第4話

 シャウラが連れ出したのは、城の北にある騎士団の兵舎だった。天気は快晴。星の国は比較的四季のはっきりした地方にあり、五月の爽やかな風が吹いている。


「兵舎ですか。平民も居るんです?」

「今から向かう場所には貴族――すなわち騎士しか居らんな。お前は特別に客扱いとしているが、本来城内に立ち入れるのは貴族のみだ。門外に大きな、一般兵向けの訓練所があってな。平民の兵士はだいたいそちらに居て、普段は城下の見回りなんかをやっている」

「ではいつか訓練所にも行きたいものですな。して兵の数は」

「城の兵は総数三百。一般兵でも功績を立てれば、騎士になる可能性もある。貴族の子息しそくや功績を立てて下級貴族になった騎士が五十。残りが一般の志願兵。これとは他に、宮廷魔術師きゅうていまじゅつし──二十名ほどだが、俺が動かせる魔法部隊がある」

(ふむ)


 悪くはないか、とアレスは思う。貴族の持っている兵も加えればもう少し多いだろうという憶測を立てることもできたし、魔法が絡む戦闘は散開戦になることが多い。人数よりも魔法使いの多さ、連携、そして戦略や地脈がものを言う。

 あとはシャウラが王位に立った時無事に引き継ぎさえ出来れば良いのだが。——そもそも王になれるのか。


 アレスがぼんやり考えていると、前を歩いていたシャウラが薄ら笑いながら言う。

「まぁ、魔法部隊以外は神殿の息がかかっているようなもの。俺が即位したとて、どれだけ動かせるものやらな」

「前言撤回です。うざいなーそれ」


 城の兵舎にシャウラとアレスが足を踏み入れた瞬間に一瞬、剣戟けんげきの音が止んだ。またすぐに音は戻るが、その合間にはやはり困惑が見える。


「うわっ、……あの天使、例の?」

「シャウラ様の犬だと言うぞ、王子の稽古にも付き合う気か?」

 という囁き声すらも聞こえる始末。


 というので、アレスがふと思いつき、これみよがしに

「殿下よ。訓練に集中しておらぬ者が居るようですな。ここはひとつ、直々にみなを引き締めてやる必要がおありでは」

 と言えば、慌ててみな剣に向き合うのだから面白い。


「アレス。俺はお前に嫌味を言わせるために連れてきたのではないんだぞ」

「失敬。しかし、これで誰も動じぬようなら、シャウラ殿下の名折れとも言えます。よかったですね、皆忠実な騎士ですよ」

 と、二人が話しているところ、一人の男が現れた。


「何か、御用でしょうか」

 枯れ草色のやや長い髪を後ろで結っている、平凡な顔立ちの青年だ。歳の頃は二十と少しか。灰色の鎧に青いマントをまとい、胸元には星の前に剣が交わる紋章が飾られる。この形式の鎧は星の国の兵士、その中でも比較的身分の高いものに与えられるものだと、アレスはシャウラに詰め込まれた知識を思い出していた。


「こちらエド・カインツ。騎士団の副団長だ」

「はじめまして、アレスと申します。どうぞ、お見知り置きを」

 シャウラの紹介に、アレスはとっさに笑顔を繕った。が、また覚えるべき人名を増やしやがったと内心でシャウラに毒づいていた。

「アア、いや、貴殿が、そうか。アレス殿といったな、ウン、よく来た」

 エドはといえば、そんな煮えきらぬ返事とともに視線をさ迷わせ頭をかく。


 エド自身はそこまで星占いを深く信じているわけではないが、自身の領地を王家の慈悲によって救われた過去があり、以来王家に深い忠誠心を抱いている。そして、エドの聞いたアレスの噂と言えばひどいものだった。


 いわく「無知で幼い王子を脅し実権を握ろうとしている天の国の使い」だの「敵の落ち武者が転生し、堕天使となってやって来た」だの、果てには「貴族の魂をむさぼるべく夜な夜な人物画を調べている亡霊」といったものまで。


 そういうわけでこのエド、すっかりこうした恐ろしい噂を鵜呑みにしており、


(シャウラ殿下に近寄る羽虫めが。その本性、この俺が暴いてやる!!)

 と、内心たぎる炎を燃やしていた。


「して、シャウラ殿下。本日は如何なされたか」

「うん、実はな。このアレスを、正式に騎士団に加えてほしいのだ」

 一方でシャウラと言えば表向き無邪気なものだ。己の一言でエドの額に青筋が浮いたことにも気づかぬ風情で、

「アレスの魔法は素晴らしいのだぞ。下級の呪文でマッドウルフの群れを殲滅せんめつできる魔法使いなど、この城、いや国を見渡しても二人と居るかどうか。加えて剣の腕もあるという。どうだ、野放しにしておくのはもったいなかろ?」

 と畳み掛ける。


 さすがに不穏な気配を察してか、周囲の兵士の動きが止まり、だれもが固唾かたずを飲んでやり取りを見守る。時が止まったかのような数拍の静寂のなか、風がびゅうとひときわ強く吹いた。


「……アレス殿。手合わせを、願いたい」


 エドはそう絞り出した。


「はぁ、私は構いませぬが、あいにく星の国流の手合わせの流儀にはとんと疎いものでして」

「単純なルールにしましょう。同じ長さの木剣を持ち、どちらかに当てたら勝ち、と。アレス殿は魔法の心得があるのでしたな、魔法も可と」

「おや」

 アレスは露骨に眉を持ち上げた。

「よいのですか。すぐに終わる試合では、シャウラ殿下はご退屈でしょう」

(こいつ……)

 舐めてやがるな、とエドは感じたが、シャウラの御前、口に出すのは控えて、

「負けませぬよ」

と頷くにとどめた。


 シャウラは騎士の数名に手をひかれ、二人と距離を置かされる。

「おいエド。余はアレスを騎士団に入れろと言った。何故こうなる」

「入団試験とでも言いましょうか。お言葉ですが、殿下はともかく、我々はこの者の実力を知りませぬ。弱き者を、我らの騎士団に迎え入れる訳にはいきませぬな」

「おい──むぐ」

 度が過ぎる、と言おうとしたシャウラの口をアレスが手で塞いだ。そのまま「引いていろ」と、不遜ふそんにも手で指示する。となればシャウラも下がる他ない。


「審判は殿下が?」

「そうしましょうか。アレス殿、公平な試合に致しましょう」

「ほう」

 そして、下級騎士の手で運ばれてきた粗末な木剣を手に、アレスは小首を傾げる。

「それは、なんですか。星の神とやらに誓って?」

「いいや」

 エドが左の拳を己の胸に当てた。騎士の最敬礼だった。

「シャウラ殿下に誓って」


「……よかろう」

 じたじたと文句を言いかけていたシャウラもこの言葉に意を決して頷き、距離を置く。

 両者、向かい合う。


「試合、開始っ!!」


 シャウラの声が訓練場に響くと同時、騎士たちがあっと声をあげる間もなく、先に仕掛けたのはアレスだった。

「【ファイアボール】」

 アレスの手から連続して生み出された四つの火の玉がエドに向かい轟速で飛んでいく。

「舐めるなッッ!!」

 しかし、エドは直撃する直前に飛びのくのではなくむしろアレスに向かい突っ込んだ。


「ほう」

 剣がぶつかり合う。

「……ッ、なかなか、どうりで!やりおりますな!アレス殿!」

「どうも。【フレイムピラー】」

 アレスはさっと剣先をいなすと、すかさず次の魔法を撃つ。エドはとっさに飛び退いて避けたが、訓練場の地面の土はえぐれ、煙を立てていた。騎士たちの間で短い悲鳴が上がる。ばかりか、エドの鎧もうっすらと黒い煙を上げている。


「しゃ、シャウラ殿下!お、お言葉ながら!危険では!?」

 勇敢な騎士のひとりが声を上げたが、シャウラは用意された席に座ったまま、顰め面を崩さない。

「だそうだが。エド、続ける気はあるか?」

「はい!まだまだ!!」

「よい。では続けよ」

「はっ!!」


 エドが再び踏み込む。アレスは詠唱すら放棄し、指先一つで火魔法を放つ。エドは避けもせず、ひたすら避け、距離を詰める。

「馬鹿の一つ覚えですか?」

「いいや!?」

アレスが攻撃の手をわずかに緩め、火魔法の速度が下がった。その一瞬を見て、エドは両腕を突き出し、短い詠唱を行う。

「【ウォータ】!!」


 ──轟音が響いた。

 アレスの火魔法にエドの放った下級の水魔法がぶつかり、あたりに水蒸気がたちこめる。


「ど、どうなった……!?」

「エド副団長は無事か!?」


 徐々にもやが晴れていく。立っていたのは──エドだ。


「アレス!勝負は!?」

 訓練所の土の上に座り込んだアレスは、困ったような顔で己の翼についた一点の染みを指さした。

「エド殿の勝ちです。ご覧ください、剣先がしかと私の翼に触れております」

「まことのようだな。ではこの勝負、勝者エドとする!!」


 シャウラの宣言に、訓練所が湧いた。数名の騎士がエドの下へ駆け寄ってくる。困り笑顔でそれに応じるエドの耳元に、アレスはそっと顔を寄せた。


「翼は天使の急所のひとつです。翼を失えば魔力回路が乱れ、まともに魔法が使えなくなる。覚えておいて損は無い」

「……は?」

「本当ですよ、エド殿」


 アレスの囁きはエドにしか聞こえなかっただろう。呆然とするエドをよそに、なにやら晴がましい面持ちで、無傷の敗者は己の主の元へと悠々と歩いていく。


「いやあ、負けてしまいました! 私ってば頑張ったんですけどね~」

「何をやっているアレス、油断したのか」

「いいえ? さすが殿下の騎士。やり手のようです」

「ひとまずお前の入団の話はナシだな。帰るぞ」

「はあい」


 こうして嵐のように主従は去り、あとには勝者であるエドが残される。部下に囲まれて手を振りながら、彼は思う。


(クソ)

(アイツ、アイツ!!手を抜きやがった、挙句、最後に俺に弱点まで教えやがった!!)


 歯ぎしりをしても、この場に彼はもう居ない。

 翼を背負った背は、振り返りすらしない。


 (まるで、話にならないと言うようだ、上に来い、いや、まさか、もう一度立ち向かってこいと……!!)

 (あれが、天の使い?亡霊? そんな可愛らしいものじゃないだろう!!)

 (あれは、あんなものはただの狂戦士だ……!!)


さて、訓練場から十分に距離を置いたとき、シャウラは振り返り問うた。

「アレス」

「はい」

「わざと負けたな」

「勝とうと思えば消し炭ですよ。殿下はそれをお望みにはなりませんでしょう?」

シャウラの呆れたような言葉に、アレスは悪びれもせずにこりと微笑む。

「……意外と空気が読めるな。と、いうことにしておこう」

「恐縮です」

 そして、アレスはというと、再びシャウラの数歩後ろを歩きながら、胸をなでおろしていた。


(ああ、良かった。騎士と言えば、あれであろう。日々、哨戒しょうかい業務だ慈善活動だ、つまり、そういったことをさせられるのであろう)

(危ない危ない。私はそのようなつまらぬ仕事、一日どころか一刻でさえ嫌だというのに)


 アレスは窓の外を仰ぎ見る。初夏の風は心地よい。常春の国である天界には、ない季節であった。

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