第133話 「握り潰そうとしたのよ」カヤノは訂正した

「ちょっとシンクロー。さかなはないの? 肴は?」


 俺に酌をさせながら、カヤノは「あれはないの?」だの、「これをちょうだい」だのと、勝手気ままに酒盛りを楽しみ始めた。


 もはや皇女のことなぞ眼中にもない。


 ヘスラッハ殿らが慌て俺達の毛氈に駆け付け、皇女を背後に庇ったのだが、


「ちょっと。あんまり暴れないで。ホコリが立つでしょ? お酒に入ったらどうするつもり?」


などと歯牙にも掛けぬ有り様だ。


 カヤノの奴……。


 御側付き騎士らを倒して退けたのは、つい一昨日のことだと申すのに……。


「そう言えば見ない顔ね? 誰?」


「えっ!? わ、私達のこと……覚えてないんですか!?」


「何のこと? 知らないわ。誰よ?」


「嘘でしょ……?」


「ヘスラッハ殿、致し方のないことだ」


「どういうことです?」


「カヤノは神仏の類なるぞ? 神仏にとって人の子なぞ吹いて飛ぶかの如き代物よ。いちいち顔を覚えていると思うか?」


「ふ、吹いて飛ぶ? たしかに一瞬で吹っ飛ばされましたけど……」


「納得いかんのじゃ!」


 皇女がヘスラッハ殿らを押し退けて顔を出した。


「くびり殺そうとした相手の顔も忘れたと申すか!? こんなん殺されかけ損なのじゃ! 断固抗議するのじゃ!」


「くびり殺す? 何のこと?」


「そ、それも忘れたのか? ええい! 思い出せ! 一昨日の早朝じゃ! ネッカーのアルテンブルグ辺境伯邸にて妾の首を絞めたではないか!?」


「…………ああ、思い出した」


「じゃろう!? 覚えがあろう!?」


「ちゃんと言わないから分かんなかったわ。わたしはね、くびり殺そうとしたんじゃないの」


「それならありゃどういうつもりだったんじゃ!? どっからどう見てもくびり殺そうとしとったじゃろうが!?」


「首を握り潰そうとしたのよ」


「……………………は?」


 皇女が固まる。


 ヘスラッハ殿らは愕然とした。


 カヤノは気にする様子もなく、続けた。


「首をぶちんってやって、わたしの子の根元に埋めるつもりだったわ。憎らしいあいつの種から伸びた枝なのよ? 腐るのなんて待っていられないもの。血が滴って浸み込めば、それだけ早く土も肥えるでしょ? ねえ? そうでしょ?」


「俺に聞かんでくれ。どちらが良いかなど、試したこともない」


「けち。ちょっと調べておいて」


 カヤノは俺の手から銚子ちょうしを取り上げ、手酌でぐびぐびとやり始めた。


「ぷはっ……。あら? ちょっとシンクロー。もうなくなったわ」


「やれやれ。何たる蟒蛇うわばみか……。おいっ! 誰か!? 樽か甕ごと持って参れ!」


「待て待て待ていっ! 待つのじゃ!」


「おおっ。如何なさいましたか、皇女殿下? 首絞めの一件は落着したではござりませぬか?」


「首を握り潰すなどと言われて平静でいられるか!? ちょっと想像しちゃったのじゃ! めっちゃスプラッタでグロテスクなのじゃ! 血の気も失せるのじゃ!」


「すぷ……? ぐろ……? はて? よく分からぬ言葉にござりますな?」


「血みどろで気色悪いっちゅうことじゃ!」


「それならそうと、左様に仰せ下さりませ」


「何でそんなに冷静なのじゃ!? 妾の受けた衝撃をちょっとでも理解せんか!?」


「カヤノは神仏の類にござりますぞ? 人ならざる身にござる。人の手に余ることも、苦もなくやってのけて不思議はござらん」


 皇女は地団駄を踏んで「だから思うとった反応と違うんじゃ!」と怒り狂っておる。


 御側付きの騎士や侍女も、皇女の言葉に合わせて「うんうん」と何度も頷いておったが、俺にとっては何の不可思議もないことだ。


 神仏と人とを、同じ物差しで測ろうとするからこうなる。


 肝心なことは、「左様なものなのだ」と割り切ってしまうこと。


 これに尽きる。


「ところでお尋ねしても?」


 皇女が地団駄を踏み続ける横で、ミュンスター殿が相変わらず表情を変えずに眼鏡の位置を直す。


「姫様のお首を握り潰そうとなさった件はさておき――」


「さて置くんじゃないのじゃ!」


「――もう、姫様を手に掛けようとなさらないのですか? 一昨日のあなたからは、激しい憎悪の感情が渦巻いていたように思いましたが?」


「ぐぶぐびぐびぐび………」


「カヤノ! カヤノ! ミュンスター殿が尋ねておられるぞ!」


「ぐびぐび……。今は忙しいの」


「酒なら溺れるほど飲ませてやる。其方が答えんと納まらんのだ。さっさと答えよ」


「……うるさいわね。分かったわよ。で? 何?」


「姫様を手に掛けることは、ないのですか?」


「ないわ」


「どうしてです?」


「だって、あいつ、わたしの信者になるんでしょ?」


「それは――――」


「うおい! 待たんかい! 妾はそんなもんになった覚えはないのじゃ!?」


「何言ってるの? 宴が始まる前に、ちゃんと願文を読み上げたじゃない。このお酒もあんたが用意した供物でしょ?」


「願文? 供物? 何のことを――」


「姫様、あれではございませんか?」


「ヘレン? 主、心当たりがあるのか? あれとは何じゃ!?」


「宴会が始まる前、『カンヌシ』と呼ばれる異世界の聖職者達が何かの呪文を唱えていました。宗教的な儀式の一つではないかと推察していましたが、予想が当たったようです。そうではありませんか? サイトー卿?」


「良い所に目を付けるものだ。さすがはミュンスター殿。女官長の面目躍如よのう」


「恐れ入ります。それで? 答えをお聞かせくださいますか?」


「御明察だ。祝詞のりとの中に、皇女殿下がカヤノの氏子うじことなること、そして供物を捧げることを含ませておいたのだ」


「『ウジコ』とは信者と言う意味でしょうか?」


「左様――」


「くぉらサイトー! 主は何を勝手に妾を信者にしてくれとんじゃ!?」


「こうでもせねば、カヤノの手を逃れることなぞ出来ませぬぞ? しばしの間は引き籠っておりましたが、怒りを思い出せば再び皇女殿下のお命を狙ったに違いない。そうだな?」


「そうね。あんたが意地悪するからちょっと閉じ籠ってたけど、よく考えればわたしは悪くないもの。わたしが伐られたのに、あの男の種がのうのうと芽吹いている方が悪い。ぐびぐびぐび…………」


「で? これからどうするのだ? もう許した、ということで良いのか?」


「……そうね。今度だけは許してあげる。精霊は寛容なの。私を敬い、崇め、祀り、供物を捧げるなら、許してあげる。ぐびぐびぐび…………」


 カヤノがそう言うと、ミュンスター殿が「興味深い……」と眼鏡の位置を直した。


「サイトー卿が神と同列視している理由がよく分かりました。正に、信じる者は救わる、なのですね?」


「納得してよいのか!? 本当に安心出来るのか!? あそこまで恨みをぶつけてきおったのに、こんな簡単な――」


「ご安心ください。恐らくですが、前例がある、のではないかと……」


「前例じゃと?」


「ですね? サイトー卿?」


「いやはや。ミュンスラー殿には重ね重ね恐れ入る。わずかな間にそこまで見抜いてしまわれるとは」


「どういうことじゃ?」


「ミナとクリスが先例にござります」


「ヴィルヘルミナとクリスティーネ? ……そうか! 二人の縁者も開発に関わっておったはずなのに、カヤノは何らの手出しもしておらん!」


「何のこと?」


「何故首を傾げる……。ミナとクリスも皇女殿下と同じだったではないか。まさか、気付いておらなんだのか?」


「そんなの知らない。言われないと分かる訳ないじゃない。でも、まあいいわ。二人はもう信者だし」


 あっさりと申すカヤノ。


 許しを得る方法は当たっていたものの、肝心の根拠と思うておった話に根拠がなかったとは……。


 丹波が「ほっほっほ」と笑うておる。


 あのクソ爺……どこかでこのことに気付いておったな?


 カヤノに皇女のことを告げた時であろうか?


 話す内に何か気付く事でもあったのかもしれん。


 忌々しい奴め……。


 ところで話の渦中にあるミナとクリスは、


「わ、私達もカヤノ様に命を狙われたかもしれないのか?」


「知らない間に信者にされちゃったけどねぇ……」


「そして知らない間に助かったようだが……」


「よく無事でいれたよねぇ……」


などと申し、乾いた笑い声を響かせていた。


「ねえ? もういいでしょ? ゆっくり飲みたいのよ」


「済まなんだな。もう、よいぞ」


「あっそ……。そうだ。一つだけ、言い忘れてたわ……」


 カヤノは手に持った杯を皇女に向けた。


「な、何じゃ?」


「いい? 今回は許した。でも次はない。次にあの男か、あの男の種がわたしやわたしの子達に手を出したらこうなる」


 バキンッ!


 陶製の杯を握り潰すカヤノ。


 残っていた酒が手指を伝いポタポタと滴り落ちる。


 その酒には、一滴の血も混じっていない。


 カヤノの肌は、磨き上げられたように滑らかなままだ。


「根絶やしにする。あの男の種は全部。分かった?」


「……肝に銘じておくのじゃ」


 皇女が答えると、カヤノは甕を抱えて大株の方へと行ってしまった。


 賑やかな宴の場で、俺達の毛氈だけ静かになってしまう。


 この静寂を破ったのは、やはり腹黒な笑い声であった。


「ほっほっほ。災難にござりましたな?」


「ふん……。これも身から出た錆と思うておくのじゃ」


「なんと殊勝なるお心掛け! この丹波、真に感じ入りましてござります! …………ところで――」


「なんじゃ?」


「そろそろ、帝都にお帰りになられては?」


「……どういう意味じゃ?」


「そのままの意味にござります。ミナ様を騎士となすこと敵わず、カヤノ様には命を狙われ、異界の恐ろしき習に肝を冷やされた。いくらお忍びと申しましても、いささか剣呑に過ぎまする。のう? ミュンスラー殿も左様にお思いになりませぬか?」


「…………」


 ミュンスラー殿は答えぬ。


 何を思うておるのか分からぬが、スッと眼鏡の位置を直したのみだ。


「早うお帰りなされ。御身の御為にござりますぞ?」


 皇女もミュンスラー殿も答えない。


 周囲の宴はお構いなしに続いていた。

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