第52話

 樋口さんは一通り自身の恋愛について話してくれた。恋愛って本当に疲れるなと感じる。だから、子どもには無理なのだ。大人にしか分からない甘く切ないもの。よく言ったものだ。正攻法なんて何処にもない。誰もがまるで幼児のように何処かぎこちなく、それでも何とかして乗り越えるかくぐり抜けるか脇道にそれるかしていかなければならないものなのか。私自身も藤井さんの件を未だに引きずっているのだが、最後に会ってから1年以上は過ぎてもまだ未練が残るというか、顔から火が出るくらいの恥ずかしさがこみ上げてくる。気持ちを見透かされているんじゃないか、そんなことを思うと自分の存在がかっこ悪くて何処か穴の中に隠れたい。血の気が引く。


 何をしたということもないのだが、ヘトヘトになってしまった。きっと樋口さんはもっとヘトヘトになったに違いない。精神を患う人がよく風呂に入るのもしんどくなると言うのも分かる気がする。(という私も精神病の診断を受けているので他人事ではない。)脳みそは、動きこそないがエネルギーをもの凄く消費するものなのだろう。まるで、バイクのアクセルを空ぶかしして消費しているようなものなのだ。


 しかも、考えすぎて行き着くところは決まって、絶望的観測なのだから堪ったものではない。これなら考えない方がマシである。考えることで悩みから抜け出せる解決策を見出すのが、裏腹に逆の効果をいつも発揮してしまう。


 「考える」という行為自体行き着くところは必ず絶望ということに遅ればせながら気付いたのだ。私に限らずどうやら人間はそのような構造になっているらしい。


 樋口さんの話を聞き私自身の気持ちと照らし合わせながら何となく時が過ぎると気持ちも何だか軽くなった。やはり、友人は必要なのだ。こんな意味でも・・・。自分以外の存在の何でも考えを取り入れることで、頭の中のよどみが消える。恐らくどんなに頭のいい人でも一人だけなら良い方向には進まないとさえ思う。でも、芸術などものによっては一人で悶々と考えていく内にひらめいていくものもあるかもしれないのではあるが・・・。

 そんなことを考えていたら、何だかお腹がすいてきた。

 いつか私は友達がいなくても、気持ちが潤滑する方法を考えていくことにしよう。それができれば、今の悲しい状況を抜け出せるのではないか。

 昼食が運ばれてきた。いつもながら質素だが、代わり映えのしないハンバーグ定食だ。


 「さあ、退院に向けて頑張るぞ!腹が減っては戦はできんからな。」

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