第49話
考えてもどうにもならないのは百も承知なのに。別に好んで呼び寄せている訳でもないのに、時間を費やしてしまう。とりとめもなく湧いてくるものが、まるで汚染水のようできりがない。
「里莉ちゃん。」
ギクッとした。
「そんなところで、何してるんだい?」
後ろを振り返ると、樋口さんが私の怪しい行動を見かねてか、声をかけてくれた。原田さんが退院して以来、話すことが一層多くなったのだ。樋口さんも原田さんに勝るとも劣らず美人で、性格も穏やかとくるのでまさに女の手本のような人だ。ただやはりこんな病院にいるということもあり、何処か表情に陰りを感じる。視線が定まらず常に何処か彷徨っているあの雰囲気は、そこがまた堪らなく心奪われる男性が現れても不思議ではない。きっとこれまで散々に傷付いたからこの病院に来ているのだろう。だからこそ優しさが満ちあふれているのだ。これから彼女と出会う男性は誠実であって欲しい。
精神病院に来ているということは偽りの無い優しさをもっていることの動かぬ証拠なのではないか。
暫く、お互い沈黙した後・・・
「あれ、里莉ちゃんスカートに雪のようなものが付いてるよ。」
先に切り出してくれたのは樋口さんだ。
「可愛い里莉ちゃんが残念なことになっちゃってるよ~。」
笑顔が浮かんだような気がした。無理して茶目っ気まで見せながら。確かにネイビーのタイトスカートに雪のように白い粉がパラパラと舞い落ちている。
「雪とはかなり違うんだけどね。」
そこで、自分がさっきまでしていた薬をニッパーで割りながら、主治医に内緒で薬を減らしている話をしたら何だか侘しくなってきた。いつか、薬が完全に抜けたら、この酷い真相を世の中にぶちまけてやる。
そんな話を樋口さんにすると
「えらい、里莉ちゃん。実は多くの人が同じ事を思っていると思うよ。でも、こんな病気になったら世間体を気にして、みんな黙りこくっちゃうんだよ。家族からも疎んじられて、距離を置かれてしまうことも珍しくないんだよ。特に結婚を控えた家族が居る家庭なんか。精神病の遺伝子を親族に加えたくないなんて、根拠の無い偏見があるみたいだからね。でも精神病って誰でもなる可能性はあるんだな。」
少し疲れたような窓辺にもたれて、今し方、降り出した雪をぼんやり見つめていた樋口さんは私の方を少し羨ましそうに見たような感じがした。しかし、そこは美人だ。一瞬そんな隙を見せたような気がしたけれど、また凜とした表情に戻る。そんな風にしなければならないという何か目に見えない威圧があるのだろうか。
ふと不思議に思うところがある。
「あのう。樋口さん・・・」
「どうしたの?」
「樋口さんみたいな美人だったら、男はホイホイ付いてくるし、周りもチヤホヤしそうだから、悩みなんてできないような気がするんですけど、どうしてこんな病院に来るほど気持ちが病んでしまったんですか?」
「聞きにくいことなのは百も承知なんですけど、何だか気になって・・・」
灰色の空から、雪が次々と舞い降りる。
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