けたのだから。


「そういえばあの子、職場体験の時にいたような……」


「……なにか探してたね」


 辺りをぐるっと見回す。側溝のところにピンク色のペンダントがあった。子供向けのおもちゃだろう。プラスチックでできていて色んな柄がペイントされている。女の子はきっとこれを探していたに違いない。


「これ、明日女の子に渡して見たら?」


 涼真の提案に翠はあまり乗り気ではなかった。


「でも、逃げられちゃうんじゃ」


「話すきっかけぐらいに考えたらいいんじゃない? どうせこのままだと話せないままだし」


 翠は迷っているようだったが、しかし涼真の手からペンダントを受け取った。


「そうだね。ただのきっかけだよね。これで話せなくても、ペンダントは返せるし」


「そうそう」


「…………よし」


 翠が拳を強くぎゅっと握った。


 涼真はその様子を見て、少しだけ笑った。


 明日の帰りは、翠の機嫌が良くなってたらいいな。

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