第9話

「人間である君には理解できないかもしれないね。だけど言ったでしょう?

 僕は人間じゃない。僕は植物から生まれた人とは異なる存在なんだ」

 青年は静かに言うと、微笑んだままで瞳を閉じた。

 現実味のない話にアーセタは呆然として青年を見つめていたが、こんな一大告白をされているというのに、青年の整いすぎた顔を見つめて綺麗だと思っていた。

「聖書の一説に出てくる、神に作られたに最初の人類、アダムとイヴの話を知ってる?」

「え? 蛇に唆されて知恵の実を食べて、楽園を追放されたって言う、創世記の?」

 唐突に話を振られて、戸惑いながらもなけなしの知識を絞り出してどうにか答える。

「そう。稀に言う、失楽園だね。その後、アダムとイヴは大勢の子孫を残して、その子孫たちはこの世界で様々な奇跡を起こし、多くの人を救って『救世主』と呼ばれた。

 だけど本当は、アダムとイヴは楽園を追放された後、人間界で植物になったんだ。

 伝承にある救世主たちはみんな、その木から生まれた、人の形をし、自らの意思で動くことのできる植物だよ。

みんな様々な奇跡を起こして、持っている力を使い果たして樹木へと還り、その後は自然の一部になって、星と一体化して、今も人間を見守っている。

そして僕はその末裔に当たる。僕も力を使い果たしたときに同じように樹木に還るんだ。

 この樹皮の部分はその前触れ。そして、これまで僕が人々を救ってきた証だ」

 青年は樹皮の部分を撫でて、満足そうに微笑みながら言葉を綴る。

 人を救うためにのみ生まれてきて、人を救い、そして樹木に還る。

青年はそんな生き方を、運命を受け入れていた。

「だけどそれじゃあ、あなたは報われないじゃない! あなたの幸せはどうなるの?」

 アーセタは思わず叫んでいた。確かに青年の生き方は素晴らしい。救世主になり得るだろう。

 しかし、青年は本当にそれでいいのだろうか? 人のために生きて、人を救って樹木に還る。

 それは、救世主として生まれた義務や使命なだけで、青年の望みとは違う気がした。

「僕の幸せ?」

 青年は目を丸くさせて不思議そうに呟いた。そんなことは、考えたこともないように……。

「そう! せっかく生まれてきたのに、生きているのに、自分の幸せを考えないの?」

 アーセタはさらに続けた。確かに人とは生まれも体の作りも違うのかもしれない。

 だけど、青年はこうして目の前に存在している。ちゃんと考えて、自分の意思もある。

 その青年が、自らの幸せを放棄しているのを、アーセタは悲しく思った。

「僕の幸せか……。考えたこともなかったな。だけど、僕とみんなとでは感じ方が違うのかもしれない。幸せって言うのをみんながどういうときに感じているのかは分からないけれど、僕は今の生活を、僕の力でみんなが元気になってくれるのを見ることに、幸せを感じているよ」

 青年は可笑しそうに小さく喉を鳴らして笑うと、綺麗な緑の瞳でアーセタを見つめてきた。

「それにしても可笑しなことを言う人だね、君は。これまで数百と言う街を回ってきたけど、僕の幸せを心配してくれる人なんていなかったのに」

 これまで見せてくれた穏やかな笑みとは違う、小さな子供のように楽しそうに笑った青年を見て、自分が笑われているのに不覚にも言葉を失って見蕩れていた。

「ありがとう。嬉しいよ。人間はみんなこの体を見ると、僕を怪物のような目で見るのに……。

 この体を見ても、僕を人と同じように見てくれたのは君が始めてだよ」

 青年は今にも泣き出しそうな寂しい笑みを浮かべて、アーセタに近付くとそっと髪に触れた。

 裸の青年が至近距離まで迫ってきて、アーセタは我に返り恥ずかしくなって目を白黒させた。

「ふ……、服を着てください!」

 青年は面白いものを見るようにアーセタを見て、楽しそうに笑った。

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