第17話

 翌日、二人は山道を通って隣の町へ向かった。

 途中、野生の動物や野鳥を眺めたり、景色を楽しんだり、湧き水を汲んだりして、自然を満喫しながら進んだ。アーセタは楽しかったし青年も笑ってくれた。

幸せとはこんなささやかなものを言うのだろうと、青年と一緒にいて感じていた。

 隣町はアーセタが住んでいた町より三倍は大きな町だったが、救世主の噂は広まっていて、大歓迎を受けたのも束の間、お医者さんでも治せない重病人患者を、大勢治癒をすることになって大忙しだった。

 休憩はちゃんと取れたし、治癒を受けられる怪我や病気の重さは規定して貰えたが、逆を言えば重病人ばかりを診ているということだ。アーセタは青年の身体が心配だった。

 様子を聞くと、青年は決まって「大丈夫」という。それが返ってアーセタの不安を煽った。

 救世主と言うことで無条件に与えられた家に二人で戻ると、まずはお風呂に水を張って青年を休ませる。水は勿論、青年が町の人の治癒をしている間に、山で汲んで来た湧き水だ。

 青年は家に帰ると、アーセタの思いを汲んでちゃんと水に浸かってくれる。それで少しは安心できるが、樹皮の侵蝕が広がっているかもしれないと言う懸念は捨てられなかった。

 水に浸かれば疲れは取れるかも知れないが、一度樹皮になった場所は戻らない。

 彼の体がじわり、じわりと樹皮と蝕まれていると言うことなのだ。そして、やがて彼は一本の樹木になってしまう。それが救世主の宿命なのだと彼は言った。

 アーセタは青年の体を確認しておきたくなって浴室に乗り込むことにした。

「ねぇ、タオルいらない?」

 タオルを届けるついでに青年に声を掛けると、アーセタは浴室の扉を開けた。

「タオルならあるよ? 大丈夫」

 青年は振り返って微笑みかけてきた。しかし、腹部の樹皮はやはり広がっていた。

 もう腹筋はすべて樹皮に覆われ、まるで根を伸ばすように太腿にまで至っている。

「そんな顔をしないで。これは僕にとっては名誉の証なんだから」

 顔に出てしまったのだろうか? アーセタを見て青年は切ない笑みを浮かべて言う。

 自分と言う個性が失われて樹木になることが、幸せとは到底思えなかったが、幸せは人の数だけあると聞く。それなら、アーセタに否定をする権利なんかない。

「うん。今日も人のために頑張ったね」

 口にまで出掛かった『やめて』と言う言葉を飲み込んで、アーセタが労いの言葉を掛けると、青年は嬉しそうに微笑みを返してくれた。

 お風呂から上がった彼のために、アーセタは常温にした水を用意しておいた。

 冷やしも温めもしないのは、勿論、彼がそれを好んでいるからだ。

「名前がないと呼ぶのに困るね。メシア君って呼ぶのもおかしいし……」

「そうだね。それならアーセタが着けてくれる? 僕の名前」

「え……? そんな、責任重大な……」

「僕はアーセタに着けて欲しいな」

 戸惑うアーセタに、青年はにっこりと優しい笑みを浮かべて頼んでくる。

「そ……、それじゃあ、がんばって考えておくね?」

「うん。お願いするよ」

 アーセタは特別ネーミングセンスが良いわけでも、救世主と呼ばれる彼に相応しい名前を考えられるほどの知識があるわけでもない。本当に自分で良いのか疑問を抱いたが、青年がそれを望むのなら精一杯頑張ろうとアーセタは承諾した。

 翌日も二人は町の教会で治癒活動をしていた。とは言っても、治癒をしているのは青年で、アーセタは付き人をしているだけだ。

 青年のために用意された水も、井戸の綺麗な水が用意されている。

 人を治癒している青年は、まるで教会の壁画に描かれた天使のように美しかった。

 意識をなくした人が起き上がり、笑顔でお礼を言われている姿はとても嬉しそうだった。

 自分の体も顧みずに他人に尽くせる青年の姿はとても神々しく、初めて会う人たちをこれほどまでに笑顔に出来ることはとても誇らしかった。

 それだけに青年の回りに集まる人が増えて行くに連れ、太陽が沈んだ後に夜が押し寄せて来るように、足音を立てて忍び寄ってくる別れのときに胸が締め付けられる思いだった。

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